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学習院に戻ってきて暫く経った。どうも最近、面倒そうな噂が囁かれている。
噂の内容は、ジークハルトが王太子派からエインシュバルク伯爵派に鞍替えしたというものだ。いつの間にそんな派閥が出来ていたのか。
そもそも私は王太子と対立なんてしていない。
確かにジークハルトは最近私、ゼファーと共に過ごすことの方が多い。
王太子は立場的に大公家の二人から離れられないのだろうが、伯爵位を持つ私とのコネクションは在学中は手放したくないようだ。
ジークハルトの言葉尻から察するに、王太子に誘導されて私達と行動を共にしているようだった。
「ゼファー、君は院内の派閥関係について詳しいだろうか?」
「いや、あまり。うちは普通の辺境伯だからね。でも詳しい人にアテはいくつかあるよ」
ゼファーは人当たりがよく、間接的な人脈を広げるのに長けている。挨拶程度で留めずに仲良くなって正解だった。
「王太子と私が対立している構図を撤回したい。手を考えるために詳細な派閥関係を調べたいんだが、生憎と君しか頼れる友人はいない。頼めるだろうか……?」
頼めるか、と言えば、ゼファーが断われない事など知っている。
好血伯爵を敵に回したくない、あわよくば潰されるまでは利用したいと思っている貴族達の思惑は百も承知だ。
ゼファーも例外ではない。彼にそういう考えが無いと言えば嘘になるだろう。むしろそう思っていない貴族は余程の愚鈍か、大公家のような雲の上の身分だけだと思う。
「勿論。話を聴いてくるから、三日後くらいには詳細を教えるよ」
「助かる。持つべきものは友人だな」
そういった思惑を知っていて尚、ゼファーは好ましい性格をしていて、友人だと呼びたい存在だった。
彼は私の足元を掬うような真似はしない、という、不思議な確信がある。頭がキレるのか、他人と距離を掴むのが上手いのだ。
私の友人という立場を手に入れた今となっては、私の地位を脅かしても彼の家には何一つ利が無いということも信頼の理由の一つではあるが。
早速話を聴きにか、ゼファーは颯爽と身を翻して行った。何故か耳が赤い。
もしかして照れているのか、いやそんな馬鹿な。私のこれまでの行いや腹の中を鑑みるに、そこまで好意を持たれる訳がない。
話をしたきっかり三日後ゼファーはわざわざ相関図を起して持ってきてくれたのだが、一瞬自分の目を疑う事になった。
私を頂点にした派閥と、王太子を頂点にした派閥で学習院内がキッチリ二分されていたのだ。勿論学習院を出れば意味も無いものなのだが、ここまで派手になると後々の禍根として残りかねない。
問題となっているのは王太子ではなく、大公家の二人だ。
子供地味た言動を繰り返して突っかかる彼らを私が完全無視し、冷戦状態にあると思われているのだ。全く面倒な。
あの二人さえどうにかすれば、王太子とも最低限の付き合いは出来るわけで、派閥対立を煽られるような危うい関係も解消できる。
さて、どこを終着点として彼等との関係を改善するべきか。そもそもあの捻くれた性格を紐解くべきか。
本人達と青春宜しくぶつかりあって友情に目覚めるようなルートは御免被りたい。そもそも仲良くなると都合が悪いのだし。
という事は、暗躍か……情報を集めて、貴族院等から手を回す必要があるだろうか。
大公家の家庭状況という、ほぼ機密のような情報は調べるのに骨が折れた。
比喩ではない。本当に左腕の骨を折ることになった。
幼少時のグレイスに仕えていた者達のうち、既に大公家を辞した者達から探る事にしたのだが、とある一人の元メイドが借金取りと揉めていたのである。丁度その女が娼館に引き摺られていくところだったので、邪魔するような形になった。
わざと女を庇って、左腕で借金取りの振り下ろした根棒を受け止めた。騒ぎになると面倒だったので、伯爵への暴行を理由に警備の兵に連行させる事にしたのだ。
平民街とはいえ白昼の大通り。様子を窺っていた警備兵は、タイミングを見逃さずに良い仕事をしてくれた。
とはいえ、その女が欲しかった情報を握っていたのだから、くたびれ儲けにならずに済んだ。僥倖である。
子供の性格の歪みは大抵家庭に問題がある。予想通り、大公家の内情はあまり健全とはいえない状態であった。
エリックの母であり、大公の妾だった女は、エリックを出産した五年後に事故で死んでいる。同時にグレイスの母であり大公の正室である女は、グレイスの出産時に子宮をダメにしたらしく、子供が作れない身体になった。
その後大公は新たな側室を取る機会に恵まれぬまま、今に至る。
そうしてエリックとその弟は妾腹でありながらグレイスの保険として認められているのだが。
厄介なことに、正室とエリックの関係が拗れているのである。
エリックの母とグレイスの母の関係は良好だったらしい。同時に大公に嫁いだそうだが、エリックの母のほうが少し年長で、姉妹のように仲睦まじかったという。
だが、その女が死んだ事故はエリックに起因する。幼いエリックが誤って階段から落ちそうになったのを母親が抱え込んで庇った。母親は運悪く首の骨を折って死んだ。
故にグレイスの母は、エリックに対して複雑な感情を抱いている。彼女はエリックの弟はグレイス同様我が子のように扱っているにも関わらず、エリックに関してはほぼ居ないものとして扱っている。
エリックが九歳になる頃まで、完全に無視していたらしい。その頃からエリックは義母に対して遠回しな嫌味を吐くようになり、義母はそれだけは我慢できなかったのか、初めてエリックを無視できなくなった。
口を開けば嫌味が飛び出すのは、そうする事で唯一、エリックに対しグレイスの母が反応を返す為だ。
子供の浅知恵だが最初にそれを提案したのはグレイスで、彼はエリックに母の事で罪悪感を抱いているため行動を共にしている。そのうちにあの嫌味な口ぶりが定着してしまったようだが。
つまり、義母の気を引きたくての行動が、そのまま他の人間にも当て嵌められているのだ。
エリックとグレイスは、嫌味を言えばどういう形であっても気になる相手の気が引けることを知っている。単純な子供同士であれば必ず反応は帰ってきていたはずだ。
気を引いて、大公家の威光を無意識に着て反撃を封じる。むしろそれ以外の正常なコミュニケーションを殆ど知らないようだ。王太子との関係を他にも当てはめてくれればいいものを……。
私に対して感情を爆発させたのは、そんな一方的なコミュニケーションが全く役に立たなくなった為だろう。本当に面倒くさい。何故私が同い年の男の子守をしなければならないのだ。
大公の息子という地位もあり、二人を諌められる人間は限られている。
しかし、そういった連中は大公家の事情を知っているため、大人気ない正室の女にも、子供地味た真似を続ける二人にも、同情が勝って何も言えないようだった。
大人気ない真似をしているとはいえ、三十を超えた女ならばまだ話が通じるか。息子二人に関わらずに事態を好転させられそうな手段があって助かった。
さて……大公家が出てきそうな夜会への招待状が、都合良く手元にあったはずだ。出席の返事を返して、馬車を借りる手配をしなければ。
蛇足ではあるが。
腕の骨を折ったことに関しては、アニタ達に泣かれたのでもう二度としない。




