道化が終わる日 Ⅰ
六畳一間程度の広さしか無い木造部屋。備え付けのベッドと机以外は本当に何も無いこの部屋は異常なほど生活感が無い。それもそのはず、この部屋の主にとってここはただのスタート地点でしか無いのだ。
突如、何の前触れも無く最奥の窓際の空間が歪んでゆく。次の瞬間には少年とも、青年とも呼べる男が立っていた。
【ようこそ、センチュリア・オンラインへ!】
聞き慣れた自動アナウンスの声を受け、彼は閉じていた目を開く。
その容姿は様々な意味で人目を引く物だった。
体の正中線を中心に左右で黒と白できっぱりと分かれている道化師のような格好。
三角錐を二つくっつけたような帽子から垣間見える髪の毛は虹の七色で綺麗に彩られている。
化粧でもすれば女性と見間違いそうほど整った相貌。左目から頬にかけては逆五芒星と涙のような赤いメイクが施されている。
元の上質な素材をいっそ見事と言えるまでに服装とアクセサリーがぶち壊した結果な彼のプレイヤーネームは『ヴィネル』。このゲームで唯一『道化』を極める酔狂なプレイヤー。
「さぁさ、今日も張り切って狩るとしますかー」
ヴィネルは呟きながらインベントリ・ウィンドウの表示を頭の中で指示する。ポップアップするように現れた半透明な水色のウィンドウには彼の所持するアイテムが表示されている。
インベントリとは所謂、見えないカバンのようなものだ。このゲームではアイテムを所持する場合、このインベントリに収納することが出来る。出し入れは頭の中で指令を出すだけで出来る優れものだ。
ただし、あくまで『見えない』だけなので重量はそのまま自身に降りかかってくる。
筋力上昇のスキルを取れる職業や高レベルならともかく、初期状態のままだと下手すれば押しつぶされて文字通り地を這う事になる。誰もが初心者の頃は何度か経験するものだ。
インベントリの中には消耗系のアイテムが殆ど残っていない。
そういえば買出しをせずにログアウトしたっけ、とヴィネルは思い返した。
どうやら狩りに行く前にひとまずアイテムを買いにマーケットに行く必要が出てくる。
ヴィネルはひとまずの方針を固めて部屋を出た。
同じような扉が並ぶ廊下を歩き階段を下りるとこの宿屋の一階へとたどり着く。外への扉に向かっている途中でカウンターから声をかけられた。
「こんにちは、今日も冒険ですか? 頑張ってくださいね!」
この宿屋の看板娘が釣られて笑顔になりそうなくらいのとびっきりな笑顔で見送ってくれる。
何処からどう見てもプレイヤーと遜色ないのだが、なんとその正体はNPCだ。
このゲームの欠陥というより、不便な点の一つにNPCとプレイヤーの判別がしにくいことが上げられる。見た目では殆ど区別出来ない。
このNPC達は高性能AIを搭載している上に日々学習し進化もするのだ。
世間話に応えることも出来るし、街中ではNPC同士が噂話に興じてる光景も見受けられるくらいだ。
ヴィネルはNPCである彼女に対し適当に返答しながら宿屋の外へ出た。
宿屋を一歩外に出た途端に通りの喧騒が耳に届いてくる。
内容は店の呼びこみだったりパーティの募集だったりと様々だ。
まるで中世真っ只中のような建物が並ぶこの街は大多数のプレイヤーが活動する中心地だ。
この街に設置されたワープポータルを利用すれば大抵の場所には飛べる故に初心者から上級者まで幅広く集まっている。
様々な格好のプレイヤーが行き来する通りをヴィネルはマーケットに向けて歩き出す。
マーケットとはその名の通り商店や露店の集まっている場所だ。消耗系のアイテムをはじめ、武器や防具、その材料や設計図、レシピなど様々な物が売り買いされている。
