魔法少女さんじゅうきゅうさいが、ファンタジー世界にトリップしました。
高野藍は、かつて魔法少女として数々の戦いを乗り越えてきた。
幾度も挑んでくる悪の手先と黒幕を、その度に打ち倒して世界の平和を守り抜いてきたのだ。
(そのせいで婚活という戦いには惨敗したけどな!)
苛立ちのあまり藍はビールジョッキをダン、と机に叩きつける。
一人暮らしのマンションの一室。今日も残業を終えて帰宅したのは午前1時。
上司の嫌がらせや自身のミスに対する自己嫌悪で溜まったストレスから逃れるために、つまみの焼き鳥とビールで一人お疲れ様会である。
明日が休日であることだけが唯一の救いであった。
高野藍、39歳。独身。彼氏いない暦=年齢。
(元)魔法少女さんじゅうきゅうさい、である。
未だ身体に宿る魔法少女の力も、平和になった世界では役に立つことなんてない。
飛行魔法なんて使えば目立つ。誰かに見られでもしたらよくて見世物、最悪の場合科学の発展に犠牲はつきものとばかりに解剖されかねない。
攻撃魔法なんてもってのほか。街中で使えばテロリストだ。そもそも誰と戦えというのか。
回復魔法はまだ役に立つが、超常の力に代わりはなく他人に使えば大騒ぎな以上、自分の肩こり解消くらいにしか使えない。
平和になった現代社会において、魔法少女の力が活かせるような場面はなかったのである。
若い頃はまだよかった……と言えるのかも分からない。
世界の平和を守るため、と使命感に燃えて戦い続けた青春。
小学生の頃はまだ現実を知らず、何の疑問も持たず魔法の国の使者から授かった力でボランティアで戦っていた。
中学生ではちょっと中二病になって必殺技名とか考えるのに夢中になっていた。
高校生の時に初恋に芽生えるものの魔法少女としての戦いに駆け回っているうちに告白もできないまま終わっていた。
大学生の頃に必死に彼氏募集を始めるものの、周りには美人な上に色々な意味で経験豊富な方々が多くて惨敗。
社会人になってからは、魔法の国も平和になって魔法少女としての活動はなくなったが、仕事を覚えるための日々の中で出会いを探す暇なんてなかった。
そして仕事に慣れてからも、合コンなどに行ってはみるものの経験不足から見劣りするらしく他の参加者達に男はどんどん取られていった。
たまに声をかけてくれる男は余りもの狙いのろくでもない男ばかりで、結局毎回自分からお断りすることになるばかり。
そして気付けばもう若くない。正直魔法少女の服装も、身体に合わせたサイズに変化するとはいえ色々ときっついものがある。
「うーがー! 私の青春返せー!」
ぬいぐるみを壁に投げつけて、ごろんと床に仰向けに転がる。
だいぶ飲酒していたからだろうか、横になると急速に眠気に襲われた。
「あー……まだ洗濯物してない……明日で、いっか……」
せめてベットに移るべきだったかもしれないが、酔っ払い故の判断力の低下と日々溜まり続けた疲労から、藍はそのまま寝付いた。
〇
そして気がつくと、森林の真ん中に寝転んでいた。
あまりの事態に脳が理解することを拒んでいたが、そうも言っていられない。
何やら争う声と激しい物音がして、気になって音のする方へ茂みを掻き分けていくと、二人組みの少年と少女が巨大な熊に襲われていたからだ。
「く、くそっ! なんでこんなところにキリングベアーなんて大物がいるんだよ!」
「わ、分かんないよ! とにかく、隙を見て逃げなきゃ!」
少年と少女が何やら叫んでいる。藍の存在には気付いていないようだ。
戦闘を行っている両者の側面に位置しているため、藍のことは視界に入っていないらしい。
ちらりと見ただけでも明らかに異常な事態であることがわかる。
少年は安っぽい剣と皮の盾を構えながらも、巨大な熊の攻撃にはとても耐えられないと悟っているのか必死に避けている。
少女は手作り感の溢れる木の杖を持ちながら呪文を唱えて火の玉を飛ばす魔法を放っているが、威力が足りないのか熊が丈夫なのか、牽制にもなっていないようだ。
まるでファンタジーのようなその光景に、藍は。
(あー、これは夢ね。私ってばお酒に酔った勢いでなんちゅー夢を見てるんだか)
現実逃避して、目の前で起きてることは夢なのだと結論づけた。
しかしそれは無理もない結論ではある。剣と魔法のファンタジーな感じに溢れるそんな光景、フィクションの世界ではどれほど有り触れていようとも現実にあるものとは到底思えない非現実的なものなのだから。
(まあ、私も魔法少女なんて非現実的な存在だけどねー。……少女って歳でもないなあ、ああ憂鬱)
自分の年齢を思い出して溜め息をつく藍だが、夢の中でまで落ち込みたくないと気持ちを切り替える。
どうせ夢なら、好き勝手暴れてやるわーと半ば投げやりに、随分久しぶりとなる言葉を口にした。
「シャイニングロッド、セットアップ」
呟いた藍の声に応える様に、一振りの杖が彼女の掌に現れる。
淡い光の中から生まれ出たその杖は、その名の冠するようにきらきらと光り輝いている。
全体に純白の光を纏った魔杖。その先端には太陽の色をした宝玉が飾られている。
その宝玉はただの飾りではない。魔力を大幅に強化して解き放つ触媒だ。
同時に藍の放つ魔法の精度を高めるための調整もしてくれるとても便利な……武器である。
「シャイニング……」
魔杖の象徴たる宝玉を巨大熊・キリングベアーの頭部に向けて、藍は狙いを定める。
これくらいなら長々とした詠唱はいらない。技名を唱えて魔力を込めればそれで十二分の威力の魔法が放たれる。
少年と少女が射線に入る様子がないことを確認して、藍は叫んだ。
「ブラスト!」
藍の言葉に反応して宝玉が一際輝く。
そうして放たれた純白の閃光は、キリングベアーの頭部に命中して……跡形もなく消滅させた。
(わー。なんか威力すごいことになってる? やっぱ夢だから何でもありだなー)
自分で引き起こした惨状にも関わらず、他人事のように内心で呟く藍。
彼女の知る由もないが、それは藍の世界と比べて今いる世界が魔力に満ち溢れた世界だからだ。
夢だからと現実逃避しつつ、酔っ払った頭で思考しているため気付かないのも無理はないが、彼女が平常であったならこの世界に漂っている魔力を感じ取り異常を理解していただろう。
藍の自己認識はひとまず置いておくとしても、彼女は魔法の閃光でキリングベアーを頭部射撃で一撃で絶命させて、討伐してみせた。
キリングベアーはこの世界において、危険度Bランク――村なら襲撃されれば瞬く間に壊滅、街でも厳戒態勢が敷かれて複数の冒険者によるパーティを組んでの撃退が必要な、猛獣である。
それを単身の魔法使いが、たった一撃で仕留めるなんて、高ランク冒険者であろうとも普通のことではなかった。
そんな偉業を成したという自覚なんてもちろんなく、魔法(元)少女さんじゅうきゅうさい、高野藍は朗らかな笑顔で少年少女に声をかける。
「お二人さん、怪我はないかしら?」
高野藍の酔いが覚めて、正常な思考で現状を正しく認識したのは、次の日の朝になっても元の世界に戻っていなかった時だった。