『メインクエスト・帝国の追撃者』 Ⅰ
巨大な扉が軋みをあげながら開いていく。
露になった大部屋の中は今までの通路と違い明かりが無い。
どろり、と絡みつくような錯覚をもたせるほど濃厚な暗闇を前にヴィネルは顔をしかめる。
そういえば松明があったとヴィネルは気づき、インベントリから松明を取り出す。
何も無い空間から現れた松明を前に、エリシアは目を白黒させていたが背を向けていたヴィネルは気づくことはなかった。
松明に着火するとヴィネルの周囲7メートルほどの闇が晴れる。
ヴィネルは後ろに待機しているエリシアに行くぞ、と声をかけてから大部屋の中に進入した。
大部屋は通路と同じ種類の石で出来ており、特にこれと言った障害物は無かった。
壁には通路と同じ物の燭台があるが火は灯されていない。
ヴィネルはGPSマップを表示させ、その上に表示されている敵勢マーカーに向かって進んで行く。
部屋の最奥に面した壁付近にある二つのマーカーは微動だにしない。
マーカーとの距離が20メートルを切ったところで突如として全ての燭台に火が灯り、暗闇を打ち払う。
突然明るくなったことで眩しそうに目を細めるヴィネル。
その視線の先には2人の『敵』がいた。
「おや、本当に此処に来ましたね。……全く、あのお方の『目』はどこまで見えるのやら」
「……必然」
紺色をした司祭服の男と全身を隈なく鋼で覆った騎士甲冑の男が口々に呟く。
全貌が露になった大部屋の中にはブラッディドラゴンは存在せず、目の前の2人しかいない。
初めからいなかったのか、または倒されてしまったのか。
ヴィネルの直感は後者だと告げていた。
好都合だ、このまま隠し通路へ突破してしまえ。そうヴィネルは判断した。
手に持っていた松明を投げ捨てるだけで敢えて何もせずに事態を静観する。
だが、次に起こった2人のアクションでヴィネルは動かざる負えなくなった。
「ふむ……どうやら隠れるのが上手なネズミがいるようですね。――ドエイン、殺していいですよ。位置の補正は必要ですか?」
「無論、不要」
呟きながら背負っていた岩のようにゴツゴツした大剣を騎士甲冑の男は流れるような動作で構える。
そのまま金属の重低音を響かせながらヴィネルから見て右の壁、隠し通路があり今はそこにエリシアがいるはずの場所へと突進していく。
速い。全身を鋼の甲冑で身を包んでいるとは思えないほどの速度で男は地を駆ける。
「――チッ!」
ワンテンポ遅れてヴィネルは舌打ちをしながら地を蹴ると、大剣を構え地を駆ける男の前に立ちはだかる。
割って入ったヴィネルを視認した男はその勢いを殺すこと無く大剣に唸りを上げさせながら右から左へと振るう。
斬撃というよりは殴打のような一撃を相手にヴィネルは体を炎に変えて受け流した。
「仰天……!」
「それなら上を向きな!」
右腕を炎に変えたヴィネルは、大剣を振り切ったままな状態の男目がけて腕を振り下ろす。
炎がまるで意思があるかのようにのたうち回り騎士甲冑の全てを包み込んだ。だが――
「……笑止」
「なっ――!?」
焼かれてもなお男は大剣を構え直す。
確実に殺ったと確信していたヴィネルは予想外の出来事に絶句する。
それに追い打ちをかけるかのように司祭服の男が声を轟かせる。
「――『アクアエンチャント』!」
声に呼応するように騎士甲冑の男の足元に青く輝く魔方陣が出現する。
それと同時に甲冑から大剣まで含んだ全身を青いオーラが包み、ところどころに残っていた炎が音を立てて消え去った。
『アクアエンチャント』は武器や防具に水の属性を付与する魔法だ。
炎属性に対しての属性防御能力の付与、雷属性に対する属性防御能力の減衰。
さらには武器の攻撃時に水属性のダメージが追加される。
ヴィネルが現象を理解するよりも早く、今度は左下から右上へと逆袈裟の軌道で大剣が振るわれる。
大丈夫だ、効かない。そう判断してヴィネルはその攻撃を無視する。
結果は同じだった。青いオーラを纏う大剣はヴィネルに傷一つつける事無くその体を通過する。
「くっ……」
だが、その瞬間ヴィネルに強烈な喪失感が襲いかかった。