初心者用のコモン級アイテムから上級者用のユニーク級アイテム、ゲーム内でたった一つしか存在しないレジェンド級アイテムとその幅は広い。
マーケットに踏み込むとより一層喧騒が強くなる。
ヴィネルは決まった足取りでいつもの場所へ向かう。
人が密集するマーケットの中でも一際密度の高い中心の広場。
いつも同じ場所で露店を構える商人をヴィネルは見つけた。
筋肉質な体と伸び放題のヒゲが特徴の男、よく『鍛冶師』に間違われる事が多いが高レベルの『錬術師』だ。
彼らは一般のアイテムの効果を強化することの出来るスキルを持つ。
アイテムが無ければ戦闘をこなせない『道化』には彼らが神にすら見える。
「よう、マーク! いつものをよろしく」
「ん? あぁ、なんだヴィネルか。ちゃんと品名と個数を言え」
ヴィネルが気さくに話しかけたというのにマークはいかにも頑固オヤジのような表情で応える。
慣れているためかヴィネルはそれを気にする様子は無い。
「相変わらず律儀なだなぁ。お得意様にくらいは良い顔してもいいだろうに……強化松明50個と強化爆弾20個、後最高級ポーション50個ね。代金はいつもと同じ200金で良いか?」
「あぁ……しっかしテメェは本当に金払いがいいな。松明や爆弾なんて欲しがるのはお前だけだが、材料費と錬術の代金合わせてもせいぜい50金行くか行かねぇかだぞ?」
確かにそのとおりだ。松明は銅貨10枚、爆弾は銅貨100枚――つまり銀貨1枚でNPCから買える。
しかしわざわざ錬術する手間を考えると別に200金位払っても別に構わないとヴィネルは考えていた。
「んー……専用アイテムを用意してもらってるような物だからね。あと、俺のこと馬鹿にしないし?」
「ふん、道化を演じるテメェはつまんねぇ。さっさと最強になって俺に貢げ」
「今でも十分に貢いでると思うがなぁ」
別のオンラインゲームで知り合って以来の仲であり、今では完全なネタプレイに走っているようにしか見えないヴィネルをマークは応援してくれていた。
ヴィネルはインベントリから出した金貨袋を渡して注文の品を受け取る。
他に客もいないので軽く雑談をしていると、背後から響いた怒声に一瞬ビクリと体が跳ねた。
ヴィネルは喧嘩でもしてるのかな、と軽い気持ちで振り向くとそこにはメタリックブルーの鎧を着た『竜騎』の男を息荒くしながらヴィネル達の方向を睨みつけていた。
考えること数秒。後ろを振り向いてもマークしかいない。しかし男はヴィネル達の方向を見て怒っているようだ。だがヴィネルはその顔に見覚えはない。ヴィネルはすぐに結論が出た。
「なぁ、マーク。お客さんみたいだぜ」
「てめぇだよ、この道化野郎! とぼけんじゃねぇぞ、あ゛ぁ!?」
「えぇっ!?」
即座に殺気を十二分に満たした怒声がたたきつけられ、困惑するヴィネル。
背後から呆れたような声でツッコミが入る。
「おい、ヴィネル。テメェの客じゃねぇか」
「客……えっと、ジャグリングでも見たいとか? だが残念ながら『道化』にはその手のスキルが無くてなー、いやごめんね、ほんと」
ヴィネルが割と本気でそう言った途端、男は右腕を大きく振りかぶる。
「――『絶冷槍ニヴルヘイム』!」
声と同時何も無い男の手元が歪む。次の瞬間には冷気を纏う水色の長大なランスが握られていた。
「え、ちょ、嘘!?」
「――おらぁっ!!」
力任せに放たれた穂先はヴィネルの腹腔をかき乱し、内臓器を刺し貫いてその体を通過――する前に六角形を連ねたような障壁で阻まれていた。
PVPエリア以外では基本的にプレイヤーからプレイヤーへの攻撃は干渉しない。
これは街から外に出ても通用するこのゲームでの基本的なルールだ。
「……邪魔みてぇだからどいとくぞ」
