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スミレの花の砂糖づけ  作者: 麦子
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9.彷徨う花

夢を見た。


月明かりの下、わたしの前を歩くだれかの背中。追いつかなくて、何度もわたしは転んだ。その度に、そのひとは必ず振り返って、わたしのところまで戻ってきてくれるのだ。

でも決して、手を差し伸ばしてはくれない。転んで、地べたに這いつくばっている泣きべそのわたしをただじっと見つめて、わたしひとりで立ち上がるのを待っているのだ。どれだけ時間がかかっても。何も言わずに。空にしずかに浮かぶ月のようにわたしを見下ろして、待っている。

わたしがようやく立ち上がると、そのひとはぼんやりと笑って、また前を歩きはじめるのだ。さっきよりも、ゆったりとした速度で。手を伸ばせば、すぐに届く距離にいるそのひとの背中に向かって、わたしは声を出す。



「となりを、歩いてもいいですか」



振り返ったそのひとのかおが、スロウモーションのように動いた口元が、無音の世界に響いた声が、転んで傷だらけのわたしのからだをそっと包んだ。


あのひとは、誰だったのでしょう。





「なにやってんのあんた、挽かれたいの?」



夢の中で、とてもひさしぶりに自分の声を聞いたような気がしました。起きぬけで一番最初にみた世界はじんわりとふやけていて。ああ、泣いたのかと濡れた頬に触れながら、まるで他人事のように、夢を見て泣いた自分のことをぼんやりと思って、思って、思いながら、そのまま外へ出掛けてしまったわたしはなんと愚かだったのでしょう。



「おーい、聞いてる?信号、赤なんだけど」



腕を掴まれて引っ張られて、仰け反って、声をかけられてからようやく、夢の中から覚めることができたわたし。ハッとして前を見ると、大通りの交差点前で、慌ただしく自動車たちが走っていく様子が目に飛び込んできました。一歩先に飛び込む寸前だったという事実をようやく理解して、肝が冷えました。



「うわ、顔真っ青。大丈夫?……って、あれ?あんた、もしかして」



寒気が一向におさまらないわたしの顔を覗き込んできたのは、愚か者のわたしを間一髪で救ってくれた男性でした。掴まれたままの左手に怯みつつも、恐る恐る目を合わせて見ます。…王子様だ。彼の第一印象はその一言に限りました。先程の素早い行動力といい、愛らしい瞳とは裏腹の、隠し切れていない彼の身に纏うキラキラとした雰囲気、その風貌全てがまるで絵本に出てくる王子様のようです。

目を逸らすことも忘れて王子様と見つめ合うこと数秒。笑顔の王子様の口から飛び出した思わぬ名前に、わたしはふたたび肝が冷えてしまいました。



「あっ、やっぱりー。早乙女の彼女だ。間違えた、“元”彼女だっけ?」



声にならない驚きっぷりを発揮するわたしをみて、王子様はなぜかさらに笑みを濃くしました。心なしかわたしの左手を掴んでいる力が強くなったような気がします。パクパクと口を動かすだけのわたしとは反対に、王子様はのんびりとした態度で「あれ?俺のこと覚えてない?」と可愛らしく首を傾げています。このような方とわたしごときが、面識があるわけがありません。混乱したまま首を横に振ります。そっかーと少し残念そうな、でもどこか楽しげな返答が王子様からかえってきました。



「やっぱ、覚えてないかあ。俺、あのときの早乙女の“彼女宣言”のときいたんだけどなー」



彼女宣言。それは、あの悪夢のような早乙女先輩との初対面かつ初接触のときのことでしょうか。…今思い出しても、やはり早乙女先輩は、大魔王さまにしか思えません。まさか大魔王さまと王子様がお知り合いだったとは。なんというミスマッチ。予想もつかない構図。



「それにしてもあんた、相変わらず顔色悪いよな」



大魔王さまと王子様の仲良くしている図を一生懸命頭の中で捻って考えていると、その頭をポンポンとやさしく撫でられました。…この感触、以前にもどこかで。そういえば、あのとき。早乙女先輩にいきなり腕を掴まれて力の抜けたわたしの頭をこうして、今みたいに撫でてくれたひとがいたことを思い出しました。まさか、あのときのやさしい手の持ち主がこの王子様なのでしょうか?



