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スミレの花の砂糖づけ  作者: 麦子
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8.牙とおおばか

「いつから早乙女は、携帯依存症になったわけ?」



隣を歩く友人からの、ふとした疑問の声で、自分が最近、携帯電話を手放せないでいることに気が付いた。いつもなら、ポケットに入れっぱなしで、着信があれば気まぐれに触る程度だったはずなのに。



「誰かからの着信でも待ってんの?」



月明かりに揺れる栗色の長い髪、雫がこぼれおちそうな物憂げに伏せられた瞳、震えていた淡い桃色の唇、白すぎる肌。…何故か、あの面倒くさい泣き虫女が頭に浮かんだ。この間の、病院からの帰り道以来一度も姿を見ていない。別にどうでもいいけど。



「おっ、図星っぽい」

「うっせえな。別にどうでもいいんだよ」

「ふうーん」


そういえば、携帯の番号もメールもわざわざ教えてやったというのに、あの女からの返信はあれから一度もきていない。別にどうでもいいけどな!

意味の分からない苛々に舌打ちして、意味もなく携帯の画面を見つめる。隣から、「また気になってる」と友人の含み笑いが聞こえて、更に苛々が増した。だから、別に気になってもねえよ!



「早乙女、早乙女」

「なんだよ、うぜえな」

「お前の、彼女いるよ。ほら、あの気弱そうな長い髪の、1年の子。」

「……は?」



友人が指差す先には、確かにあのトロ女が居た。花のレースがついた檸檬色のワンピースを着て、相変わらず、下を向いてぽつんとベンチに座っている。顔の表情は、あの無駄に長い髪に邪魔されてまったく見えない。積もりに積もった苛々が、すべて一点に集中する感覚。

足が、今向かおうとしていた場所と正反対の方向へと勝手に動き出す。友人の不思議そうな声が背中越しに聞こえた。



「あれ、早乙女帰らないのー?」

「ああ、じゃあな」

「そんなに、あの“彼女”が気になるんだ?へーえ、めっずらしい」

「別にそんなんじゃねえし、野上には関係ねえだろうが。…つーか、あいつもう彼女じゃねーから」

「…あ、そーなんだ」



そう。元々、即席の彼女のつもりで、たまたま近くにいたあの女を選んだだけだった。しばらくは、女避けのためにあいつを利用しようかと思ったが、あの女自体が面倒くさい存在の塊であることに気付いてしまった今は、そんなこと微塵も考えていなかった。

できればもう、関わりたくないのだ。目は合わせねえし、下向いてばっかだし、いつも涙目、しかも笑ったかおなんか見たことない。色々トロいし、…喋ることも出来ねえ面倒くさい女。



それなのに、何故俺の足は、真っ直ぐ迷うことなくあの“面倒の塊”の元へと進むのか。



「おい」

「……」

「…おいって」

「……」

「撫子」

「…!…っ!?」



近づいて声をかけても、こちらに気付いていないのかぴくりとも身体を動かさない。二回呼び掛けても、変化は見られず。仕方なしに、耳元に近付いて声を出すと今度は大袈裟なくらい身体をびくつかせて、ぐりんと勢いつかせて俺の方へと顔を向けた。そのとき、撫子の手から何かがカシャンと地面に落ちた。



「携帯?」



拾おうとしたら、それよりも先に細い腕が目の前を通過して、画面が開いたままの携帯を奪うように取っていった。それから、おずおずと俺を見上げたかと思えば、メモ帳を取り出して何かを書き始める。



『この間は、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。それと、ありがとうございました』



ぺこりと頭を下げられる。口を開こうとした俺を制すように、再びメモ帳に文字を綴っていく。黙々と書いていく撫子の手元をじっと見つめる。字がきれいだとか、爪の色が不健康だなだとか、どうでもいいことをなんとなく観察してしまう。



『と、いうことを携帯電話のメールで早乙女先輩に伝えようと思ったのですが…。機械オンチのわたしには難易度が高く…なかなか思うように打てなくて…。本当にすみません。でも、ついさっきやっと完成したのです』



撫子の文章を読み終えたあとすぐに、自分の携帯が震えた。新着メール一件、もちろん目の前にいる夏目撫子からだ。書かれていたことと全く同じの文章が乗っていたが、ひらがなだらけのそのメールに、不覚にも少し吹き出しそうになってしまった。口元を片手でふさいで、なにもなかったかのように携帯を閉じてポケットにしまう。



『届きましたか?』

「ああ、一応」

『そうですか…』



ゆっくりと動いた口元がほっと息をついて、安堵の表情をした。そのかおを見た瞬間、喉のあたりまで積もっていた苛々がヒュウと抜けていくのを感じた。…なんで俺まで、ほっとしてるんだか。

妙な違和感を胸のあたりに抱えながら、撫子の隣にどかりと座る。それだけで、隣の小さな肩が動揺で震えている。おまけに俺から少しずつ遠ざかろうとしている逃げ腰に気付いて、先程の苛々が復活した。すかさず腕を掴んで、隣に座り直させる。別に、今さら何もしねえっての。面倒くせえ。



「…てか、細い」

『…え?』

「細すぎる。前も思ったけどよ、お前普段ちゃんと飯食ってんのか?この腕のガリガリさ、異常だろ」

『ご飯、ですか?』



考えこむ仕草をしばらくしてから、撫子がゆっくりと首を傾げた。そして、当たり前のようにメモ帳に書き出したことばの数々に、苛々を通り越して目眩がした。思わず、大声を出してしまうほど。



『ひとり暮らしだと、作って食べるのも自分ひとりだけなので、あまり必要性を見出だせなくて…。というか元々食への意識や欲求が薄いほうなのかもしれません。最近は、スープとか乾パンくらいしか口にしていませんし』

「く…食えよ!ば、ばかじゃねえのかお前!おおばかだなお前!乾パンとスープって、監獄かよ!ヒモジイにもほどがあるわ!」

『すっ、すみません!』

「あ"あーー!腹立つ!てめえみてえのが一番ムカつくんだよ!ぶっ倒れるに決まってんだろ、空腹なめんなよコラ!…そんなんで今までよく生きてこられたな!」

『ひとりじゃ、なかったですから…』

「でも今は一人暮らしなんだろうが!あー、もういい。ほら早く立て、行くぞ!」



返事もろくに聞かないまま、立ち上がらせる。力任せに引っ張ろうものなら、簡単にポキリと折れてしまいそうな腕の代わりに、しっかりと手を握って歩きだす。『どこに行くんですか』と、混乱したままの撫子の口元が慌てて動く。



「決まってんだろ。飯、食いに行くんだよ。丁度昼時だしな。…今日は、お前がちゃんと飯食うまで帰さねえから。覚悟しろ」




あー、やっぱ駄目だ。とことん面倒くさいことに巻き込まれている気がしてならない。

だったらどうして引き返さないのかって?そんなの俺が一番知りてえんだよ、畜生が。




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