⑤
ユイが煙の中に消えてから、どれほどの時間が経っただろうか。
レイは一人、阿吽の中央広間に立っていた。
巨大な円環の床には、かつての世界地図が刻まれている。
番人が姿を現し、杖で一つの大陸を指し示した。
「あの大陸はかつて緑だったんだ」
刻まれた石は、今や灰色にひび割れている。
「色が混ざりすぎ、争い、そして枯れた。
逃げた者、隠れた者、影に生きた者……それでも世界は止まらなかった」
番人の視線が、まっすぐレイを射抜く。
「だから“正面に立つ者”が必要になる」
レイは一歩、前に出た。
「逃げないってことか」
「違う。逃げることも隠れることも理解したうえで、なお立つことだ」
突然、床から力の奔流が噴き上がる。
圧倒的な重圧に、レイの膝が軋む。
「正気でござるか?」
思わず漏れた言葉とは裏腹に、彼の瞳は揺れなかった。
「……力こそパワー!」
叫ぶと同時に、全身に紫が走る。
だがそれは暴走ではない。抑制された、研ぎ澄まされた光だった。
「心はダイヤモンドのように硬い。だが、俺の頭は氷のように冷静だ」
番人は、満足そうに頷く。
「感情に溺れず、理だけにも逃げぬ。
その均衡こそ、正面に立つ資格」
力の奔流が引いた瞬間、レイはふらついた。
番人が小さく笑う。
「万能ではないな」
「当たり前だろ。必要なのはビタミンとCだ……あと休憩」
その軽口に、空気が一瞬和らぐ。
だが次の瞬間、番人の目が見開かれた。
「……し、白目だと?」
レイの瞳が一瞬、完全な白に染まる。
それは“色を受け止める器”の証だった。
「すべてを混ぜるためではない。
すべてを正面から受けるための目」
そのとき、影の縁からユイが姿を現した。
「……やっぱり、あんたなのね」
レイは苦笑しながら答える。
「影が必要なら、正面も必要だろ?」
阿吽の円環が、静かに回り始める。
世界は再び、動き出そうとしていた。
――逃げる者、混ざる者、守る者。
そして、立つ者。
レイは、その最後の役割を選ばれたのだった。




