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次の週末に、エリックと話をすることにしました。ご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありませんでした。
ざっと要約するにそんな内容の手紙が届いた週末前の夕方。
未だに少し要領の悪い、メイド・執事見習いの子供達の働きぶりを眺めながら、名主達こと庶民院の皆と、元テレジア家の陪臣の溢れもの元い領立庶民学校の教員団から届いた書類を読む。
教育は一年目がそろそろ終わる為、卒業する十歳の子供達をどう使うかを考えなければならない。
なにしろ発足させたばかりの制度であるし、実験的な要素も含んでいる。これから先安定した学校制度が領民全員に根付くまで毎年、子供達の成長度合いによってその進路をどうするかを決める必要があるのだ。
折角ジークハルトと仲良くなったことだし、ローレンツォレル伯爵とそろそろ直接的な繋がりを作って、交換留学でもしてみるべきか。
こっちからは牧畜を学ばせに、あっちからは小麦の栽培を学ばせに。
とはいえ交換留学をするにはあちらと足並みを揃えて条件を擦り合わせて……来春までに纏められる案件じゃない。これは保留だ。
他に何かいい案はあるだろうか。
学校に教師役として残せばいいのか。軍に入りたい子、教師に成りたい子、農業に戻りたい子、その他専門職の四枠で進路面談して希望を取らせ、簡単な採用試験と適性試験を行ってもう一度進路面談。
採用試験、適性試験は、それぞれ教員団・伯領軍と細かく話し合う必要がある。だが、これなら自領内のスケールに収まる話なので、来春までに間に合わせることが出来るだろう。
専門職希望の子は技術を磨けるように留学させるのも視野に入れておこう。テレジア侯爵やゼファーに話を聞いて、アークシアの諸領の特産物や盛んな技術のデータを頭に入れておかないと……。
「エリザ様、紅茶のおかわりをお注ぎします!」
「ありがとう、シャーハティー。紅茶を淹れるのが随分うまくなったね」
十一歳のシャーハティーは、あどけない顔を無邪気に綻ばせて、紅茶を出来る限り丁寧に注いだ。
アニタから最近、リビーヤと二人でカチヤを取り合っていると報告を受けたので、その成長速度には侮れないものがあるのだが。
一番年下の三人組のうちシャーハティーとリビーヤは女の子であるからか、他が全員年上であるという環境に釣られて少しばかりおませさんだ。逆に男の子のカチヤはお姉さん達に甘やかされていて、本人も甘えるのが上手いという典型的な末っ子気質に育っている。
最近は夜中に魘される事も少なくなってきたようで、酷かった隈も薄れてきていた。このまま落ち着いてくれればいい、と切に思う。
「そうそう。五日後の午前中に、カディーヤが此処へ遊びに来る。私は残念な事に講義があるから会えないが、皆でおもてなしして欲しい。お姉さん達に伝えておいてくれるかな、シャーハティー?」
「カディーヤ姉様が?ほんと、エリザ様」
唯でさえ大きくて零れそうな目をさらに大きく見開いて、シャーハティーは子供らしく喜んだ。本当だよ、と頷けば、堪えきれなくなったのか小さくぴょんと飛ぶ。
「姉様達にお話してきますっ!」
興奮してはいるものの、ティーセットの載ったカートを下げるのは忘れてないのは教育の賜物だろう。
貴族社会の常に相手の思惑を三つも四つも考える必要のあるやり取りのせいで、確実に疲労している私の心には、あの素直な感情表現は癒しとしか言い様がない。
シャーハティーを見守っていたアニタと二人、目配せをして和み合う。
「君達の様子を見に来るだけだが、本人も慣れない環境に一人でいるから疲れているだろう。故郷の料理を作ったりして、気を休ませて上げてほしい。その日の午前はそれ以外の仕事は無しだ。全員でカディーヤをもてなしてくれ。出来るね、アニタ」
「はい、エリザ様。……あの、ありがとうございます」
「何がかな」
「私達への労いも含んでいるのでしょう?」
しらを切ったがバレていた。主人の思考を読んで先回りするという有能さの代名詞のような能力を、とうとうアニタは身につけたらしい。
「……それから、特別手当を出すから、前日の昼は皆で買い物をしておいで。貴族街から出なければ、夕方までは好きなものを見ていて構わない」
成長は嬉しいが、簡単に思考を読まれたのはちょっと悔しかったので、急遽労いを上乗せすることにした。アニタは先程のシャーハティーのように目を真ん丸にして、──ぎゅ、と。喜びのあまりに抱きつかれた。
「エリザ様ったらエリザ様ったらエリザ様ったらもう!もうっ!」
どうやら感動も混じっているらしい。全く意味の読み取れない、ただ喜んでいるのはわかる声を上げたあと、正気に戻ったのか真っ赤になって離れた。
「も、申し訳ありません……」
「いや、構わない。シャーハティーと同じように、皆に伝えておいで」
早く誰かと感情を共有して盛り上がりたいだろう。女の子というのはそういう生き物なのだし。
そう考えて許可を出すと、アニタはもう一度ぎゅむ!と私の頭を抱き締めて、踊るように部屋を出て行った。
やはり彼女達の素直な感情の吐露は、和む。
「エリザ様ぁ!」
そこへアニタと入れ違うようにカチヤが駆け込んできた。何事だ。手に持っていた書類を机に戻して文鎮で留め、どうした、と努めて冷静に声を掛ける。泡を食っているように慌てたカチヤを落ち着かせる為だ。
「お急ぎのお客様で、なんか、凄い焦ってるお兄さんが」
落ち着きはしたがまだ少々混乱しているのか、最近は綺麗な敬語を話すようになっていたカチヤから地が出ている。
凄い焦っているお兄さん、に心当たりなどないが、この寮を訪ねてきたという事は私に用がある人物には間違いないだろう。
「知らせてくれてありがとう、カチヤ。急いでいて疲れただろうから、そこのソファーに座って休んでいなさい」
執務机として使っているテーブルから腰を上げ、すれ違いざまに軽く撫でてカチヤを労う。
さて、来客とはどんな奴なのか。
──全く予想していなかった相手ではあった。
向かった先のエントランスで待っていたそいつを見て、久々にぎょっとさせられた。
何でここにエリックが来る。
まさかカチヤにいつもの調子で嫌味や暴言を言ってはいないだろうな。
「──何用で来たか教えてもらえるかな、エリック・テュール・ドーヴァダイン殿」
とりあえず声を掛けながら階段を降りる。話をするにしても応接間は一階である。
エリックはぱっと顔を上げた。人の顔をまじまじと見詰めながら何度か口を開いたり閉じたりして、やっと話し始めた声はひどく震えていた。
「あっ、……あの、は、伯爵──突然来て、め、迷惑だとは、分かってるけど──」
そうして言い出した言葉は、謝罪の類である。驚いて足が止まり、階段から降りずに見下ろすような形になった私に構いもせず、エリックは切羽詰まって泣き笑いのようになった表情で、言った。
「──っ、どうしても、聞いて欲しいことがあるんだ。最後になるかもしれない、から」
なにやら決意じみた嘆願であった。
お馴染みの言葉を今回はちょっと変えねばならないだろう。
どうしてそうなった。




