メインクエスト・失われた記憶
熱い。そう感じて少年は目を覚ました。
開いた目に真っ先に飛び込んできたのは灰色の空。
曇天という訳ではない。周囲から立ち上る灰色の煙が青空を遮っているようだ。
「っ……なんだ、こりゃあ……」
少年はふらつきながらも体を起こすと辺りの惨状に息を呑んだ。
村が燃えていた。石と木で作られた質素な家屋も、小さな教会も、少年のいる広場の中央にそびえる巨木も、全てが業火に焼かれていた。
そして少年は気づく。何も燃えているのは家や木だけではないということに。
匂いだ。それは『慣れ親しんだ』異臭。その匂いが人の体を高温で焼いたときに発せられる匂いだということを少年は知っていた。
そこで少年は違和感を覚える。慣れ親しんだ、とはどういう事だろうかと。
少年に人が焼ける匂いを嗅いだ記憶はない。
記憶、そこに思い至ったとき、少年は先ほどよりも強い違和感を感じた。
此処は何処だ? 自分は何者だ?
必至に思い出そうとするも、手がかりすら掴めない。
しばらくかけて、少年は自分が何も憶えていないことを知った。
「なんなんだよ……これ……」
気持ち悪い。ひどくめまいがする。まるで今にも地面が崩れそうな錯覚に陥る。
自分の拠り所とする物が何も存在しない。
それがこれほどまでに人を不安定にさせるということを少年は初めて知った。
深呼吸をして気分を落ち着かせる。
なんとか立ち上がれるほどにまで回復したとき、まるでそれは見計らったかのように現れた。
【クエストを受理しました。『メインクエスト・失われた記憶』】
ポン、と小気味よく宙に現れたのは半透明な水色のウィンドウ。
クエストウィンドウだ。少年は知識からそう判断する。
まるで何度も繰り返した動作のように少年はウィンドウを操作する。
すぐにクエスト内容が表示された。
【『メインクエスト・失われた記憶Ⅰ』 燃え盛る村の真ん中で目を覚ました貴方は今までの記憶を全て失っていた。原因も何も分からない。残されたのは今まで培っていた知識のみ。まずは自らが何者かを知る必要がある。――インベントリからIDカードを取り出し自身の情報を得よ――完了0/1】
「インベントリ……IDカード」
知っている。何のことは無く、ただ頭の中で指示するだけだ。
流れるような動作で少年はインベントリからIDカードを取り出し、そこに表示されている情報を見る。
「名前は……ヴィネル。職は『凰鬼』。称号は《炎獄の超越者》レベルは1……歳は19か」
ヴィネルは頭の中で何度も反芻する。それだけでも心は大分平静を取り戻してくる。
『失われた記憶Ⅰ』のクエストが完了状態になる。
すぐに次のクエストが現れた。
【『メインクエスト・失われた記憶Ⅱ』 自身の情報を得た貴方はひとまずの平静を取り戻した。しかし、そんな貴方に敵の影が迫る。生き残るためには戦うしか無い。敵が現れる前に戦闘準備を整えるのだ。――パッシブスキル『炎化』を取得し、インベントリ内にある凰鬼専用の防具を装備せよ――完了0/2】
「敵……ていうか戦うのかよ?」
ヴィネルは自分にそう問いかけるが、まるで戦うのが当たり前の事のようにすんなりと飲み込める。
そう云う風に生きてきたのだろうかとヴィネルは漠然と思い浮かべた。
ヴィネルはスキルウィンドウを表示させるとスキルツリー最上部に位置するスキルを選択する。
パッシブスキル『炎化』。体を炎に変え自在に操ることが出来るスキル。
最初から持っていたスキルポイント1を使用して『炎化』を取得する。
これによって斬撃などの物理攻撃は無効。気を付けるのは魔法のみ。
次いでインベントリを表示させる。
中身は少なく、幾つかの消費アイテムにその他のアイテムは一つしか無い。
