15 side:エリック・テュール・ドーヴァダイン
エリック視点の話となります。
なんなんだよあの男。女みたいなくせして、スカしてて、本当にムカつく。
エインシュバルク伯爵──エリザ・カルディア。女みたいな顔と名前で、なのに武勲で陞爵した、アルフレッドと同じくらいに遙か上を行く存在。
最初は、俺とグレイスにすぐに言い返してきたから面白い奴だと思ったのに。
もしかしたら仲良くなれるかもと思った。伯爵は頭が切れる。一部で神童と囃し立てられているのも、国内の有力な貴族達に目を掛けられているのも伊達じゃない。
だから俺とグレイスがいくら酷い言葉を言っても、話し掛けるのにそんな言葉しか知らなくても、あいつは涼しい顔で受け流してくれて、分かってくれているんだと思っていた。
甘えていたのは分かってる。けど、許してくれているんだと思っていた。
けど、違った。あいつは俺達のことなんて、どうでも良かっただけだ。
いつの間にか伯爵はモードン伯爵家の長男と仲良くなっていて、俺達は知らなかった、或いは気付かないフリをしていた現実を思い知らされる事になった。
伯爵──あいつ、モードンと話しているとき、俺達には見せない柔らかな表情をしていた。
一発で理解したさ。あれが、あいつが友人に見せる表情なんだって。俺達は厄介者としてあしらわれていただけなんだって。
訳の分からない悔しさと怒りで、気付いたら俺達と伯爵は決定的な仲違いの状態に陥っていた。
どうしよう。こんな筈じゃなかったのに。俺達が最後に言った酷い罵倒の言葉すら、あいつにはどうでもいい事で。
どうやって謝ればいいのか、どうすればまともな友人になれるのかも解らないまま、どんどん伯爵と仲良くなっていくモードンに焦りと妬みと悔しさが募っていく。
グレイスも伯爵達を睨んでいたけれど、多分思っていることは少し違う。どちらかというと、冷静な伯爵に対して憤ってるように見えた。
そうして何ヶ月も、俺達と伯爵は一言も口を利かなかった。
冬の訪れが感じられるようになったある日、伯爵は二週間程学習院を休んで領地に戻って行った。
家臣に任せられない問題でも発生したのだろうか。
山脈に近いカルディア伯爵領には、もう雪が降るかもしれない。もしそうなったら、春になるまであいつはずっと戻ってこない。
やっぱりきちんと謝って、ちゃんと友達になりたいと伝えるべきだった。
自業自得とはいえ後悔に沈んだ俺達を見かねたアルフレッドが、カルディア伯爵領の様子を調べてくれた。雪はまだ降っていないらしかった。
戻ってきたら言おう。今まで悪かったって。本当は、伯爵と仲良くなりたいんだ、って。
「グレイス、協力してくれ。俺、本当は伯爵と仲良くなりたいんだ。戻ってきたら、謝りたい」
「そんな事、解ってたよ。俺はお前の兄貴なんだから」
グレイスは昔やったみたいに、俺の頭を軽く撫でた。グレイスがいれば心強い。伯爵がなんて答えるか、考えるだけで今でさえ心臓が痛いくらいに脈打つけど、グレイスが応援してくれるならきっとやれる。
そんな風に、決意したはずなのに。
結局今でも俺は、勇気が出せないままでいる。
領地から戻ってきた伯爵は、どんな心境の変化か、ジークハルトとの関係を積極的に改善していった。
なんで、あいつ、ジークハルトだけ。
言おうと思っていた言葉は喉の奥で凍りついて、足も床にへばりついて、馬鹿みたいに棒立ちするしかなかった。
泣きそうなほどの悔しさと遣る瀬無さで、仲良く話をしている三人を睨んだ。
アルフレッドがジークハルトに伯爵と出来るだけ仲良くしていて欲しいなんて言ったから、ジークハルトは伯爵に俺の話なんて振らない。折角やっと築けた友好関係を、俺の為に壊すようなリスクはジークハルトもアルフレッドも冒さないのは解っている。
だから俺が自分で声を掛けるしかない──この頃になると、グレイスは俺に付き合っているだけで、別に伯爵と仲良くなりたいと考えているわけじゃない事はもう分りきった事だった。
グレイスはいつもそうだ。
別に仲良くなりたいわけでもない伯爵に、俺に付き合って憎まれ口を叩き。
別に仲違いしたい訳じゃない実の母親に、俺に付き合って憎まれ口を叩く。
これじゃダメだ、って頭の何処かでは分かってるさ。でも、もうやめようの一言も、いつまでも言えない俺はやっぱり甘えている。
そんな思いを抱えたまま浪費した一ヶ月半は、思わぬ所から終わらせられた。
「は……?」
思わず間抜けな声を上げながら、俺は目の前に立つ執事の顔をを見上げた。こいつは三年間寮生活をする俺とグレイスの面倒を見るために父上が付けた執事で、普段は俺達をなるべく避けるようにして働いていた。勿論俺達が吐く嫌味や暴言を聞きたくない為だろう。
そんな奴が俺を呼び止めたのも珍しい事だったのに、そいつが伝えた話の内容が、俺には信じられなかった。
「……何だって?」
「ですから、奥様がお話があるそうで、明日からの週末はお屋敷に戻るようにとの事です」
奥様、って、あの人の事、だよな。
俺達の、母上。
──俺は捨てられるのかもしれない。真っ先に思ったのは、それだった。
ずっと憎まれ口を叩き続けた。俺の事を見もしなかったあの人が、そうする事で僅かにでも反応してくれたことが嬉しくて、もしかしたら怒ってくれるかも、或いは叱ってくれるかも、なんて甘えた事を考えていた。学園でも、伯爵に同じような事をして、挙句決裂して。
だけど、公爵家にはグレイスがいて、弟がいる。もしも俺さえ居なければ、四人は普通の家族になれる。
まるで死刑宣告を受けた気分で、自室のベッドにみっともなくへたり込んだ。
後悔しか浮かばない。
もし伯爵が帰ってきた時に、考えていた事をいう勇気があったなら、母上やグレイスとの関係を変える勇気も持てただろうか。
もしもあの伯爵と俺がまともに友人になれていれば、母上が俺の事をちゃんと見てくれるような手も、あいつなら考えてくれたかもしれない。
グレイスだって、俺がちゃんと口に出して言っていれば。俺と一緒に評判を落とすような真似をしなくても良かった筈だし、母上と不仲になるような事もなかった。
俺が悪い。俺が甘ったれなのが全部悪い。
もしかすると俺は教会送りになるかもしれない。貴族社会とは一切無縁の土地で、一生を監視されながら過ごす。破滅した貴族の末路はそんなところだ。
冬を越すまでなんて、そんなの。
一生会えなくなる前に、伯爵に──あいつに、エリザに。言わなきゃいけない事があっただろう、俺には。