殿下の婚約破棄宣言を破棄します
今回は読みやすく文字数少なめ。
王立学園の卒業記念舞踏会。シャンデリアが煌めく大広間の中心で、その宣言は高らかに響き渡る。
「アリシア・フォン・ベルンシュタイン! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
第一王子である、オスカー殿下の声は音楽の余韻を切り裂き、会場を凍りつかせた。彼の腕には庇護欲をそそる小柄な男爵令嬢リーアがしがみついている。
周囲の貴族たちは扇子で口元を隠し、好奇と憐憫の眼差しを私に向けた。
私は手元のグラスを近くの給仕の盆に静かに戻し、あらかじめ想定されていた事態に対する『手順書』を脳内で検索する。感情はいらない。必要なのは正確な事実確認と法的な整合性のみ。
私は一歩前に進み出ると、カーテシーを披露して、無表情のまま口を開く。
「オスカー殿下、ただいまの発言は聞き捨てなりません」
私の冷静な声に、殿下は鼻を鳴らす。
「ふん、往生際が悪いぞ。貴様がリーアに対して陰湿な嫌がらせを行っていたことは調査済みだ。未来の国母として相応しくない性根の持ち主とは、これ以上共に歩めぬ!」
「嫌がらせの真偽については後ほど証拠能力の検証を行います。私が問題視しているのは、そこではありません」
私は懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
それは王家の紋章が入った正式な書状の写し。
「殿下、貴方様と私の婚約は、ベルンシュタイン公爵家と王家との間で締結された『国家特別契約』に基づいています。この契約の第4条2項にはこうあります。『本契約の解除、すなわち婚約の破棄を申し立てる場合、国王陛下の勅許、ならびに枢密院の承認を経た上で、破棄希望日の30日前までに書面にて通達しなければならない』と」
私は淡々と、しかし会場の隅々まで通る声で続ける。
「現在、そのような書面は我が家に届いておりません。また、陛下や枢密院からの通達もございません。従って、今の殿下の宣言は、『手続き上の重大な不備』により無効です」
「な、なんだと……う、うるさい! これは王命に等しい私の意志だ! 書類ごときで愛の力が止められると思うな!」
「愛の力ですか。それは詩的で素晴らしいですが、法治国家においては法的拘束力を持ちません」
私は冷徹に切り捨てた。
「つまり、私は貴方様の『婚約破棄宣言』を正式に破棄いたします。現状、我々の婚約関係は継続中であり、法的には何ら変更はありません」
会場がざわめき始める。ただの痴話喧嘩だと思われていたが、話は法廷で争う空気に変わった。
「屁理屈を言うな! 私は次期国王だぞ!」
「いいえ、現時点ではあくまで王太子であり、王権の代行者ではありません。それに殿下、もう一つ重大な事実をお忘れではありませんか?」
私は眼鏡の位置を指先で直し、きらりと光らせた。
「この婚約契約には、『ベルンシュタイン公爵家による王家債務の肩代わり』が付帯条件として組み込まれています。もし正当な理由なく一方的に婚約を破棄する場合、王家は即座に過去10年分の融資額に利息を上乗せして一括返済しなければなりません。その額、国家予算の約3年分に相当しますが……お支払いになれますか?」
殿下の顔から血の気が引いていくのが見えた。
隣で震えていたリーアが涙目で叫ぶ。
「ひどいです、アリシア様! お金の話で私たちを引き裂こうとするなんて……愛はお金じゃ買えません!」
「ええ、買えませんね。ですが国は買えますし、国を滅ぼすこともできます」
私がリーアに向き直ると、彼女はビクリと肩を震わせた。
「リーア様、貴女は『真実の愛』と仰いますが、貴女のご実家である男爵家の領地経営状況はご存知ですか? 昨年、一昨年と凶作に見舞われ、領民への支援金も底をついているはずです。その補填を行っているのは、我が公爵家が管理する王家支援基金であることも」
「え……?」
「殿下が、私との婚約を破棄なされば、その瞬間に王家は破産状態に陥ります。当然、支援基金も凍結。貴女の領地への支援も止まります。愛のために領民を飢えさせるお覚悟はおありですか?」
リーアは言葉を失い、殿下の袖を掴んでいた手が力なく滑り落ちた。
殿下は脂汗を流しながら、必死に反論を試みる。
「だ、だが貴様はリーアを虐めているのだ! 教科書を隠したり、ドレスを切り裂いたりしただろう! それは契約解除の『正当な理由』になるはずだ!」
「その件ですか……」
私は控えていた執事を手招きし、分厚いファイルを一冊受け取った。
「『事案番号402:リーア男爵令嬢に対する嫌がらせ疑惑に関する調査報告書』。こちらをご覧ください」
私は報告書を広げ、殿下の目の前に突きつける。
