灯る紅蓮、迫る運命
73階層に進入してから数時間が経過する。
ヴィネルとエリシアはモンスターやトラップの脅威に晒されること無く、ついには巨人用に造られたとしか思えない巨大な扉の前に無傷で辿り着いていた。
「うっわー……見事にウチ何もしてへん。折角ウチの華麗な短剣技を披露してヴィネルに、キャー! カッコイイー! ステキー! みたいな黄色い声出させよう思っとったのに……」
「んな声を誰が出すか……まぁ、そこまで自信があるなら近接戦は任せるとするかな」
わーい! と嬉しそうにはしゃぐエリシアを尻目にヴィネルはGPSマップに目を落とす。
そこにはこの先にある大部屋に隠し通路があることを示していた。
それを見たエリシアは「やっぱりここか」と呟く。
話によると、一度ギルド主催の探索クエストで潜ったときに当たりをつけていたとの事だった。
エリシアはそうそう、とたった今思いついたように口を開く。
「そういえばヴィネルは炎以外は操れるん?」
「いや、無理だな」
『凰鬼』には炎系統以外のスキルが存在しない。
中には『烈火』のように物理ダメージを伴うスキルも存在するが、別系統の属性は取得出来ない。
ヴィネルがそう答えるとエリシアは困ったように悩む。
「あちゃー……どないしよか」
「何か問題でもあるのか?」
「この先の部屋にな、ブラッディドラゴンがおんねん。それをどうにかせんと進めへん」
『ブラッディドラゴン』は炎系統の竜種『レッドドラゴン』の上位種であり並の冒険者では全く歯の立たないモンスターだ。
体はその名の通り血のような赤黒い色の鱗で覆われているのが特徴で炎を操るモンスターの中ではトップクラスの実力を持っている。
だが、ヴィネルはその情報を持っていない。
思わず首をかしげてしまうヴィネルにエリシアは申し訳なさそうな表情で言葉を続ける。
「あ、記憶が無いんやったな。すまんすまん……『ブラッディドラゴン』は炎系の竜種でな、炎が効かないねん。それでヴィネルが炎以外扱えるか聞いたんやけど……」
「あー……確かに相性最悪だな」
厳密に言えば『知識』は残っているのだが特に言及することでもないとヴィネルは判断した。
ヴィネルはエリシアへと向けていた視線をGPSマップへと向け直す。
大部屋の中には敵勢マーカーが二つ表示されていた。
おそらくはそのどちらかが話に上った『ブラッディドラゴン』だろう。
意外なところで壁が立ちはだかりヴィネルはしばらくの間思い悩む。
「……スルー出来ねぇのか?」
ヴィネルが出した結論は『受け流す』。所謂、君子危うきに近寄らずである。
炎が効かないとなると、ヴィネルによる攻撃は殆ど封じられたと言っても過言ではない。
『烈火』による物理ダメージはあくまでおまけ程度であり大した期待は出来ない。
ましてやドラゴンのような硬質な鱗を持つモンスターを対象にすれば毛ほどのダメージも与えられないだろう。
ヴィネルの提案にエリシアは思案する。
「うーん……気配を最大限まで消せば何とか行けるかもしれん。ウチは慣れてるから余裕やけど、ヴィネルはどう? 出来る?」
「気配を消す……具体的にどのくらいまで?」
「んー……このくらい」
そう言った瞬間、エリシアの姿が音も立てずに掻き消える。
それは気配を消す、というレベルではなく、完全に世界から消えたように見えた。
ヴィネルが絶句し、キョロキョロと前後左右を見渡している内に先ほどと全く同じ位置にエリシアの姿が現れる。
エリシアは誇らしげな表情でヴィネルに聞く。
「どや?」
「無理です」
即答。エリシアの気配を消す技量を以てすればドラゴンごときの目を欺くなんて余裕だろうとそう思わせるには十分な代物だった。
そこでヴィネルははたと気づく。
エリシアだけでも『消える』ことが出来るなら行けるんじゃないか、と。
「エリシア、今みたいに気配を消しながら隠し通路を通れるか?」
「よほど変な造りやなければ行けると思うで。何か思いついたん?」
ヴィネルはエリシアに作戦を説明する。
その作戦は単純な物だった。
まずヴィネルが先に大部屋の中に進入する。
そしてヴィネルが中にいるモンスターの注意を引きつけている内にエリシアが気配を殺しながら進入。
GPSマップで隠し通路の大体の位置を予め確認しておき、エリシアはそこへ向かう。
エリシアが無事に隠し通路へと入ってからヴィネルも隠し通路へと脱出する。
説明を受け終えたエリシアは心配するような瞳でヴィネルを見つめる。
「……じぶん、それで大丈夫か?」
「あぁ、俺は体を炎に出来るから爪とか牙は……ぁ」
至近距離での上目遣いに内心鼓動を早めていたヴィネルはうっかりと舌を滑らせる。
自身の体が一般とはかけ離れていることを自覚しているヴィネルはしまった、と内心焦るが――
「へぇ、それなら案外いけそうやな。でもいくら体が炎に出来るいうても油断したらあかんで? ドラゴンのブレスを受けたらダメージは負うやろうし……何へんな顔してんの、じぶん?」
「えっと……驚かねぇの?」
恐る恐る聞くヴィネルにエリシアは不思議そうな表情を浮かべた。
その様子は何を当たり前の事を、とでも言いたそうに見える。
「確かに珍しいけど……そう云う体の奴も他におるで? 特に今から行くメルティエ王国には他の国よりも多いはずや」
「へぇ、そう……なのか。――――くっ……ははっ、あははははは!!」
エリシアの軽い口調でもたらされる情報にヴィネルは突然、高らかに笑い声を上げる。
驚いた表情のエリシアが見守る中、ヴィネルは天を仰ぎしばらく笑い続けた。
やがて、顔を下ろしたヴィネルの相貌を見てエリシアは息を呑む。
まるで何かが吹っ切れたかのようにヴィネルのその表情は勝気に満ち溢れていた。
儚げな印象を与えるような顔立ちにも関わらず、エリシアはヴィネルのそれに獣のような獰猛な力強さを感じる。
そんな中、エリシアが魅入られていたのはその瞳。
その瞳は燃えていた。
先ほどまでのような揺らめく炎ではなく、全てを灼き尽くし灰塵へと還しそうな業火だ。
触れればただでは済まされない。そう悟らせるには十分な地獄の猛火を宿している。
その瞳は正しく『紅蓮の瞳』と呼ぶに相応しい物となっていた。
「んだよ……気にする必要なんて無かったか」
「ぇ……ぁ……うん」
ヴィネルはぽーっとなったまま動かないエリシアの顔の前で手を上下させて正気に戻す。
燭台の灯に照らされたその顔は、まるで恋する乙女のように赤く染まっていた。
「ん……おい、顔赤いけど大丈夫か?」
「あ、赤っ――――そ、そんなことあらへんわ! これは……その……あれや、燭台の灯に照らされてるだけや!」
「……さいですか」
「ホンマやで!?」
「いや、もう分かったっての。……とりあえず行こうぜ。今のテンションならドラゴン相手に素手でも何とかなる気がする。主に気合で!」
「や、それは無理やろ」
エリシアのツッコミを受けながらヴィネルが巨大な扉を手で押すと、重たいそれは軋みをあげながら開いていく。
刻々と逃れられぬ『運命』が近付いていることを、ヴィネルは未だ知らない。