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エピローグ:鉄格子の向こうの静かなる協奏曲

東京拘置所、一年後。


 独房の壁は無機質な灰色で、それはかつて勤務していた東京医科大学病院の廊下を思い出させた。ここには消毒液やホルマリンの匂いはない。ただ、薄い毛布の埃っぽさと、部屋の隅に沈殿する絶望の匂いだけが漂っている。


 琴葉朱里はベッドの上に静かに座っていた。かつて整えられていた髪は短く切り揃えられ、かつての面影は薄れている。しかし、その瞳だけは――エドの指導の下で医療に従事していたあの頃と同じ、鋭い光を宿していた。


「エド、見てる? 今日、新しい『患者』を見つけたのよ」

 朱里は誰もいない独房の隅に向かって囁いた。


刑務官たちにとって、朱里は最も奇妙で、かつ最も静かな囚人だった。独り言を呟く姿が頻繁に目撃され、その指先は常に何かに取り憑かれたように動いていた。まるで、目に見えないメスを操り、空中に複雑な解剖図を描いているかのように。


「琴葉受刑者、昼食の時間だ」

 女性刑務官の冷ややかな声が響く。


 朱里は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。その笑みに、刑務官は言いようのない不安を覚える。

「ありがとうございます。でも、エドが言ったの。まずこの手順を終わらせなきゃいけないって。私の心にある迷い……彼が望んだ通り、もうすぐ取り除けそうなの」


 この塀の中では、朱里は才能ある医師としてではなく、執着に囚われた「狂った女」として知られている。


 地下研究室に残された証拠があまりに凄惨であったため、当局は彼女の主張を退けた。社会は彼女を「残虐な事件の共犯者」と見なしたが、朱里の精神世界では、自分は愛のために全てを捧げた存在に過ぎなかった。


 毎夜、小さな換気口の向こうで新宿に雪が降る頃――彼女には想像することしかできないが――朱里は静かに瞳を閉じる。すると、エドの存在を身近に感じ、かつての執刀室の響きを聴き、独房の隅に立つミオの幻影を見るのだ。


「私たちは永遠になったのよ、エド」

 彼女は自分の手首を抱きしめながら呟いた。

「誰も邪魔する者はいない。ここにはあなたと私、そして私たちを繋ぐ絆だけがある」


 独房の外、刑務所の精神科医が記した朱里のカルテには、ただ一行の結論だけが残されていた。


『患者はもはや独立した自己を保持していない。彼女は犬神エドという人物への執着に完全に飲み込まれている』


 近代的な新宿の街から、彼らの名前は歴史から抹消された。しかし、独房の暗闇の中で、朱里の歪んだ協奏曲は今、幕を開けたばかりだ。


 ――そしてこの旋律に、終わりが来ることは二度とない。


---完---


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

『新宿の冷たい解剖室』、いかがでしたでしょうか。

愛とは何か、狂気とは何か。朱里が選んだ結末は、彼女にとっての唯一の救いだったのかもしれません。

この物語が、皆様の心に少しでも深く、そして冷たく刻まれることを願っています。

また次の物語でお会いしましょう。完結までのお付き合い、心より感謝申し上げます。


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