ユキとの遭遇
拓人、学校の正門から出てきた時も、頭をかかえたまんまだった。
「あれ、イクさん」
後ろから声をかけてきたのは、同じクラスの成駒ミツアキ。
すらりと背が高く、スポーツ刈りに広い額、形のよい眉の下、切れ長の目が涼しげで一見冷たそうに見えるものの、なかなかいい男。
記念すべき転校第一日目に拓人が座った、空いてた席の本来の主だった。
翌日は自分の席についていた拓人にあいさつも何もなく、
「昨日さ」クールな口調で唐突に話しかけてきた。
「オレの席に座ってた?」
「あ、ああ、一日借りてた」
「ふ……ん」
後は何も言わずに戻っていったのを見て、アイツはもしかしてずいぶん細かいヤツなんじゃないか、と思っていた矢先。放課後になって
「ちょっと」
呼びとめられ、やっぱり何か? と思っていたのだが
「これ、机ん中にあったけど、覚えある?」差し出されたペンケースを見て、心底ぎょっとした。そんな拓人をみて、成駒、クールな目ぶちを少し赤く染めて脇に目を泳がせるとすまなそうに言った。
「ごめん、開けちまった」
それで、みんなの前で言いよどんでいたのか。
このペンケースは、ミユキからもらったものだった。中にはついそのまま、過去の思い出が。青少年のお友だち、ミユキいうところの「おボーシ」が入ったままだった。
結局ね、一度も使うことなく終わってしまったのだけれども。
「や、やるよ一個」
拓人、しどろもどろ、自分でも何言ってるのか分からなくなってきた。
「な、なんつうか、今は使わねえけどよ、前のガッコの思い出、なんだその」
ふと思い当って、あわてて聞いてみる。
「誰かいるとこで開けた?」
成駒、ぶるぶると首を横にふる。「いや」少し口をつぐんで、それから意を決したように
「ホントに、一個もらっていいの?」
それから、仲良くなったという情けないヤツらだった。
「ナリさん、遅いじゃん」
「部活。イクさんも遅いじゃん」
拓人、『ドナドナ』の仔牛のようなかなしい目をして言った。
「昨日の宿題してなくて補習。肉体的には傷つけられなかったけど精神はズタズタにされたぜ。このガッコってさ、いつもこんなに宿題多いわけ?」
「え?」ナリ、ああ、あの英語のこと? しょうがねえんだよアレは、チクリンはいつもあんなもんだよ、逆らっても二倍になるし、量が。と、のほほんとしている。
タクト、今までだったらこんな宿題
「おい、ミユキぃ、頼むよぉ」で、上目づかいにちょっとカノジョを見上げれば
「ん、もうしょーがないんだから、タッくんてばぁ」
で、ちょちょいのちょい、だったのだが今さらそんなこと言ってもどうにもなんない。
唯一の頼みの綱である朔太郎は、一昨日からカゼで休んでいる。
「ああ、だれか一ページ20円くらいでやってくんねえかな」拓人がそう言ったとたんにナリ、目を輝かせた。
「お、それさそれ」拓人もぱっと晴れやかな顔を上げて
「え、ナリさんやってくれんの?」
「は?」
ナリ、きょとんとした顔で
「1ページ20円で、誰かツテがあるんじゃねえの?」
拓人、がっかりして肩をおとす。
「ないから、聞いてんだよ」
「なあんだ」ナリも、肩をおとす。が、ふと思いついて
「織部さん、英語得意だよ」
「だめ」同時とも言える速さで、拓人が答える。
「アイツは、オレが溺れて助けを呼んだら、まっ先に駆けつけて金を要求しながらモリで突くオンナだぜ、しかも錆びたヤツで。こんなこと頼んだらいったいいくら取られるか分かったもんじゃねえよ」
「自力でやるっきゃ、ねえなあ」
拓人、ますます情けない顔でナリを見る。
「そのジリキがねえんだよ」
「なにそれ」
拓人、一瞬どうしようか口ごもったものの、ぽつりぽつりと語り出す。
「字がさ、苦手なんだよね。何だかずら~りと書いてあってもさ、なんつうの? 一種のショーガイなんだって。シキベ、いやシキジショーガイか? 書いてあるものが読めないのよ、まあ、前よりかはややマシになってきたけど」
「マジ?」
「マジ」こいつらには、想像もつかないだろうな、という目になってしまう。ナリの反応も当然のことだ。
「日本語だって満足に読めねえのにさ」拓人、何とか明るく収めようと
「英語なんて、おーまいがっ。とにかく誰でもいいから捕まえて、オレの宿題をやってもらわなきゃならんのだよ」
ナリは当たり前のような顔して障がい云々については聞き流してくれたようだ、少し真剣な目になってあごに手を当てる。
「じゃ、やっぱシキベ……」
「その名前やめて」そこで、二人はぴたり、と足をとめた。
ちょうど、彼らの横をすり抜けた自転車は、涼しげなセーラー服。
ダークブルーのスカート、ブルーグレイのスカーフが、夕暮れの風にはたはたとなびき、服の白さをきわだたせている。
「あれ……」拓人、ぼうぜんとつっ立っている。
「聖ニコラウス、知らなかった?」
「あれだぁっ!」拓人、突然猛ダッシュ。
「お、何オマエ」あわてて追いかけるナリ。彼は一応、陸上部なのです。
「いきなり、何? ナンパ? ペンケース? ダメダメ、ありゃお堅いジョシコーで有名なんだよおい、」
「ばか、宿題だよ」二秒ですでに全速力。
「アレが? なに知ってんの? だれ?」
「しきべぇえ」声を限りに、拓人が叫ぶ。その声に驚いて、少女はちらっとふり返った。その顔をみてナリ、ぎょっとして立ちすくんだ。
「あ、あれは」
不審げな少女の顔は、なんと織部あかねに瓜二つ。追いかける拓人と、その目があった。
とたんに彼女ね力いっぱいペダルを踏みしめた。
「しきぶぇええええ」その後を決死の覚悟で追う拓人。
ナリ、すでにリタイヤ。
ひとり呆然とつぶやいた。「オレ、部活辞めよう」