そう言ってマークはヴィネルの背後から野次馬の群れへと去っていく。
しかもヴィネル達の周囲にあったはずの露店はいつの間にか既に片付き、店主たちはヴィネル達を取り囲んで野次馬と化している。
このような事態に陥ったことに対してヴィネルは全く心当たりがなかった。
「えっと……どちら様でしょうか?」
いきなりランスで突かれたことよりも、周囲の注目に恐縮しながらヴィネルは問いかける。
だが相手は穏便に済ます気は毛頭無く、返答は吠えるようにして行われる。
「ナメてんじゃねぇぞ、ヴィネル! とぼけてねぇで俺のゴルゴンランスを返しやがれ!!」
「ゴルゴンランス……? というかアンタの顔が俺の記憶に無いからきっと妄想か被害妄想か幻想だと思います。冤罪で訴えるぞ、コノヤロウ」
身に覚えの無いことで何故自分が、と若干腹を立てたヴィネルは早口で言葉を紡ぐ。
その時、この場に居る誰もが ブチッ、と何かが切れる幻聴が聞こえた。野次馬の輪が徐々に広がりを見せる。
「4日前……慟哭の迷宮で……テメェは俺を後ろから不意打ちして『K・O』した挙句にドロップした俺のランスを奪いやがっただろうがああああああああああ」
言い切ったところでではぁはぁと荒い息を吐く男。
ヴィネルはそこでようやく記憶を掘り起こす事に成功した。
そう、ヴィネルは確かに背後からの不意打ちで倒していた。
しかし、ヴィネルの記憶にはやけに高価な物落としたな、という印象しか残っていない。
それもそのはず、ヴィネルはGPSマップ上に現れた敵マーカー目がけて攻撃していたのだ。
距離にして射程範囲ぎりぎりの15メートル。照明魔法や松明を使用しても5、6メートルしか先を見通せない『慟哭の迷宮』ではその敵がプレイヤーだったのか、モンスターだったのか判断が出来なかった。
現在の状況をようやく把握したヴィネルは笑みを浮かべて口を開いた。
「それで?」
「…………は?」
「それがどうかしたか? 慟哭の迷宮はPVP認可エリア。負ければ装備アイテムドロップもありうるって知らないわけじゃないだろう? あぁ、後返すのは無理だ。つい2日前に売り払っちゃったしよ」
先ほどまでと打って変わって冷笑を浮かべるヴィネルがそう言うと野次馬はがやがやと騒ぎ立て始める。
事態を静観していた彼らにとってヴィネル達の会話は全くの予想外の物だった。
「冗談だろ? 『道化』が『竜騎』に勝てる訳ないっての」
「でもあの『竜騎』の様子見ろよ……マジっぽくね?」
「『道化』に? あの『竜騎』結構レベル高かったはずだけど……」
『竜騎』の男は息を整えたら頭が冷えたのか急に無表情になった。
次いで、インベントリから一枚のカードを取り出しヴィネルに突きつけてくる。
それはプレイヤーのステータスや経験値などの情報が刻まれたIDカード。
これから行うある行為に必要な道具。
「『決闘』だ」
「……へぇ?」
「分からせてやるよ……俺が『道化』なんかに負けるはずが無いってよぉ!」
『決闘』の申し出。ヴィネルはこの展開に思わずガッツポーズをしそうになる。
『決闘』とは非PVPエリアで対人戦が可能となるシステムだ。
勝てば一般のPVPエリアでプレイヤーを倒すよりも莫大な経験値が手に入る。しかし、負ければ多大な経験値を失う。高レベルになればなるほど忌避されるシステム。
ヴィネルはインベントリからIDカードを取り出し所有経験値を確認する。パーセンテージで表されるそれは99.95%を表示していた。
残り僅かのように思えるが、この数値を100%にしようとすると毎日狩りを続けて2週間は確実にかかる。最後は派手に行こうかな、とヴィネルは密かにほくそ笑んだ。
元来から彼は派手な事が大好きなのだ。
