A子のBGM
A子は心に病を持ってた。鬱病、ヒステリー。通勤時、職場の休憩、必ずイヤホンをして音楽を聞いていた、それだけが彼女の空間だった。それでも人とふれあい感動する感受性は誰より深かった。
私が警備員の仕事をしていた頃、友人から夜間電話対応のアルバイトに一緒に面接行かないかと誘われた。
バンドやらなんやらと金欠病ではあったので一緒に行くことにした。 新宿の某ビルにて、面接というよりかは最初から研修のようなものだった。
自分を含め若い人が多く、隣には背の猫背の女の子が座っていて、触れるなと言わんばかりのオーラが漂っていた。オタクっぽいというか。浮いてるようで、どこか姿を消している感じに思えた。
特に女性として意識は出来ない・・・それでもどこか気になってしょうがない。A子との最初の出会いだった。そして研修は終わり、数日後、初勤務に・・・
私と友人は結局別々の班に別れてしまい。 偶然にも研修で隣に居た子が一緒だった。
はじめましての挨拶にもこちらなら質問責めするばかり、会話?というか、私が一方的に質問責めしているようで、A子は少し引いていた。
職場で何度か顔を会わせるうち 彼女の方から声をかけてくれるようにもなり、お互いプライベートな会話もするようになった。
A子は小柄で童顔、服も質素ながらも大のロック好きで、見た目にはよらず男気の強い子だった。
でも人をあまり寄せ付けようとはせず、休憩には必ずイヤホンをして音楽を聴きっぱなし、誰とも積極的に会話はしようとはしない。 こちらが触れれば少し相手になろう。という感じだ。
それからしばらく、飲みに誘ってみると、A子はいつもとは違う服装で出勤してきた。
いつもの振る舞いとは裏腹に女性らしさが漂う。
飲み会ではテンションが高く職場と見せる顔がガラリと代わり、笑い上戸で誰にでも気軽に話をかけていた。
飲み会が終わり、帰り道彼女と二人きりになり日常的な会話をする。そして彼女はこう呟いた。「ある日をきっかけに、他人に対して猜疑心を感じるようになって・・・」
私は気になり、友人として何か力になれればと思い、尋ねた。
「何か有った?言いなよ。」
彼女は少し感情的になり「何で言わなきゃいけないの? 話を聞いて何になるの?勉強?」
少し呆れ私は「友人だから聞いたんだろ、せっかく打ち解け合えると思ったんだけどね。 ま〜気が向いたら話な。」
彼女は少し反省の色を見せつつ。サヨナラをして別の改札へと向かった。
この日を境に、ヒステリーで半分鬱で全く人を寄せ付けなかった彼女が。幾度か私を友人のライブや飲み会などに誘ってくれるようになった。
そして僕はバイトを辞め、私は元の仕事をメインに、彼女は派遣の仕事をやりはじめたが、その後も変わりなくメールなど連絡を取り合い。たまにお互いの友人同士の飲み会に集った。 ある日カラオケに行くことになり初めて彼女の歌声を聞いた。
下手だった・・・とにかく音痴だ。バンドをやっていた私にとっては酷い・・としか言えない。 でもその純粋で未完成な透き通る声と、頑張って歌う姿勢は飽きが無かった。 むしろモノマネ上手の歌を聞くより。
私は決めた「バンドやってみない?遊び感覚でいいから。 習い事やってる訳じゃないし、歌のレッスン感覚で」
彼女は乗り気では無かったが、つまらなかったらすぐ辞めるを条件に、マンツーマンから二人でのバンドを始めた。
いつも私がスタジオを予約し、 駅で待ち合わせ、2時間ほどの練習に浸る。 私から何を言われようとも、怯まず、彼女はひたむきに練習した。
知り合いのベースのBとドラマーのKを呼びサポートとして加入してもらった。
Kは忙しく、メインのバンドはプロの事務所から声がかかっていた。
そして皆そろいスタジオに入った。ある日ドラマーのKが言った。「この歌詞の意味が解らない。どういうニュアンスで叩けばいい?」自分とA子とBはヒィーリングは合っていたが、Kは違っていた。あくまでも良いものを作る。
明らかな上から目線だった。
ちょっと前までは、彼とはお互い自分で立ち上げたバンドのリーダー同士、競争しあった仲間だった、私はいつの間にかバンドを夢で食って生きたい仕事としてのとらえ方では無く、見せるものというより、ただ楽しめるもの、それでいいと、お互いの価値観は変わっていた。
