20 side:アルフレッド・テュール・アークシア
王太子アルフレッド視点です。
「それで、リンダール大公家との話は纏まったの?」
王太子の執務室に、最高級の弦楽器のように麗しい声が響く。──とても冷ややかな音色で。
「は、はい。次の春より、殿下と同じ学年に編入される準備を整えさせております。」
緊張を隠し切ることもできず、威圧感に耐えながらも目の前の男が頭を下げるのを、アルフレッド・テュール・アークシアは冷徹な表情で見下した。
格子窓から差し込んだ日の光に、男の柔らかそうな茶色の髪が透けている。伏せられていて見えない瞳は若草色で、令嬢達に持て囃される優しそうな顔立ちは、今は恐らく青褪めているのだろう。
彼の名はマルク・ミレコット・テレジア。テレジア侯爵率いる一族でいつか当主を継ぐとされている男であり、現在は学習院で教鞭を取っている。
「ではこれで問題なく、一応ゲームの体裁を整える事が出来たわけだね。」
「あの……問題はあるかと、思うのですが……」
満足げに微笑んだ──眼は全く笑っていないので薄ら寒いものではあったが──アルフレッドに、マルクが恐る恐ると言った体で小さく反論した。
途端に、マルクの全身がビリッと痛みを伴って痺れる。
「っ……」
「口答えなんて許したつもりはないよ?マルク。それに、『彼女』の事なら問題無い。『あの子』を使ってかき回せば、必ず彼女にも影響が出るようにしたのだから。リンダールには上手く悪名が轟いている事だし、あの子がそれを放っておく筈もないからね。邪魔だもの」
ふふふ、と上品に笑ったアルフレッドは、まるで今から馬の遠乗りに行く予定を話しているみたいに上機嫌に見えて──恐ろしく不機嫌だ。
「エリックの事については少し予想外だったけど……戻ってきたらグレイスと共に生徒会を担ってもらうから、引き剥がす事は簡単だしね。ジークハルトも、彼女の方からまた距離を置き始めているのは都合が良い。目障りなのは、モードン家の彼だけかな」
手の中で弄んでいるチェス駒が、かちゃりと音を立てた。アルフレッドの視線はそこへ落ちているのに、チェス駒を通してどこか遠くを見ている。マルクは気づかれないよう唇を噛んだ。
「お前にもそろそろ動いてもらおうかな、マルク。彼女を孤立させておかないと、あの子も動き辛いでしょう?エリックは、僕が抑えておける。だからお前はゼファーを排除するんだ。いいね?」
「……、」
答えを躊躇った一瞬が不味かったようだ。マルクの身体に、バチリと音を立てて先程よりも数段強い痛みが駆け抜ける。次いでやってきた痺れに、うめき声さえ上げられずにマルクは小さく痙攣した。
「返事はすぐに返すんだよ、わかった?」
まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるような声で、アルフレッドが歌うように言葉を発する。
「──は、い。申し訳ありせません」
「良い返事だね。ご褒美にこれをあげる」
天使か女神のように微笑んで、アルフレッドは何かを机の上に置いた。かつり、という軽い音に、びくんとマルクの肩が跳ねる。アルフレッドとマルクを隔てる大きな文机の上に、小さな小瓶が日の光を受けて輝いている。
「よく眠れるようになる薬だよ。前から探していて、漸く見つけられたんだ。最近テレジア侯爵がお疲れのようだから、使ってあげるといい」
「は、──はい」
マルクが殆ど息も絶え絶えにその小瓶を取るのを、アルフレッドは楽しげに見つめていた。
「随分と楽しげだな。何考えてる?」
マルクと入れ替わるように入室してきたグレイスが、珍しげにそう声を掛ける。アルフレッドは分からない程度に目を細めた。
「うん、カルディアの事を考えているんだ」
先程までとは打って変わり、そこに背筋が凍りそうな冷たい響きは存在しない。ただ美しい天上の調べのような声で、アルフレッドは囁いた。まるで小さな子供が内緒話をするような、嬉しそうな表情だった。
「……あの男の事か。」
そんなアルフレッドとは反対に、酷く不機嫌そうにグレイスが呟く。苦々しく吐き捨てた、と表現しても通用するほど、彼の顔は顰められている。
「君は本当にカルディアが嫌いだね」
グレイスの勘違いを、アルフレッドは心の中で密かに笑った。余計な事を吹き込む奴はまだ居ないらしい。好都合だ──そう思っていることなどおくびにも出さずにアルフレッドはただ柔らかく微笑んだ。
「ああ、心底嫌いだね。あいつは狂ってる」
「狂ってる、か」
同意も否定もしないアルフレッドに、グレイスが口を噤む。数秒躊躇うような素振りを見せた後、彼はふっと詰めていた息を吐いた。
「エリックをあいつから引き剥がす協力をしてくれると言っていたな」
「うん。カルディアとまたあんな状況に陥るのも御免だしね。君とエリックには、生徒会の椅子を用意させてもらったよ」
来年から忙しくなるね、と続けたアルフレッドに、グレイスはただ頷いた。そうして、彼はふと格子窓の外に目を向ける。
「お前も、早く開放されるといいな」
「それは──カルディア次第だね」
「なんであいつなんだ。胸糞悪い」
ふん、と鼻白むグレイスに、アルフレッドは何も答えずいつものように微笑んだ。