ヴィネルは静かにIDカードを同じように突きつける。
「いいぜ。その『決闘』、受けて立とう」
ヴィネルの宣言と同時に地面が光を放ち魔方陣が描かれる。
システムによって作られた透明な強固なバリアが内外を隔離する。
あっという間にマーケットの中心に即席のバトルフィールドが出来上がった。
【運営管轄PVPシステム『決闘』の起動を確認。これより公式ルールによるPVPを開始します】
フィールドの中央に浮かび上がったのは『Judge』と刻まれた四角いカード。
通称ジャッジ。『決闘』の勝敗判定や司会を務めるシステムだ。
さらに野次馬達はとたんに騒ぎ始める。
恐らく両者高レベルであろう『決闘』に誰もが興奮し囃し立てる。
【PVP中は回復アイテム・回復魔法は禁止となります。これを認めますか?】
「認める!」
「認める」
【敗者から勝者には相応分の経験値が移譲され、敗者は装備アイテム、インベントリの中からアイテムをドロップする確率が発生します。これを認めますか?】
「……認める」
「ふふっ……同じく」
男は即答はせずに苦虫を噛み潰したような表情で絞りだした。それに対してヴィネルの相貌には思わず嘲笑が浮かんでしまう。
ぎり、と歯噛みする音が誰もの耳に聞こえてくるようだった。
【それではこれより『竜騎』《蒼穹の騎道》ファルガ Lv.141 VS――】
ジャッジが職業・装備称号・名前・レベルの順で読み上げる。
装備称号は様々な条件を満たすことで獲得出来る称号であり、装備することで特殊効果を発揮する物も存在している。
現行のレベルキャップが150なのでLv141と言えば普通に高レベルに区分される。
さらに言えば、カンスト組と呼ばれるβテストに参加し育成方法や方針、選択する職業を決めていた者達以外で限界値のレベル――所謂カンストに到達している者が少ない現状で140代はかなりの物だ。
外野がざわざわと騒がしくなり始め、どちらが勝つかなどという賭けもやっているようだ。
言わずもがな『道化』の勝利は大穴扱いだ。
【『道化』《炎獄の超越者》ヴィネル Lv.149 のPVPを行います】
しかし、ヴィネルの紹介がされた瞬間、周囲の音が死んだ。
音が一気に止んだせいで耳が異常をきたしたかのような錯覚を受ける者もいる。
『竜騎』の男――ファルガは呆然とした表情でヴィネルを見ている。
分かりやすく動揺する外野の声がやけに響く。
「『道化』でカンスト直前!? ありえねぇ……夢でも見てるのか?」
「しかもあの称号……確か炎系統の累積与ダメージでワールド1位だったよな」
「『道化』で炎!? 攻撃すらままならないはずだろう!?」
《炎獄の超越者》は装備すると炎をある程度意のままに操ることが出来る便利な能力を付与する称号だ。
ヴィネルは特に意図する事無く取得していた。それは、彼が選んだ『道化』の戦い方が導いた結果だろう。
【カウントスタート、3、2、1――】
野次馬を完璧に無視してジャッジはカウントを始める。
ファルガは我に返りランスを構えす。
『竜騎』は騎乗用の竜を召喚するスキルを持っている。
召喚出来る竜の種類は3種。飛、地、水、それをまず判断する必要がある。
バトルフィールドは狭いがそれでも飛ばれると面倒だとヴィネルは思う。
傾倒する属性と召喚を潰すために、とりあえず先手は取るとヴィネルは方針を固めた。
「な、何がカンスト直前だ……所詮は『道化』だろ? この俺が――」
【It`s Show Time !!】
「――攻撃スキルの無い職に負ける訳がねぇだろうが!!」
「アハハッ!! その『道化』にアンタは負けるのさ!」
ヴィネルはそう哄笑し、松明を一本だけインベントリから取り出して走りだした。