惚れた腫れたは拓人のシゴト
生嶋拓人、彼の悩み、それは背が低い事だった。
高校一年で、自称160センチ。自称なので詐称もアレンジも自由自在。
ルックスはまずまずだと、自分では思っている(親切に言ってくれた人もいる)。
だが、なんといっても縦に伸びゆくこの現代社会、オンナというのは上から雨あられと浴びせられる愛の言葉に弱いものなのだ。
そう、女といえば、彼女がいないのも哀しい。
女のコの間では、人気は高い。人気だけは、というべきか。
カワイイと年上の女性に言われることも、ままある。
しかし、こちらが本気で好きになった女のコとなると、そうは問屋が卸さない。流通の仕組みは、キビシイのだ。
小学校2年生の時、学校の保健室の先生に激しい恋をした。
南よしか先生、白衣と笑顔のまぶしい22歳だった。
が、悲しいことに彼女はヒトヅマ。拓人が3年にあがる春、彼女は産休で学校を去って行った。
中1の時、同じ塾に通う隣町の青島美奈子ちゃんに愛を告白した。
色白でぽっちゃりしていた南先生とは全く違う、日焼けの似合う陸上選手タイプ。
だがその場で、正確に言うと、塾の廊下で蛍光灯の一つが切れかかって点滅をくりかえすその中で、こう宣言された。
「悪いけど、タイプじゃないわ、それに、ワタシより背の低い人は、イヤ」
拓人はその日、家に帰ると泣きながら浴びるほど牛乳を飲んだ。
中3の時に少しの間つき合っていた井上真帆ちゃんは夏の終わり、家庭教師のお兄さんと恋に落ち、そのまま駆け落ち。
まだ両親と警察とが捜している。
そのほかにも、細かいことがらをほじくり出せば、ティラノザウルスの骨よりもまだ多く過去の傷跡が出てくるだろう。
彼は、極端に女運がない。それなのに女の子には目がないときている。
ふられても、ふられても西部の開拓者たちのように決してあきらめはしないのだ。
あまり後を振り返らないのも、開拓者に似ているかもしれない。
この根性が、日常生活の他の面に活かされていないのは、返すがえすも残念なことであった。
だがしかし、彼の本当の、最大の悩みは、他にあった。
『ヘンゲ』のことだ。
アレは突然降りかかった。アレは、彼のごく平凡な日常をくつがえし、かけがえのない平和を乱し、人並みの幸せを奪った。
それも、元はと言えばある一人の女のせいだった。
「ねえ、キミ」
耳元で、甘く、ハスキーなアルトが響いた。
高校生活にもようやく慣れ、もうすぐ夏休みというある日、学校の帰り道。
東京都内の某閑静な商店街外れでのこと。
学生服の拓人は、はっと振り返った。
そこに見た者に、思わず息をのんで立ちつくす。
まぶしいほどに白く輝くパツンパツン感満載のワンP、スカートの丈は犯罪スレスレ、その下にすらりと伸びた脚も、むき出しの肩も小麦色に輝き、一点のシミもない。
が、なんと言ってもそのまなざし。
目と目が合った瞬間、一時的に心拍は停止。
くっきりと弧を描く眉と、長いまつげの下に深く輝く夜の湖、その中に自ら飛びこんでいきたくなる。
魅惑的なのは瞳だけではない、少しばかり上向きだが、それがかえって魅力を増している形のよい鼻、そして濡れたように光るルージュの唇、その唇がなにかを待っているように、妖しく開きかけている。
年の頃なら25前後か? 背丈はもちろん、拓人よりもうんと高い。
見上げると、オネエサマのやさしいほほえみが天からこぼれ落ちんばかりにあふれている。すてきな香りも。カンキツ系っていうのか? でもカンキツって何? もう彼の頭の中はワヤワヤ。
その人は、さながら真夏の女神だった。
口もきけぬ拓人の耳に、彼女はまた、甘い息でささやきかけた。
耳たぶに唇がふれた。
「キミ、してみない」
心の中のミニタクトは絶叫状態。
彼の目の前に、なぜか、一枚のポスターが浮かんでくる。