A子は不快な表情になり、練習が終わりKが帰り、B含め3人でフォミレスへ行った。A子は本音を言う
「あの人が居るなら、私辞める、楽しむ為のことなのに・・・」
かといって他のドラムの友人もメインのバンドが忙しく、ちょっと遊びでなど手伝ってくれる奴はいない。
私は決めた「解った、でも他のドラムは忙しくてできないから、リズムマシン使ってやるよ。A子が望むようなバンド形式では無いけど・・・」
A子「やだよ、それじゃ最初思い描いてたのと違うし、じゃ辞める。」
「解った、じゃまた探せばいいんだろ、お前も探せよな」
ってな訳で、皆で探すことになったがドラマーは結局最後まで見つからなかった。
楽譜も無い歌をベースに即興で弾く、下手くそなバンドだったが楽しかった。
そしてようやくライブハウスを予約しブッキングだが、ライブの予定が決まった。
このバンドを組んで最初で最後となるが。これによってA子の今後、何が変わり、どう運命が変わるのか。楽しみだった。
だから必ず、途中で諦めさせたくなかった。
ドラムが見つからなくなり、それからも、A子が辞めると言ったことは何度も有った。
例えば、私が仕事で疲れ、口数が少なく、表情がやつれてるだけで暗いから辞めると言ったり。 とにかく面倒くさい。
でもそこまでして何故私も彼女の為にって、思うのも不思議な感情だった。 兄弟でもない、彼女でもない。勿論恋愛感情もなかった。彼女に魅力が無い訳では無く、当時私には付き合ってる人がいたし、(私の彼女の友人にA子と二人で歩いてるのを何度か目撃され、誤解を招いた)A子にも片思いの人が居るのを知っていた。
A子は昔、5年以上付き合っていた彼氏が居た、だが実は彼氏は別の彼女が出来ており、結婚すると言われて別れを告げられた。A子の友人も一部は知っている人がいて、A子は全てを裏切られたと言った。
そしてその傷をずっと引きずってきてきた。当時はその彼氏もバンドを組んでいたが、まさか自分がバンドを組んで、ボーカルまでやるとは思っても居なかっただろう。
ある日A子にバーベキューに誘われた。
相模原の多摩川川沿い、彼女の友人数人の中に前にも有ったことがあるD君が居た。
A子はよく彼のことを私に語ってくれた。
A子は彼に恋し、彼には彼女が居た。
夜になり私はDと二人でぼんやりキャンプファイヤーを眺めていた。私は聞いた「今彼女とはどぅなん? まだ付き合ってるんでしょ?」
D「うん・・・別れてはいないけど、しばらく会ってないんだ、喧嘩した訳でも無く、何だろ、お互い冷めきってるというか・・・」
俺「そもそもなんとなく付き合ってみたって感じだろ、別に好きな人が居るなら別れて、すぐ行動に移せ。で?誰よ? え?今日ここに来てる?あ〜別った 多分。 ん〜多分俺の勘では両思いだね、今日告白しろ、絶対 上手くいく。間違いない。絶対だって! ま〜飲みな。」
私は酔った勢いで彼を後押しし、ドラマチックな展開を作ろうと試みた。
俺「そういえばA子が言ってたよ、好きな奴がいるんだけどその人は彼氏が居るからどうのって、、俺はD君のことだと思うがどぅだろ、ほら、アピールしてこい」 ってな具合で無い話を有ったかのように伝え、いつの間にか私自身が酔いつぶれ、 友達と線香花火しながらたそがれていた。 ふと、A子とD君がいないことに気づき、友人と一緒に探して見つけた。
川の浅瀬に二人腰まで浸かり、月の下で抱き合う。
友人とは見なかったことにして、二人の報告を待つことにした。 不気味なくらい、A子は私が思うように進んで、そして少しずつ遠くなっていった。
ある日の事A子はこれまでスタジオに入る時遅刻するってことは無かった、遅れる場合も必ずメールでよこしてきた。 だがある日大幅に遅刻してきた日が有った。
私は新曲が出来て、とりあえず良いかどうか歌だけでも聴いて欲しいと思い、18時に某駅前に約束した。 15分前に到着していたが彼女からメールが届く。
(3年ぶりの友人から急に食事誘われた!1時間くらい遅れます!)
