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街中にあるバイク用品店で、黒と赤の皮グローブを見ながらまた橘朱鷺はため息をつく。
かっこいい。欲しい。
しかし、買えない。買わない。
なにしろ朱鷺は、バイクどころか免許も持っていない。
もう17歳だから年齢的には免許を取ってもいいのだけれど、家族全員に反対されている。
それを無視して教習所に通うような経済力も精神力もない。
だけどあこがれはより一層強まるばかりで、こうしてバイク用品店やバイク屋を週に一回は訪れて、皮の匂いやオイルの匂いでうっとりする。
ある意味中毒になっている。
しょっちゅう通ってくる割に何も買わないことを怪しまれ、このバイク用品店の店長には声を掛けられたことがある。
事情を説明するとむしろ同情的になり、客が少ない時などはツーリングジャケットを試着させてくれたりする。
一度も買い物をしたことがないのに、朱鷺はこの店の常連になっていた。
朱鷺がじっとりと眺めている黒と赤のグローブの横に下がる、同じタイプの色違いで黒と青のグローブに、後ろから手が伸びてきた。
朱鷺は驚き少し体を引いて振り向くと、眼鏡を掛けた長身の男がそのグローブをフックから外して、俯いてサイズを見ていた。
あ。カワサキ。
朱鷺はこの男を知っている。
何度かこの店で見かけている。
カワサキの1100に乗っている。
いつでも一人でいる。
なにより、178センチの自分がこの男の横に立つと男の耳ぐらいまでしかないのだ。
こんなに大きい人はあまり見たことがない。というかない。
他にカワサキに乗っている人も数多くいるのだけれど、この人ほど目立つ人もいない。
だから朱鷺はこの男をカワサキと呼んでいる。
カワサキと呼んで、憧れている。
あんな大きなバイクで全開にしたら、どんなだろう……?
朱鷺がうっとりしているうちに、カワサキはグローブを元の場所に戻して別のところに行ってしまった。
あらら。カワサキ、このグローブ買わないの?青でもかっこいいのになぁ。
なんて、朱鷺もここで買い物をしたことがないがカワサキが物を買っているのを見たこともない。
ケチ?
でもないだろうな。持っている物はいい物ばかりだ。
乗っているバイクだって安くはないんだ。
やはり朱鷺はため息をつく。
カワサキはどこに行ったんだろ?とぐるりと店内を見回すと、今度はヘルメットを見ている。
朱鷺はカワサキのヘルメットも知っている。グレーに青のラインの入ったアライ。
あれでいいじゃん?今度はショーエイが欲しくなったの?
と、朱鷺もヘルメットが気になりそっちに向かおうとしたら、別の客にぶつかった。
「んだよ!気つけろよ!」
と怒鳴られ、すいません、と頭を下げた。
金髪の二人連れで足を広げてへんなリズムで歩いていった。
そんな歩き方だから僕にぶつかるんじゃないか、と朱鷺は内心むっとする。
ま、いっか。
とヘルメットコーナーに向かおうとしたら、金髪二人組みもヘルメットを見に行くようで、さっき怒鳴られたし少し離れて見ることにしようと朱鷺は二人を睨みながらゆっくりついて行った。
カワサキはまだショーエイを持ってシールドを開けたり閉めたりしている。
そのカワサキに金髪二人組みが真っ直ぐ向かって歩いて行ったので、え?まさか知り合い?こんなヤツらと?
と、少しショックを受け、凝視していたので朱鷺はそれを見てしまった。
金髪の一人が、カワサキのブルゾンのポケットに何か小さな物を差し入れ、そしてすぐに離れた。
朱鷺にはその行動の意味がすぐにはわからなかった。
知り合い同士でなにかイタズラでもしたのだろうか?
離れていった金髪二人組みは出口付近をうろついている。
カワサキはショーエイを元の場所に戻して真っ直ぐ出口に向かう。
そして朱鷺はもう一つの可能性に気付き、慌ててカワサキを追った。
しかしカワサキは歩く速度も速くイノシシ並みによそ見をせずに出口に着いてしまい、朱鷺がその腕を取ったのは、万引きセンサーのブザーが鳴りランプが回った後だった。
店員が走ってきてカワサキと朱鷺の腕を掴み、それと同時にその後ろからあの金髪二人組みが来て、ブザーを鳴らしたカワサキを避けて出て行こうとした。
金髪がカワサキのポケットに会計前の商品を差し入れて万引きのブザーを鳴らさせて、その間に自分たちはただの客の振りをして商品を持ち出そうとしていた。
朱鷺は金髪の一人の袖を掴んだ。
そして店員の方を向いて、天井の角についている防犯カメラを指差し、カワサキのポケットを探って袋に入った小さなキーホルダーを取り出して見せて、最後に金髪を指差した。
「何?」
店員が顔を顰めて朱鷺に言った。
「言い訳するなら口で言えよ」
「何こいつ。キモ」
金髪が口を曲げて笑い、朱鷺の手を振り解いて立ち去ろうとした。
その金髪の腕を、カワサキが掴んだ。
「なんだよ!」
怒鳴る金髪にカワサキが言った。
「お前がこのキーホルダー、俺のポケットに入れたんだろ」
「はぁあ?証拠は?」
「防犯カメラとこいつ。指紋でも分かる。俺はこれに触ってないからな」
金髪が舌打ちをして走り出そうとしたところを、朱鷺が足を引っ掛けて転がし、背中に膝を乗せてそのジャケットの裾を捲り上げると新品のグローブが3セット出てきた。
「あああ!泥棒はお前か!」
店員が朱鷺に代わって金髪を取り押さえた。もう一人は逃げ去った。
朱鷺が慌てて立ち上がり、それを追いかけようとしたらカワサキに腕を掴まれ、
カワサキは金髪を指差し、一本指を立て、それからその右手の親指と人差し指で丸を作り、「OK」を示した。
その身振りで、朱鷺は呆然とした。
ああ~、逃がしちゃった~、と店員が金髪の逃げた方向を見てため息をついた。