昭和初期の、あの色彩、あの構図、サーチライトが闇を切り裂く町を背景に、眉間のタテジワに憂いをひめた紅顔の美少年アップ。キャッチは
『危機迫る真夏の帝都、若きヒィロォの運命や如何に!』
そしてタイトルがでかでかと
『日ノ期最貞童』
拓人、半分夢うつつで答えていた。
「はい、してみますん」
そうして、連れて行かれた所が近くのビルの地下二階。
そこで、彼はとんでもない初体験をした。
転校するはめに陥ったのも、アレのせいだと言える。
前の学校で、なんとか彼女ができたというのに。
しかも、向こうからアタックしてきた、というめずらしいパターン。拓人から見ても、ちょいともったいないわねえアンタ、みたいなカワイイ子だったのに。
今では、連絡さえ取ることもできない。
「不幸だ、災いだ、呪いだ、悲劇だ」
東京より西に少し離れた温暖なる地、とある県立とある高等学校、25HRのドアをくぐるまで、拓人は眉間に憂愁の深いしわをよせ、独りつぶやいていた。
「打撃だ、不合理だ、悪夢だ、仏滅だ」
教室の中に入り、気欝モードは相変わらずだったが本能の赴くまま、目の前の新しいクラスメイトを見渡す。
一瞬のうちに、彼の目は女の子たちの品定めを終えた。
女子の人数は、15人。クラスの半分以下。前の学校よりは少ないが、全体評価は+A。量より質というじゃないか。
拓人、生きていてよかったとしみじみ思い、神に感謝した。
自己紹介の声も、弾みかえっている。
「あ、オレ、いくしま・たくとス。まあ、よろしくっ」
「生嶋くんは、中学1年までこの近所に住んでいたんだよね」
担任のフォローに、にこやかに答える。
「はあ、小4から3年半くらいですが」
拓人、少し余裕を感じて今度は一人ひとりゆっくりと、だが、あからさまにならないように観察を始めた。
もちろんヤローなんてまとめて一瞥しておしまい。
「家は、ついこないだ九州に引越しました(これはホント。諸事情で東京に居づらくなった拓人は、思いあまって母に相談。すると、『ワタシも、アンタには黙ってたけど九州に帰ろうと思うとるけん』と唐突に言われた。実は再婚したいのだと。オレはどこか一人で寮にでも入ろうか? と言うとまんざらでもなさそうだったし)。オレだけ、じいちゃんちで世話んなるつもりでこっち来たんスが、急に入院されちゃって(まるで嘘。1人引っ越してきたこのあたりは確かに昔、しばらく住んでいたことはあったし、とっくに母と離婚したチチオヤがどこかに住んでいるはずだった。だから爺さんというのも、いないでもないでもないかも、程度。なぜ今さらそんな地方に? と問う母には、このとある高には日本一のテニスコートと図書館があり、公立の中では日本一、偏差値が高いのだと説明していた。母は、あんがいすんなりと納得していた。深く考えない所が母から遺伝しているのが証明された)、とりあえず、近くにアパートを借りました」
どのコもなかなかいい線行ってる。
ヤローは知らない。本当にどうでもいいのだ。
担任はまだ何かしゃべっていたが、彼は適当ににこにこしながら相槌をうっていた。
クラス全体の雰囲気も悪くない。
少し覇気がないか? といえばそういう気もするが、みんな、突然の転入生にも十分好意的。特に、女のコたち、肘でつつきあったりして、カワイイもんだ。
おおかたの品定めを終えたところで急に日がかげり、今までまぶしかった一番前の窓際に目がいった。
やったぜ、女だ。好みのタイプかも。だがしかし……
肩につくかつかないかの髪、きらきらした黒い瞳、濃くて形のよい眉ととがり気味のあごの線、どこかで見覚えがある。
それに、あの、挑戦するように少しあごを上げ、下くちびるわ心もち突き出すようにした表情。
