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馬二頭を駆って二人、ドーヴァダイン大公城を訪れた午前。美しく手入れされた庭園の、融けた霜が露となってキラキラと輝くのが応接室の窓越しに見える。
そんな庭園の主である大公は、何で私がやって来たのかさっぱり意図が掴めないと大変な困惑ぶりで、その妻共々どこから話を切り出そうかと考えあぐねているようだった。
エリックは義母と、先程から気不味そうに相手を見ては視線が合い、慌てて顔を逸らすという行動を繰り返していた。
お見合いかなにかか。
ついつい「では後は若い二人で……」等と口走りそうになる。
沈黙の中に時折ティーカップが微かな音を立てる空間が出来て三十分強。
エリックにそっと袖を摘まれた。やめろ、皺が寄るだろう。
だが、その行動で漸く決心がついたらしい。エリックが強い眼差しで義母を見据えた。
「……ぅ、その、は……母上」
「……、はい」
「っ、──お話の、前に、話したい事が、あるんです」
やっと始まった元凶二人の話し合いに、内心でやれやれと溜息を吐くくらいは許されて然るべきだろう。
そもそもここへ来て、夫妻の顔を見た時点で昨晩の私とエリックの不安は全くの杞憂であった事は分かっている。
大公が息子に対してもきちんと後ろめたさを感じていてくれて良かった……。
それでも此処に残っているのは、面倒を見ると大見栄を切って決めた手前、途中で放り出すのが忍びなくなったからだ。
そうして目の前で繰り広げられる、二時間スペシャルドラマで言えば山場のあたりではなかろうかというシーンを、大公と二人で静かに眺め続けた。
出来ればもう二度とこんな馬鹿みたいな状況が起こらないように子供と親のコミュニケーション教本でも作って今回のエピソードを載っけておいて欲しい。無論冗談である。
一応対外的なアピールとしてか、エリックは一ヶ月の自主自宅謹慎になるらしい。グレイスとは明日話をするそうで、これで大公家の二人の問題は何とか片付いただろう。
王太子とのやり取りも再開されるだろうし、グレイスは知らないがエリックとの個人的な関係はあの様子だと勝手に深まりそうだ。はぁ……。
週明けからはジークハルトとの距離を開けてバランスを調整しよう。
「それでは、私は学習院に戻ります。」
「お気を付けて。……どうも、ご迷惑をお掛けして申し訳無かったな、エインシュバルク伯」
全くである。なんて、皮肉は噛み殺して呑み込んで、ただ曖昧に微笑んでおいた。さて、帰るか。
「伯爵!──、あの、また……学院で。」
「ああ。学院で待っている。……一ヶ月あるのだし、母君と心ゆくまで話をしておくと良いと思う」
付け加えたアドバイスに、エリックが照れ臭そうに笑う。せいぜい笑ってられるのも今のうちだ。この一ヶ月は甘やかされるためではなく、その大公家の令息とは思えない口の悪さを叩き直されるものなのだろうから。
大公とエリックに見送られて門を潜り出た。
春までもう、何も起こらないといいが。
普段の行いが良ければ願いが叶うというのは本当なのだなぁ……。
つまり、私の願いは丸きり却下されたわけである。
……先程、隣国リンダールのデンゼル公国で、再び戦の準備が始まったという報告が入った。一足早い春休みと洒落込んで、伯領軍に領民を加えて編成しなければならない。
それにしても懲りないな、デンゼル公爵は。
前回の戦では躊躇いなく、捕虜の子供に至るまで残虐な手でもって殺してやったというのに。
戦争をするのは金がかかるのだ。
賠償金のかわりに、侵略される度それまでの戦で捕虜とした人民の命で贖わせているが、そんな事を何度も続けているなんてよく反乱が起きないと感心する。
私の初陣となった戦が起きるまでは十五年ほど平和だったようだが……。クールダウン期間を使うのが上手い。そうして領民の怒りの矛先をアークシアに向けさせ続けているのか。愚かしいが、無能ではないあたりがうざったい。
……そもそも相手が賠償金を払う気が無い事も、停戦協定を結ぶ気も無いのだから、捕虜は戦後一ヶ月で殺してしまってはどうだろう。飼っておいても役に立たないなら、タダ飯食らいを養う必要なんて無いのではないか。
取り敢えず、私が戦死してしまった時の為の書類をもう一度引っ張り出さなければ。勿論後見人と国王陛下に丸投げしますよ、という内容のものだが、あれが無いと領民達の苦労が増える。
ところが、必要な書類を提げて貴族院での戦前会議に出席するなり、「此度の戦は参戦禁止」という勅命状がテレジア侯爵から手渡された。
「どういう事です?」
「今死なれたら困る、という事ですな。春が過ぎたら頼まねばならない用事がありますゆえ」
全く意味がわからない。頼まれる用事というのは学院での何かだろう、それ以外に思い当たるものは無い。
とはいえ、内容はさっぱり分からないので、侯爵以上の重鎮達でまだ秘密裏に話し合われているという事か。
爵位が上がったので、上層部としては私をそう簡単に死なせる事が出来なくなった、というのも考えられる。
「お言葉ですが、……テレジア侯爵。エインシュバルク伯爵は戦において天賦の才をお持ちのお方です。伯爵の策あればこそ、民の損失を千も、万も抑えられるというもの」
ローグシア下級伯爵の発言に、貴族院が一斉にざわめき出す。ローグシア伯爵に同意する者、それに反論する者。勅命状に異を唱えたのは殆どが伯爵位以下の下級貴族で、貴族院の大部分である。
ふむ……。下級貴族達は私を戦に引き摺り出したいらしい。カルディアの血を蔑む者もまだ残っているだろうし、女でありながら上級伯爵になった私はさぞや目障りだろう。前回の戦でリンダールに私の悪名は轟いている事だろうし、今回の戦から私の戦死率はかなり高くなっている筈だ。
逆に王家や上級貴族達、私の参戦を阻む者達は、その春過ぎに頼む用事とやらがかなりの厄介事なのか、或いはこれ以上私に武勲を上げられては困るのか……まぁ、両方だろう。
「鎮まれ、皆の衆。」
大公の一言で貴族院は静まり返った。息子と妻の問題ではあんなに情けなかったのが嘘のように、貴族で最も地位の高い男は威厳に満ち溢れている。最大のウィークポイントが無くなったからか、寧ろいつもより力ある声だった。
「何も陛下はエインシュバルク伯に、戦事そのものに関わるなといっている訳ではない。兵を率いて戦場に立たずとも、出来る事はある。そうであろう、ローレンツォレル侯。」
「勿論でございます、大公閣下。エインシュバルク伯には作戦の立案で働いて頂けばよろしいかと」
軍事に関しては、ローレンツォレル侯爵の人事に異を唱える者は流石にいなかった。
取り敢えず今回は作戦を考えるのに専念しろという事らしい。何をするかな……。アイデアを出すために思索の海に沈もうとする私の肩を、テレジア侯爵がとんとん、と叩いた。
「はい、なんでしょう」
「なんでしょうではありません。エインシュバルク伯、左腕の骨折が完治していないのを忘れていたでしょう。」
あ……。そういえばそうだった。ギプスは取れていたので、本当に忘れていた。
斜向かいの席のローレンツォレル侯爵に、未熟者めと笑われた。