『幽世之鬼衣』衣から足袋まで一つのアイテム扱いとなる全身一体型のセットアイテムだ。
ランクはレジェンド級に位置しているが初期状態から装備が可能となる珍しい防具。
効果は脚力200%上昇。単純に考えて走る速度が3倍になるようだ。
ヴィネルが装備を指示するとバサリと音を立てて着用される。今まで身につけていた服は布の服、革の靴としてインベントリ内に収められていた。
見た目の印象がガラリと変わる。その姿を一言で言い表せば『幽鬼』という言葉がしっくり来る。
血の気を感じさせないまでに白い肌。肩まで真っ直ぐに伸びる焼き尽くされた灰のようにくすんだ髪。
とある国で死装束と呼ばれる物に近しい真白の衣はヴィネルを死者のように彩る。
そのなかでも異様なのは女性的に整った顔立ちに灯る炎のような紅蓮の瞳。
ゆらゆらと陽炎のように揺らめくその瞳はもはや人の物とは思えなかった。
これで戦える、とヴィネルが準備を整えるとクエストが完了し、新たなクエストが現れる。
それと同時にもはや跡形も無い村の入り口から4人の男達が現れる。全員が血に濡れた刀剣の類を持ち、その格好から彼らは盗賊のように見える。
【『メインクエスト・失われた記憶Ⅲ』 戦闘準備を整えた貴方の前に敵が現れる。彼らは貴方が『紅蓮の瞳』を持つ者だと知るや否や襲いかかってくる。――盗賊に扮した男達を倒せ――完了0/4】
「『紅蓮の瞳』……? 盗賊に扮したって……盗賊じゃないのか?」
ヴィネルは疑問に思って呟くが答えは出ない。
そうこうしている内に男達はヴィネルの姿を捉える。途端に怯えるように剣を構える。
どうやら敵で間違い無いようだ。ヴィネルはそう確信すると同時に地を蹴った。
「おい、なんだありゃ?」
盗賊の格好をした男の一人が声を上げる。
彼の視線の先には白い男とも女とも思える人影が立っていた。
「……隊長の言った通りか。でも、あんなヤツいなかったよなぁ?」
「あぁ、殺した奴の中にはいなかった。となると、どっかに隠れてたか」
男達は特に警戒もせずに近寄っていく。十分に視認出来る距離まで詰めたとき、一人の男が気づき声をあげる。
「おい……あの瞳、『燃えて』ないか?」
ギクリとその場に居た全員の体が硬直する。
確かにその瞳は燃えているように見えた。今なお燃え盛る村の炎に紛れることを許されない確かな炎がそこにあった。
「戦闘態勢! 『紅蓮の瞳』だ……油断するなっ!」
「おいおい……マジかよ」
「眉唾もんだって言ってたの誰でしたっけ……」
愚痴りながらも統率された動きで刀剣を構え態勢を整える男達。
それは見るからに盗賊では無いと判断出来るほど見事なものだった。
だが、口々に言葉を発する中で最も口数の多いジェイスだけが黙っていることに気づいた男達は冗談めかしながら口を開く。
「おいおい、ジェイス! ぶるってんのか? あんなひょろひょろした――あれ……何処に消えた?」
瞬きをした瞬間に消えた白い標的を探すべく男達は周囲を見回す。
そして、ようやく後方から匂ってくる何かが焦げた異臭に気づいた。
3人が同時に勢い良く振り返る。その場に居た全員が表情を引きつらせた。
炭化していたのだ。男達がジェイスと呼んでいた者は今やただの炭となり地面に投げ出されている。
そしてその隣に居る白い標的――ヴィネルはその細い右腕を紅蓮の炎に変えながらニタリと嗤った。
「まずは一匹……」
「お、のれ! よくもジェイスを!!」
「よせ、ルノー!」
ルノーと呼ばれた男が突出し立ち向かう。
だが、剣を振り上げるよりも速くヴィネルの紅蓮の右腕がその胴を薙いだ。
「が……は……」
「はい、二匹目!」