斬られた時に生じるはずの激痛は無いが、体の中から何かが流れだすような未知の感覚にヴィネルは思わず膝を付きそうになる。
足元をぐらつかせるヴィネルの背に特徴的な訛りの声が届いた。
「ヴィネル、こっちや!」
ヴィネルが振り向くと先ほどまで無かった壁に人一人分ほどしか無い通路が出現していた。
エリシアが隠し通路からこっちへ来いと手招きする。
ヴィネルはそちらへ向かおう足に力を込めるが、甲冑の男がそうはさせんと体を動かす。
「あかん! 後ろや!!」
肩越しに振り返ると軽々と持ち上げられた大剣が頭上高く構えられていた。
不味い、と瞬時に判断しヴィネルはとっさに横方向へと身を投げ出してなんとか躱す。
だが、男の本当の目的はヴィネルを叩き潰すことではなかった。
「――『ロックアウト』」
石造りの床に食い込む大剣を起点に岩が隆起する。
怒涛のように連続するそれはまたたく間にエリシアのいる隠し通路に迫りその入口を岩で隙間無く塞ぐ。
「エリシア!!」
ヴィネルはエリシアの名を呼ぶが返事はない。
無事だといいのだがと心配が首をもたげるが瞬時に頭を切り替え目の前の敵に集中する。
甲冑の男から距離を取り、すぐさま立ち上がったヴィネルは先ほどまでの喪失感を殆ど感じられない。
代わりに同じ何かが流れ込んでいるような感覚を朧気ながらに感じていた。
未知の感覚に戸惑う中、新たなクエストが現れる。
【『メインクエスト・帝国の追撃者』デザイル地下迷宮第73階層で貴方は帝国の追手に襲撃を受ける。貴方の力を警戒する彼らは対炎用の装備・魔法を備えているようだ。――強化人間『騎士級』ドエイン、『司祭級』レルードを倒せ――完了0/2】
ヴィネルはそれを一瞥して嘆息する。
強化人間が何者かヴィネルは知らなかったが、どうやらドラゴンよりも厄介そうだと漠然と思う。
どうするか、と決めあぐねていると先手を打つように司祭服の男――レルードが口を開く。
魔法に警戒してヴィネルは体を強ばらせるが、レルードはそのつもりは無いようだった。
「おやおや、あまりそう警戒なさらず……今の非礼は詫びましょう。私はロディアス帝国軍所属
『司祭級』強化人間のレルードと申します。そちらの『騎士級』がドエイン。以後お見知りおきを『紅蓮の瞳』」
「……コイツはご丁寧にどうも。俺の名はヴィネルだ。その変な呼称で呼ぶのはやめろ」
「了解致しました。ヴィネル様、ですね。私の話を聞いていただけますでしょうか?」
レルードは丁寧な物腰でヴィネルに語りかける。
ヴィネルはあからさまに訝しげな表情を見せるがやがて「聞かせろ」と先を促す。
了承を得たレルードは微笑を浮かべながら口を開いた。
「簡単に申し上げますと、貴方に帝都ジェルクまでお越しいただきたいのです」
「……なんでか聞いてもいいか?」
「えぇ。我らが皇帝、ディラー・フォルテ・ロディアス陛下は貴方という存在を欲しいとお考えのようです。中には貴方を危険視して排除すべきだと言う者もいますが――陛下の意思は絶対ですから危害が及ぶことはありません。ご安心ください」
どうやらこれは勧誘のようだ。
ヴィネルは記憶を失う以前に皇帝と交流があったのか? と自身を疑う。
「なんで俺なんだ? 言っちゃなんだが俺は皇帝だの何だのが執心するような人間じゃないぞ」
「――『紅蓮の瞳』。曰く、その瞳を持つ者は帝国を揺るがし崩壊させる力すら持っているとか……そのような馬鹿げた存在なら是非手に入れたいと皇帝はおっしゃられましてね? 聞き入れていただけない場合は……捕縛せよと命じられています」
「ハッ……そいつは面白い。お前らは炎を縄で縛れるのか?」
思わず浮かんだヴィネルの嘲笑にレルードの表情がだんだんとサディスティックな色を帯びていく。
人を獲物として見ているような視線で射ぬかれながらも、ヴィネルはその視線を真っ向から受け止めながら構えた。
これは予定調和。答えは既に決まりきっている問答だ。
何のことはない。目の前の2人はクエストの『ターゲット』なのだから。
ドエインがレルードとヴィネルの間に割り込み大剣を構える。
前衛と後衛がきっぱりと分かれたコンビのようだ。
