③
壺の色が静まると同時に、実験室の壁がゆっくりと崩れ始めた。
紫の石片が霧となって剥がれ落ち、その向こうに、かつての街並みが現れる。
「……幻影?」
レイが一歩踏み出すと、床石が鳴った。
「踵が軋むな……ここ、現実に近い」
忍びの少女――名をユイと名乗ったことは、まだ一度もない――は、街の中央に立つ白い塔を見つめ、わずかに息を詰めた。
「ここは……私の故郷」
街に人影が現れる。
その中心で、赤い外套をまとった少年が高らかに宣言する。
「我は救世の民、レッドフィールである」
その言葉に、レイは振り返った。
「救世の民……? それってどういう意味?」
ユイは唇を噛み、答える。
「色を“固定”する一族。赤は赤のまま、白は白のまま。混ざることを許されなかった人たち」
白い塔の上から、老いた賢者の幻影が街を見下ろしていた。
レイは、その姿に見覚えがあった。
「……メガロ?」
ユイは冷たく言い放つ。
「メガロも衰えたな。あの人は、色は混ざることで意味を持つって言ってた……でも、止められなかった」
幻影の中で、争いが起こる。
赤と白がぶつかり合い、街は崩壊していく。
突然、幻のユイが誰かに背後から捕まれた。
「――っ、脇の下はだめだ!」
思わず叫んだその声が、現在のユイと重なる。
レイは驚き、現実の彼女を引き寄せた。
「大丈夫だ、ここはもう過去だ」
だがユイは、レイの腕を振りほどき、白い塔を睨みつける。
「……それでも」
彼女は、はっきりと言った。
「白は譲らない。全部を混ぜればいいわけじゃない。守る色だって、ある」
その瞬間、幻影は砕け散り、再び阿吽の遺跡が姿を現す。
番人の声が、どこからともなく響いた。
「混ざることを恐れ、混ざらぬことを選んだ者。
その矛盾を抱えたまま、なお進むか?」
レイはユイを見た。
彼女の瞳には、過去と後悔、そして確かな意志が宿っていた。
「進むさ」
彼はそう言って、紫の光の奥へ足を踏み出す。
混ざらぬ色を抱えたままでも、歩くことはできる。
阿吽は、それを拒まなかった。
――そして物語は、次の“境界”へと進んでいく。




