10 side:ゼファー・モードン
クラスメイトのゼファー・モードン視点です。
王太子や大公の令息のいるクラスに入ってしまうなんて、いくら優秀さの証明になるとはいえツイてないなぁ、とゼファーは思っていた。
モードン家は王都の北西に存在する辺境を統治する伯爵家で、身分は高いが中央との結びつきは強くない。
王都まで、馬車を使っても三週間以上は掛かるという立地的な都合から、父親であるモードン伯爵は半年間を王都で過ごし、もう半年を領地で過ごす生活を送っている。
その為、王都で過ごす半年間のみ貴族院に出席しているのだが、それでは王都の有力な法衣貴族との縁をつなぐことは出来ない。
陰謀渦巻く王都の貴族関係に無関心でいられるのは楽だが、ゼファー自身はそうも言ってられない。彼はこれから三年間、上級学習院を含めて五年の間王都で過ごすのだ。
それに、一つ下の弟、ルーシウスは上級学習院を卒業した後は王都で士官先を見つけなければならない。貧しくも裕福でもないモードン伯爵領に、ルーシウスを留めておくのは余計な家督争いを招く火種となる可能性があるのだ。
そんな訳で、ゼファーのような田舎貴族と陰口を叩かれそうな者達にとって、王太子とその取り巻き達はあまり歓迎できない存在であった。無駄な友好関係でも築いてしまえば、妬みから余計な諍いの種になる。
唯一まだ取り繕えそうなのはローレンツォレル家のジークハルトくらいのもので、あとの王家の血を引く三人衆にはお声を掛けられることすらご遠慮願いたい、というのがゼファーの思いであった。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。昨年、初陣で凄まじい武勲を打ち立て、伯爵位を賜った神童がクラスには存在していたのだ。
その類まれなる才気によって王太子達とも付かず離れずの関係性を築く、しかし身分としてはゼファーが仲良くしていても問題は無さそうで、後ろ盾に出来れば非常に強力。
カルディア下級伯爵という存在は、ゼファーにとって救い以外の何者でもなかったのである。
黒絹のように美しい髪を一つに結って、まるで自分自身に誂えさせたかの如きデザインの騎士服を纏う彼は、あっという間に学習院で王太子と並ぶ地位に躍り出た。
入学直後に勃発した、二度目の戦で再び鮮やかに勝利を齎したらしい。その功労に対して勲章と、上級伯爵位及び氏名を陛下より直々に賜ったそうだ。
陛下の寵を受けたカルディア改めエインシュバルク伯爵。
そんな彼と最初に縁を結べた事は、ゼファーには予期せぬ幸運だった。
その日の講義で、伯爵の隣の席に座ったのは、本当に単なる偶然だった。というより、先に席についていたのはゼファーで、伯爵は空いていたそこに無造作に座っただけだったが。
今日も伯爵は恐ろしいくらい底冷えするような美貌である。
釣り上がり気味の、切れ長の瞳は身につけた勲章に嵌め込まれた宝玉と同じ深い紅色で、白磁の肌は戦をくぐり抜けているのが信じられないほど滑らかだ。僅かにフェイスラインを飾るように残された黒絹の一房が、見事にそれらを引き立てている。
そこへ常に凛とした、静かな表情を湛えているのだから、国中の令嬢の人気をあの王太子と二分していると言われても納得できるというものだ。まだ十三歳という事もあり、将来を楽しみにしているクラスメイトは多い。
そんな絶世の美少年の横顔を盗み見ていたゼファーは、彼の手の羽根ペンがぼきりと折れるのを見逃しはしなかった。
「……。」
眉根を寄せて折れたペンを睨む伯爵に、笑いそうになったのは内緒だ。なんだかその不機嫌そうな顔が、近付きがたい伯爵をただの同い年の少年のように見せかけていたのが可笑しかった。
「失礼、エインシュバルク伯爵」
そっと呼び掛けると、伯爵の双眸の中に自分が映し出される。白銀の髪に深藍の瞳の自分は、もしかすると伯爵の色味に似合いかもしれない、などと烏滸がましいことを少しだけ考えた。
「どうぞ、使って下さい」
予備として持っていた羽根ペンを、ゼファーは出来る限りスマートに差し出した。今使っている羽根ペンはペン先にそろそろガタが来ている為に、これまた偶然その日持っていたものだった。
「──ありがとう。助かる」
ぶわ、と鳥肌が立つのを感じた。
声変わりを迎えていないのか、まるで少女のように涼やかな声だった。鈴の音のようなそれは、王太子達と話す時とは違って、柔らかみを帯びていた。
カリスマってこういう人の事を言うんだ。
ゼファーはその瞬間を今でも鮮明に思い出せる。きっと一生忘れないだろうと思っている。
まるで稲妻に打たれたような感覚だった。衝撃的な感動は、ゼファーの心に楔を穿つようにして刻みこまれた。
その出来事を切っ掛けに、ゼファーは上手く伯爵の友人と呼べるような関係に躍り出る事が出来た。
近付いてみて分かったことが幾つかある。
伯爵は、完璧超人なのだが、それでも気を張って過ごしていた。
ゼファーと過ごす時、あからさまに緊張を解いて過ごす様は、大変失礼な喩えであることを承知で言うなら懐いた野良猫のようだ。猫というより獅子なのだが。
大公の令息達に射殺されるかという勢いで睨まれるようになったが、それは自業自得というものだ。大人になれよ、としかゼファーが彼等に言える言葉は無い。
伯爵は立場を弁え、誠実である事を、無意識のようだがこの上無く好んでいる。分不相応な言動や欲深い相手には容赦がない。残虐伯爵なんて悪名も、その一切の容赦の無さを表すのにこれ以上なく的確かもしれない。
だからゼファーは伯爵との関係に心を砕く。近過ぎず遠すぎず、下心を匂わせず、だが純真無垢を装う事もせず。
笑われるかもしれない。
何が望みで伯爵に近付くのか、なんて。
ただ僕は、この孤高の伯爵の、心休まる親友で在りたいのだ。