彼女の顔には、他の子にはみられないようなかすかな冷笑が浮かんでいた。
完璧に目が合うと、その女は、彼にだけ見えるよう中指をたててみせた。
拓人の笑いが凍りつく。その時、担任の山内がこう言っているのが聞こえた。
「じゃあ、今日はとりあえず空いている席に、そうだな、一番前だが、織部の横に座んなさい」
先ほどの女の隣だった。
拓人、よろよろと彼女のほうへ歩いていった。
まだ、みんなが注目しているのも忘れ、かわいた声で彼女に話しかける。
「やあ、よろしく」
「ぐうぜんね、生嶋さん」
一同、息をのんだ。
「はは……もしかして、シキベさん……? いや、久しぶりだな。覚えててくれたの」
まるで学芸会のセリフ。
「忘れるわけ、ないでしょう」
彼女の声は静かだったが、教室中に響き渡る。
「ところで拓人くん、ワタシがどっちだか、分かってる?」
拓人には、十分すぎるほど分かっていた。
始めにもらったクラス名簿、どうせ文字が細かいし、読めるワケもないから、とロクに見ていなかった。
しかし、この町に戻ってきた時、こういう可能性は予測できたはずだ。
いつもは行動がいきあたりばったりだという定評のある拓人も、今回ばかりは深く、はげしく後悔した。
ああ、コイツがいると知ってりゃ、少なくともこのクラスにだけはならないように、なんとか手が打てただろうに。いや、全力をあげてこの学校から半径20キロ以内には近づかないように手を尽くしたかもしんない。
拓人、担任をふりかえった。
山内も、今や、クラス中と同じく、固唾をのんで彼ら二人をじっと見守っている。
が、拓人の訴えるようなまなざしに、思わずたじろいで黒板に手をついた。
「い、いくしまくん、しきべくんとし、しりあいだったのか、そりゃ、そりゃよかったははははは」
山内みのる、34歳独身。温和だがちょっと気弱な地元出身者は心の中で涙を流しつつ、拓人を見捨てる決心をした。
(すまん、生嶋くん。相手が織部じゃあ、な。これも人生の試練だと思ってくれえ)
拓人、もういちど、彼女に目をもどした。
悩みがまたひとつ、肩にのしかかった。
と言うより、これは「直面する危機」と言い直した方がいい。
彼は、ありったけの勇気を、それこそ家の中で寝たきりのヤツまで総動員して、彼女、織部あかねににっこりと笑いかけた。
「ホント、なつかしいな、で、ユキちゃんも、げ」
つい声がふるえる。「げげげげんきかな」
「ユキも元気よ、もちろん、ワタシもね」
そう言って、あかねはかすかに口のはしを上げた。
それが笑顔というのなら、下からライトアップされている幽霊なんて、まだ愛嬌があるかも。
寝違えた首を元にもどすように、拓人はなんとか頭を前に向け、担任の話に聞き入っているポーズをとった。
担任は、すでに彼を二百マイル彼方に捨てて、来週のバスハイクの説明に入っていた。
拓人も、表面上は落ち着いている。が、心の中は非常事態宣言発令中だった。
(シキベが、しかも妹じゃなくてあかねの方がすぐ横にいる。飛びかかって、のど笛に食らいつかれる、いや、突然ナイフでぐっさりやられるくらい、すぐ近くに)
拓人がおびえるのも無理はなかった。小学五年の時の大ゲンカを思い出したのだ。
今となっては元々の原因も覚えていないが、取っ組み合いのバトル・ロワイヤルで、彼は危うくシキベアカネに、耳を食いちぎられるところだった。
(これこそ)わきの下を冷たい汗が伝う。
誘惑に負け、というより、抗しがたいダークな力で彼の頭は自然、あかねの方に向いてしまう。
また目があってしまった。
というより、彼女はずっと拓人をにらみつけていたらしい。
彼は弱々しく、笑顔を返してみる。
ブラックホールに向かって「やっほー」と叫ぶ程度の、甲斐のない試みだった。
(これこそ、この世の地獄だ……)