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スミレの花の砂糖づけ  作者: 麦子
13/14

13.花びらひらり

夏の終わり。

胸の奥に、未消化の謎の物体Xを抱えたまま向かった大学の図書館で、いつか嗅いだことのあるにおいがして立ち止まった。



花のにおいがした。



湯気のような、靄のような、すっきりしない気持ちがさらに掻き回られる。ぐらりと、目眩がした。無意識に凝らせた視線の先には、ミルク色のワンピースがひらりと風に揺られていた。長い前髪を掻き分けながら、本棚を見上げる不安げな横顔は随分と青白く感じた。



「撫子」



つぶやくように、名前を呼んでみた。もちろん、あいつは気付かない。2冊ほど本を抱えて、ふらふらと奥へと歩いていった。俺の足はまた、撫子と同じ方向へと動いていた。



“好きなんでしょ”

“じゃあアレだ、一目惚れだ”



友人のことばが、頭の中で俺のことをばかにするかのように繰り返される。違う、きっとこれはそういうのではない。ただ、気になって仕方がないのだ。放っておけなくて、いつもなにかに怯えていてどこかを見つめている危なっかしい面倒な女。

一度くらい、こっちを、俺のことを、見てくれてもいいじゃねーか。とか、思ってしまうのだ。



“それが恋ってやつじゃないの、ねえ?”



また馬鹿げた友人の戯れ言が俺の脳内を楽しげに突つく。だから、違うって言ってんだろ。しつこいんだよ、どいつもこいつも!例えば、万が一、本当にそうだとしてもだ。他人に気付かされるなんて、嫌すぎるだろう。俺の気持ちを、俺以外の他人が知っているなんて、こんなに不気味なことはない。



だから、はっきりさせてやるのだ。このくだらない堂々巡りも、お終いにしてやる。



標的は、定めた。簡単なことだ。逃げられる前につかまえて、直接目を見て確かめればいいだけの話。そうすればきっと、夏の間ずっと消えなかったこの居心地の悪い感情の正体も、はっきりすることだろう。



「撫子」



名前を呼んだ。今度は、はっきりと聞こえるように。本棚へと伸ばしていた指先を見つめていた撫子の目が一瞬、戸惑うように揺れた。そして、弾かれたように身体をこちらへ向けて、抱えていた本を床に落とした。よし、つかまえるなら今だな。



そうして伸ばした手は、あっけなく空振りした。



「は?」



思わず、声がもれる。聞こえるのは、遠ざかっていくサンダルの音だけだった。行き場を失った腕を、だらりとさげて、すばしっこく去っていった撫子が残していった本を拾い上げる。…あいつ、あんなに行動早かったか?鈍臭いイメージしかなかった撫子の、驚くべき逃げ足の速さ。



…ちょっと待て。

逃げられたのか、俺は。



「……だっさ」



呆気にとられていた俺の背後から、笑いが混じった腹立つ声が聞こえてきた。振り向かないまま、そいつの頭を殴る。すると、何故かさらに笑い声がでかくなった。くそ。



「いつまで、笑ってんだよ」

「いやあ、あまりにも傑作すぎて。早乙女、いい逃げられっぷりでしたね、くっ…」

「…うるっせえな」



開いた本で口元を隠しながら、俺の隣に並んで立ったのは、友人でもあり幼なじみでもある佐々木だった。よっぽどツボにはいったのか、俺の肩に手を乗せて、身体を震わせている。



「つーか、お前勝手に見てんじゃねーよ。課題してろ課題」

「あの子が、噂の夏目ちゃんですか?かわいいですね」

「……かわいくねーわ、あんな女」

「またまたぁ。早乙女の好きそうなタイプじゃないですか」



ニンマリと微笑む気色の悪い口に片手を添えて、佐々木が耳打ちをする。俺は、片眉をあげて機嫌悪く即答した。



「ちげーよ、あんなのタイプじゃねえ」

「ええー?でも、“森の中でひっそり暮らしてそうなワンピースが似合う色白のふわふわ髪の、守ってあげたくなっちゃうような女の子”がタイプなんでしょう?」

「なんだその具体的なイメージ…キメェ…」

「キモいも何も、早乙女が言ってたんじゃないですか」

「いつだよ」

「小学校低学年」

「どんだけ昔のはなし蒸し返してんだよ!」



これだから幼なじみってやつは!、と舌打ちする。どうでもいいことばかり覚えてやがる佐々木の頬を思い切り爪をたてて、抓った。それでも、反省の色を全く見せていない佐々木は、さらにそのお喋りな口を動かしていく。



「そういえばあの子、なんとなく似てません?」

「誰にだよ」

「ウミちゃん」

「いや、似てねー。海はもっとかわいい」

「相変わらず、溺愛してますねえ。……キッモ」

「おい、聞こえてんぞ」



今日何度目かになる佐々木の悪態にムカムカしながらも、撫子が逃げていった図書館の扉をなんとなく見つめた。耳の奥で、何かがカチンと合わさったかのような音がした。

佐々木の発言を認めたくはないけれど、確かに撫子はあいつに少しだけ似ているのかもしれない。塞ぎ込んで、ひとりぼっちでえんえんと部屋のすみで泣いていたちいさい女の子に。だから、こんなにも撫子のことが気がかりでならないのだろう。弱々しい態度に苛々したり、何も語ろうとしない頑なに他人から逸らしたがる瞳を追いかけてしまうのも、全部、あの頃のなにもできなかったふがいない自分を思い出していたから。



きっと、俺は知らず知らずの内にあいつと撫子を重ねあわせていたのだ。



「早乙女?頭抱え込んで、どうしたんです?」

「俺の馬鹿さ加減に嫌気が差してるところだ」

「今さらかよ。本当、だっせーなー、寅くんは」

「おい、敬語忘れて、素になってんぞ」

「あ。やべ。いや、つーかどっちも素だからな?敬語はもう俺の癖っつーか、ポリシーみたいなもんだから。ま、いーじゃん。どうせ今俺と喋ってんの早乙女だけだし」



佐々木が意地の悪い笑顔で俺の背中を叩いた。その反動を押し返すことなく、俺の足は前へと走りだす。とりあえず、追いかけるしかないだろう。ここまできたら、引き返せない。

「青春ですねー」と佐々木の笑う声が聞こえた。やめろ、サムいからそういうこと言うんじゃねえ。



「早乙女ー」



図書館を出たところで、再び佐々木の声がしつこく俺を呼び止めた。なんだよ、と走りながら振り向くと、佐々木が図書館の扉から顔を覗かせて、にやにやしていた。



「夏目ちゃんに会ったら、ちゃんと好きって言うんですよー」

「言うかぁっ!だっから、違うって何度言えばわかるんだお前らはっ!」

「またまたーぁ。恋しちゃってるくせにーぃ」

「うるっせえ、してねーわ!!」



どいつもこいつも、面白ろおかしくからかいやがって!付き合ってられん、と佐々木から目線を逸らして前を向いた途端、壁に激突した。……顔面をやられた。くそ、だからなんでいつもこうなるんだ。

遠くのほうで佐々木が、「うっわ、鈍くせー!」と笑っている声が聞こえてきた。今度会ったら、眼鏡踏み潰してやる。あとな佐々木、撫子に対するこの気持ちはお前らが言うような恋情なんかじゃねえと思うんだ、俺は。



「…好きじゃねーよ。こんなの、ただの同情だろ…」



まあ、任せろ。

走るのは、得意だからな。ぜったい、つかまえてやるよ。




気持ちの整理はつかないけれど、彼女は逃げた。そしてまた、彼は追いかけた。ふたりはやっと、動き出す。

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