仕方なく、私は喫茶店で暇を潰すが、実際にはA子は1時間友達と過ごし1時間かけてここへ到着。つまり1時間経過後(今行きます)ってメールが有ってその1時間後に到着した。2時間待った。
A子は酔っぱらっていた。
合流し説教して、スタジオへ入る。私は不機嫌ながらも彼女が書いた歌詞に歌をのせた新曲を 聴かせる。
A子は顔をうつむき、目を両手で隠して泣いた。
曲が終わり「そんなに泣くまで 責めたつもりないんだけど・・・」A子「ちがう、ちがうんだ・・・やろう、練習」
そして練習を終え、スタジオ近くのファミレスで二人で夕食をした時、A子「K君にはライブのこと言わないで、ビックリさせたいし。」 俺「わかった、ところで付き合ってんの?」
A子は少し照れながらめ顔を振るが、Kはすでに付き合ってた彼女とは別れてるということだった。 俺「付き合ってるんだろ。まぁいいことだ。良かったな。ライブ、うまくいくといいな。下手でもいいんだよ。本気でやれば。
そうしてお互い別れて、その日は最後の個人練習になった。
なぜ俺はA子の為にここまでやろうと思うんだろう。音楽は自分の為だけの快楽で終わらせるのが嫌だったのだろうと思う。
夢、いつまに夢をストレスに変えてしまっていた。
自分で追い求めるがあまりに、本来官能すべき素晴らしさや楽器同士で混ざり合うインスピレーションを忘れていた。彼女はそれを教えて くれた
そして日々は過ぎ、ライブ当日となる。
A子はいつもより綺麗で、初めて女に見えた。 Bと3人でファミレスで過ごし、ライブハウスへ向かう。A子より私の方が緊張していた。 時間となりステージへと立つ K君がホールで立ってA子を見つめる。 彼女は少し震えた声でMCをし、その後間にMCを入れることなく楽曲を進めライブは終わった。
そしてA子とのユニットの日々も終わった。仕事の予定も有り帰りは打ち上げも無く記念撮影を済ませ解散となった。
ラストの曲はハッピーエンドという曲だった。 作詞はA子が作った曲だ。 A子はこれまでの人生を、ここでハッピーエンドと区切り、そして新たにスタートする。 それ以後私は東京から地方へと引っ越した。引っ越しの数週間前にA子と食事をした。今まで、そしてこれからのことを話し、お互い別れた。彼女に会うのはそれが最後だった。その後数週間そして今もA子とは連絡を取り合っている。 彼女はBと一緒にバンドを組み、それを生き甲斐に謳歌してるようだった。
《あとがき》
ビートルズ、ストーンズ、イーグルス、近頃のjpopや海外の音楽はよくCMやラジオで聴くが、昔と違う点はBGM化音楽を映像と楽しむ。マイケルジャクソンという見せる音楽のカリスマが居たことで、音楽の歴史は覆され、日本ではEXILEやジャニーズ等のイケメン+歌はまさにそのはしりといえる。
クラシックにしても、ロックにしてもジャズにしてもいつの時代にも時代の背景には音楽が有って、歴史を物語っている。
いつの時代にしろ廃れることのない様々な音楽は、誰にでもあるだろう。 だがカートコバーンやシドビシャス、ジミヘン、そしてマイケルジャクソンのように純粋に音楽に生き、音楽で純粋に自分の魂を時代に蹴りを入れて ある意味の正義を貫いた亡きスーパースター達の用な生きざまが、今の時代こそまた必要とされるのでは無いかと思う。彼らは純粋に生き、人生を嘆き、それを音楽にし、最後は人に愛され死んだ。人に希望や生き甲斐を持たせる音楽、メディアにBGMが流れるのは、人の感情や人生や時代の歴史を刻む為のもので有り、人が癒しや刺激を求める、人の人生に無くては欠かせないものであると思う。