崩れ落ちるのを待たずに止めが刺される。
あっけもなくやられるその様によって出来た思考の空白を突くようにヴィネルは腕を振るう。
一気に伸びた紅蓮の右腕がもう一人の胸部を刺し貫き、体の内部から焼き尽くす。
これほどまでに凄惨な殺し方をしても眉一つ動かさないヴィネルを前に残された男は恐怖で動くことができなくなっていた。
「三匹目っと、後はアンタだけか」
「助、け……て」
「ダメだ……殺さないとクエストが終わらないだろ?」
男の眼前に着たヴィネルは男の手に握られる剣を物ともせずに立つ。
殺される。男はそう確信し絶望する。だが――
「――待てぃ!!」
野太い声がビリビリと辺りの空気を震わせる。
男達がやってきたのと同じ方向から全身鎧を着た大男が姿を現す。
その姿が目に入った盗賊姿の男は瞳に希望を宿す。
「た、隊長!」
「へぇ、隊長さんが居たんだ……」
男が大男のほうへと顔を向けると同時にヴィネルは紅蓮の右腕を振り下ろし、男を一気に炭化させる。
ヴィネルはそのままちらと見ることすらせずにクエストウィンドウを開き内容を確認し始める。
【『メインクエスト・失われた記憶Ⅳ』 どうやら盗賊に扮した男達にはリーダーがいたようだ。――隊長格であるその男を倒せ――完了0/1】
ヴィネルは内容を確認すると一つ頷いて隊長格の男へと向き直る。
「やっぱり……お次は隊長さんみたいだ」
「『紅蓮の瞳』……お前のような化物がまさか本当に存在しているとはな」
「化物って……非道い言いようだな」
隊長格の男は背負っていた物を手に取り構える。それは巨大な刀身を持つ片刃の野太刀だった。
男は尋常では無い威圧感を放っているが、ヴィネルは何処吹く風と云った表情で相対している。
炎が辺りを蹂躙し続ける中、隊長格の男は吠えた。
「ロディアス帝国軍所属ガンズ・グロード! いざ、紅蓮の瞳を持つ化物を討ち取らん!」
「一応言っておくけど……俺は人間だからな!」
地面が弾けるほどの勢いでヴィネルは駆け出す。
対するガンズはその場で野太刀を大上段に構えた。一刀両断の構え。
高速で迫るヴィネルをガンズはその目に捉える。愚直なまでに一直線に迫り射程範囲に入ったヴィネルを標的に野太刀が勢い良く振り下ろされた。
ガンズは頭、首、胸、腰、の順に見事に両断する。
だが、ヴィネルは全身を炎に変えてなおも前進してゆく。
勢いを全く殺すこと無く、炎と化したヴィネルはガンズの巨体を貫き通し、焼き尽くした。
「……お、前のような……人間が、居る……ものか」
その言葉を最後にガンズは事切れた。
クエストが完了すると同時にヴィネルの体を光の渦が包み、レベルアップを表した。
ヴィネルは燃え盛る村の中でたった一人立ち尽くす。
戦闘で得られた高揚は既に無い。何も、無い。人を殺した後悔も、何も。
「……人間なんだからしょうが無いだろ。現実を否定すんなよ」
現実。ヴィネルは知識として仮想の現実が存在することを知っている。
もしかしたら、今の俺は――そこまで考えて思考を無理やりに終わらせる。
自分が認識する此処こそが『現実』なのだ。
ヴィネルは自分にそう言い聞かせてクエストウィンドウを開く。
【『メインクエスト・記憶を求めて』 ひとまずの危機を乗り越えた貴方は、これから先にはさらなる危機が待ち構えている。既に運命に囚われた貴方は逃げる事は出来ない。生き残り、記憶を取り戻すためには戦うしかないのだ。――完了0/1】
「……逃げることは出来ない、か――ハハッおもしれぇ。やってやろうじゃねぇか」
絶対に生き残って、ついでに記憶を取り戻す。
紅蓮の炎に燃え散らされる村を背にヴィネルは前に進むことを決めた。