ヴィネルは挑発するように手招きする。
「来いよ、教会で他人の懺悔でも聞いてたほうがマシだったって思わせてやるよ」
「それでは貴方の懺悔で耳を潤すとしましょうか。悲鳴を伴うと、なおよしですが」
レルードの言葉を皮切りに、ヴィネルは脚部に力を込めると地面を這うように跳んだ。
「――阻止」
後衛のレルードへと肉薄するがその行く手をドエインに阻まれる。
振り上げられる青いオーラを纏った大剣。
ヴィネルの脳裏に先ほど感じた奇妙な感覚が想起される。
舌打ち一つ。ヴィネルは袈裟懸けにされるのを恐れ身をかがめて躱す。
大剣が勢い余って床を叩き割ると同時にヴィネルはドエインの懐に潜りこんだ。
「――『烈火』」
ヴィネルは『烈火』で形成した掌で兜を鷲掴みにする。
常人が触れれば炭化は免れない焦熱が襲っているはずだが、ドエインは動きを止める気配が無い。
「――無益」
無造作に振るわれる大剣に胴を薙がれながらもヴィネルは後退して距離を取った。
再び喪失感がその身を襲い思考を揺さぶられながらもヴィネルは歯噛みする。
二度の攻撃を直撃させても動きが鈍ることのないドエインを前にヴィネルは属性防御の脅威を痛感させられた。
属性防御は炎や水、風などによる属性的なダメージを減衰させる力を持つ。
クエストの内容には対炎の装備をしているとあった。
それに加えて水属性の付与により炎属性であるヴィネルの攻撃が大幅に減衰されているのだ。
今のドエインは倒せない。
そう判断したヴィネルはまず先にレルードを叩くべく駆け出す。
作戦は強行突破。大剣を振り回し迎撃するドエインを突き抜けるように地を蹴る。
腹を真一文字に切り裂かれまたもヴィネルを喪失感が襲うが、覚悟していたヴィネルはそれを押し殺してドエインを通過する――成功。
「――『砲火』」
ヴィネルは走りながらも『砲火』を発動させると、勢いよく発射された火球がレルードへと迫る。
「――『アクアシールド』」
レルードの眼前に巨大な水の盾が出現し、火球を受け止めて蒸発する。
だが、その間にヴィネルとレルードの距離が10メートルを切る。
殺れる。ドエインの速度はヴィネルを上回っていないため追い付かれることはない。
ラストスパートのためにヴィネルは地を蹴って跳び――――そのまま宙に固定された。
「……は?」
唖然とするヴィネルの体は全くピクリとも動かない。
時間が停止したのかと思わせる光景を前にレルードはしてやったりといった表情で笑う。
「んっふっふっふ!! まんまと掛かりましたねぇ……ここまで事が上手く運ぶと逆に罠に掛けられてる気分になりますよ」
「一体何が……」
「申し遅れました。私、グランドスパイダーの力を移植されてまして……獲物を捕えるのは大得意なんですよ」
レルードの声を受けてヴィネルは自身の体に目を凝らすと、至る所に糸が絡み付いているのがかろうじて分かった。
グランドスパイダーは主に森の中に生息する魔物だ。
木々の間に不可視性の高く強靭な糸を張り、そこを通った獲物を餌食にする。
レルードはその特徴を受け継いだ強化人間だった。
トリックが分かれば対処は容易い。
ヴィネルは全身を炎に変えて脱出しようとするが、体だけが燃えるばかりで捕らえられたままだ。
再度糸を注視したヴィネルは全ての糸がうっすらと青いオーラに包まれているのが分かった。
「既にエンチャント済みですからねぇ、無駄ですよ。そして、今の貴方にこれを避ける術は無い」
レルードの眼前に青色の魔方陣が描かれる。
その表情は狂気的に歪み、サディスティックな本性を顕にしていた。
「一応は弱らせるつもりですが、この程度で死ぬようならどの道要らないでしょう――『ハイドロブラスト』!」
魔方陣から激しい勢いの水柱が放たれる。
動けないヴィネルにそれは直撃しその体に絡み付いていた糸を断ち切りながら地面とは水平に飛ぶ。
壁まで到達した水柱はようやくその勢いを止めた。
壁に叩き付けられたヴィネルはぼろ雑巾のように床に投げ出される。
急速に何かが流れ出す感覚と共にその視界は徐々に色を失い、やがて闇に閉ざされていった。