⑧
阿吽の深層、番人の間。
石座に腰を下ろしたレイは、まだ完全に戻らない指先を握ったり開いたりしていた。
「……まだ固いな」
ユイがちらりと見て、鼻で笑う。
「当たり前でしょ。正面から無色に触れたんだから。
治すなら――固め、濃いめ、多めで、よ」
「薬の話だよな?」
「色の話でもある」
番人は二人のやり取りを静かに眺めていたが、やがて口を開いた。
「ユイ。そろそろ話す時だ」
ユイの肩が、わずかに強張る。
「……長くない?」
「長い。だが、避けては通れぬ」
ユイは一度、目を閉じた。
そして、ゆっくりと語り始める。
「無色王が現れる前、私の一族は“観測者”だった。
混ざらない色を守るために、混ざりすぎた未来を見張る役」
「それが……レッドフィール?」
「いいえ。もっと地味で、もっと影」
幻影が浮かぶ。
白い塔の地下、記録の間。
そこに立つ若き日のメガロと、もう一人の男。
「……昨日見たやつだよな?」
レイが息をのむ。
「番人の記録にあった人物だ」
ユイは頷く。
「その人の名前はニック。
無色王を最初に“人として”研究した学者」
番人が低く補足する。
「ニックはいいヤツだよ。
少なくとも、世界を救おうとしていた」
ユイの声が、少し震える。
「でも、無色は研究できなかった。
近づいたものから、意味を削いでいく」
幻影の中で、ニックの身体が徐々に灰色に変わっていく。
「そのとき、メガロは選択した」
レイが問いかける。
「……何を?」
「封印じゃない。“転写”よ」
ユイは、はっきりと言った。
「無色王の核を、ニックに移した。
人の意志で縛るために」
番人が目を伏せる。
「成功しかけた。だが代償は大きかった」
レイは理解し始めていた。
「……だからメガロは」
「そう」
ユイは続ける。
「ニックを“失敗例”として切り捨てた。
でも私は、最後に彼と話した」
幻影が切り替わる。
崩れかけた地下で、灰色の男が微笑む。
「『世界は嫌いじゃない』って言ってた」
ユイは拳を握る。
「だから私は忍びになった。
メガロの影から真実を探すために」
レイは、低く呟く。
「……今の今までか」
「そうよ。
あんたに会うまで、正面に立つ人間を信じられなかった」
番人は、最後にこう告げた。
「メガロは賢者だ。だが無垢ではない。
彼は無色王を“倒す”つもりはない」
「じゃあ、何を?」
「完成させるつもりだ」
沈黙。
レイは、固まりかけた指を見つめ、苦く笑った。
「……まるでカチカチのやつだ」
ユイが小さく笑う。
「でもね、完全に固まる前なら――削れる」
レイは立ち上がった。
「ニックを救えるか?」
ユイは、真っ直ぐに答えた。
「分からない。
でも、救おうとする価値はある」
番人は二人を見て、ゆっくりと頷いた。
「正面に立つ者と、影に生きる者。
そして、過ちを背負った賢者」
物語は、次の段階へ進む。
――無色王は敵ではない。
**完成されてしまった“答え”**なのだ。
それを壊すのか、塗り替えるのか。
選ぶのは、レイだった。