「ん?思い出してくれた?」



曖昧に頷いてみせると、王子様は良かったとうれしそうに笑います。すごいな、現実にこんな絵にかいたような王子様が存在するとは。でも、そろそろ腕を離してほしいです王子様。

真夏日の今日に、キッチリとしたスーツ姿の王子様はキョロキョロとわたしの周りを見渡す仕草をしました。



「早乙女は?いっしょじゃないの?」



またまた仰天な発言をする王子様に、わたしは勢いよく首を振りました。そんな頻繁にあのひとといっしょにいたら、わたしの寿命が縮んでしまいます!それに今は大学も夏期休暇中ですし、街中で彼に出会う機会なんてあるわけもありません。



「あれ、違うんだ?まあ、そりゃそうか。あいつ今バイトの時間だしね」

「(分かってるのに、なぜあえて聞いたのだろう…)」

「家ってこのへん?今日はなにしてたの?今からどっか行くの?もしかして暇?あっ、昼飯もう食べた?」

『え、あの、その、えっと…』

「そっかー暇なんだ。んで、ご飯もまだ食べてない、と。うんうん、良かった。じゃあ、決まりねー」

『え?な、なにがでしょう…?』

「いっしょに昼飯食おうよ。俺たちもさっきやっと堅苦しい企業の説明会終わったばっかでさー、どっかで食べようかって話してて」



怒涛の質問攻めにあたふたしていたら、いつの間にか王子様とご飯を食べに行くというありえない展開にまで発展していました。どうしよう、このひと全然わたしの話聞こうとしてくれない!筆談することもできないまま、気が付けば饒舌の王子様に手を引かれていました。早乙女先輩とはまた違った強引さに戸惑うことしかできません。

コンビニの前で立ち止まった王子様は、丁度タイミングよく自動ドアから出てきた、王子様と同じくスーツ姿の男性に手を振りながら声をかけます。



「坂田ー。こっちこっちー」

「おー、ワリーな。待たせて……、ん?だれその子」

「ん?さっきそこでナンパしてきた」

「は?」



コンビニから出てきたばかりのそのひとのことは、あまりに気にしていないらしい王子様がくるりとわたしへと振り返りました。ものすごくすてきな王子様スマイルで。



「お金のことなら心配しなくていいよ。あの茶髪のオニーサンが奢ってくれるってさ」

「ハアア!?てめっ、野上なに好き勝手なこと言ってんだよ!つーか説明しろっ、この状況を!!」

「さーて夏目ちゃん、何食べよっかー?また焼き肉定食でも食べに行く?」

「聞けよ俺のはなし!!」



どうして、わたしの名前を知っているのかとか。どうして、“また”と言ったのかとか。どうして、この間焼き肉定食を食べたことを知っているのかとか。そんなこと聞くのは愚問でした。だって彼は、あの早乙女先輩のご友人なのですから。わたしの名前も、早乙女先輩と焼き肉定食を食べにいった(正確には食べさせられた)ことも、全部ご存知なのでしょう。

わたしの中の、王子様像がガラガラとかたちを変えていくのが分かりました。



「自己紹介まだだったよな。俺、野上慧。俺のことは下の名前で、慧先輩って呼んでね?その呼び方のほうが後々面白…げふんごふん、親近感湧いていいかなって思うし。ねっ、夏目撫子ちゃん?」



都会の王子様は、田舎娘のわたしが思っていた以上にたくましく意地悪でかわいい笑顔をするひとだったようです。

こんなことなら、アパートでひとり微睡んでいたほうがよっぽど良かったかも。ああ、わたしってなんて浅はかでばかなやつなのでしょう。



『おおばかだな、お前』



早乙女先輩につい先日言われたことばが、ガンガンと頭に響きます。確かにわたしは、おおばかものなのかもしれません。でも、引っ張られているこの手を振り払うことは到底むつかしそうです。早乙女先輩といい、この王子様といい、…都会のひとって、なにを考えているのかさっぱり分からない。



「夏目ちゃん、せっかくだし高い店にしよっか。どうせ、坂田の奢りだし」

「おいっ!どうせってどういう意味だ!いやそれよりまじでこの子だれ!?まさか拉致ってきたんじゃねえだろうな!?」

「だーからー、ナンパしたって言ってんじゃん。ねー?」

「……」

「困ってんじゃねえか!お前いい加減気分で行動すんのやめろよなっ、毎回俺を巻き込むのもな!」



…どうあがいても、王子様の手のなるほうへ行くしかないようなので、覚悟を決めます。ちょっぴり…、いや、かなり不安ですが。



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