届いた一通のメール
そのメールに気づいたのは、夜だった。
ソファに座って、なんとなくスマホを眺めていたとき。
見慣れない差出人。
英語のタイトル。
「あ」
思わず声が出る。
クルーズ会社からだった。
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開く。
画面に並ぶ写真。
青い海。
白い船体。
夕焼けのデッキ。
胸の奥が、少しだけざわつく。
「どうした?」
キッチンから拓真が顔を出す。
「船のメール来てる」
「もう営業か」
笑いながら隣に座る。
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新しい航路の案内だった。
春限定。
南の島を巡るコース。
写真の海は、前に見た色より少し明るい。
「行く?」
冗談みたいに聞く。
「どうだろうな」
拓真はすぐには答えない。
それが、なんだか心地いい。
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前なら、きっと考えていた。
休みは取れるか。
費用はいくらか。
行く意味はあるか。
でも今は違う。
行くかどうかより。
“選べる未来がある”ことが嬉しかった。
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「すぐじゃなくていいか」
私が言う。
「だな」
「また行きたくなったらで」
「うん」
短いやり取り。
でも、ちゃんと同じ気持ちだった。
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メールを閉じる。
削除はしない。
お気に入りにも入れない。
ただ、そのまま残しておく。
次の旅みたいに。
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窓を開けると、夜風が入ってきた。
遠くで車の走る音。
見慣れた街の匂い。
海の音は聞こえない。
でも、不思議と寂しくなかった。
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「週末さ」
拓真が言う。
「うん?」
「ちょっと遠くまで走るか」
「いいね」
「海、寄る?」
少しだけ笑ってしまう。
「寄ろうか」
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旅は、特別な場所に行くことじゃなかった。
一緒に動き出すことだった。
あの船が教えてくれたのは、たぶんそれだ。
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スマホの画面が静かに暗くなる。
次の予定は、まだない。
でも私たちは知っている。
また、どこかへ行く日が来ることを。
急がなくても。
決めなくても。
旅はきっと、これからも続いていく。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
大きな事件が起こる物語ではありませんでしたが、
夫婦ふたりの旅の時間を、少しでも一緒に歩いていただけたなら嬉しいです。
クルーズの旅は終わりましたが、
日常に戻ったあとも、きっと小さな旅は続いていくのだと思います。
もしこの物語が、
少しゆっくりしてみようかな、
どこかへ出かけてみようかな、
そんな気持ちのきっかけになっていたら幸いです。
またどこかの物語でお会いできたら嬉しいです。
本当にありがとうございました。