「教科書紛失の件。これはリーア様が中庭のベンチに置き忘れたものを、親切な清掃員が保管していただけです。清掃員の証言と発見時の日誌の記録があります。次にドレスの件ですが、これは安価な生地を使用したため、ダンスの激しい動きに耐え切れず、縫製が弾けただけです。王室御用達の仕立屋による鑑定書を添付してあります」
ページをめくる音が静まり返った会場に響く。
「その他に階段から突き落とされたという件ですが、その時刻は図書室で王立アカデミーの教授と討論をしておりました。教授を含む5名の証人がいます。さて、殿下。これでも私が『有責』であると主張されますか?」
殿下は口をパクパクとさせている。
反論の余地は完全に断たれた。
だが、ここで終わらせては『事務処理』にならない。
「殿下は虚偽の事実に基づき、公衆の面前で私の名誉を毀損しました。さらに国家間の契約にも等しい婚約を個人的な感情と不備だらけの手続きで破棄しようとしました。これらは王族としてあるまじき失態であり、契約違反の『予備行為』と見なされます」
私は一歩、殿下に詰め寄る。
「よって、私は以下の条件提示を行います。第一に、本日の『婚約破棄宣言』の完全撤回。第二に、今回の騒動に対する慰謝料の支払い。第三に、今後一切の国政関与の禁止、及び王位継承権の返上を求めます」
「王位継承権の返上だと……!?」
殿下が叫ぶと同時に、大広間の扉が重々しく開かれた。
現れたのは厳しい表情をした国王陛下と、枢密院の重鎮たちだった。
「騒がしいと思えば……オスカー、お前は何を馬鹿なことをしている」
陛下の低い声が響く。殿下は「ち、父上!」と、すがりつこうとしたが、近衛兵に制止された。
「アリシア嬢の申告通りだ。かねてより、お前の振る舞いとリーア嬢への入れ込みよう、そして政務への無関心さは報告を受けていた。今回の舞踏会で何かしでかすであろうこともな」
「そ、そんな……知っていて、止めてくださらなかったのですか!?」
「止めたところで、お前は隠れてやるだけだ。公衆の面前で、貴族たちの前で、お前の『無能』と『契約に対する軽視』を露呈させる必要があった」
国王陛下は私に向き直り、深々と頷いた。
「アリシア嬢、我が愚息が大変な無礼を働いた。ベルンシュタイン公爵家との契約に則り、王太子の処分は契約条項の制裁として処理させてもらおう」
「賢明なご判断に感謝いたします、陛下。我が家としても王家との関係断絶は望むところではありません。ですが、契約の相手が『信用に足る人物』に変更されることが継続の条件となります」
「うむ、オスカーの王位継承権を剥奪し、地方の修道院へ送る。代わって、第二王子のセオドアを王太子とし、アリシア嬢の新たな婚約者としたいが、いかがか?」
第二王子のセオドア殿下。オスカー殿下とは違い、勤勉で聡明、そして何より私の『事務処理能力』を高く評価してくれている方だ。
「異存ございません。セオドア殿下であれば、共にこの国の財政再建と法整備を進めていけるでしょう」
「ま、待ってくれ、父上! アリシア! 私は修道院など行きたくない! リーア、お前も何か言ってくれ!」
オスカー殿下が喚くが、リーアはすでに青ざめた顔で後ずさり、人混みに紛れて逃げようとしていた。彼女もまた、計算高い貴族の一人。沈む船には乗らないのだろう。
「連れて行け」
陛下の冷徹な命令により、オスカー殿下は両脇を抱えられ、ズルズルと会場から引きずり出されていった。その姿は、かつて私が愛そうと努力した相手とは思えないほど情けなく、小さかった。
◇
騒動が収束し、舞踏会が再開された。
ただし空気は一変している。貴族たちは、私を単なる『捨てられた可哀想な令嬢』ではなく、『王家すらも契約で縛る、油断ならない次期王妃』として見るようになった。
バルコニーで夜風に当たっていると、背後から控えめな足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには穏やかな笑みを浮かべた第二王子、セオドア殿下が立っていた。
「災難だったね、アリシア」
「いいえ、想定の範囲内です。リスクマネジメントの一環として処理いたしました」
「ふふ、君らしいな。……兄上は愚かだったが、一つだけ感謝しなければならないことがある」
セオドア殿下は私の隣に並び、手すりに手を置いた。
「彼が君を手放してくれたおかげで、僕が君の隣に立てるようになったことだ。僕は以前から君のその冷徹なまでの知性と、その奥にある国への献身を尊敬していたんだ」
「……お戯れを。私はただ効率的な運用を好むだけです」
「それがいいんだ。……アリシア、これからは契約書だけでなく、信頼という絆で結ばれたパートナーになりたいと思っている。君の計算の中に『幸福』という変数は入っているかい?」
私は少しだけ目を見開いた。
――幸福。
数式や条文には表れない不確定な要素。
だが、セオドア殿下の真摯な瞳を見ていると、悪くない計算違いが起きそうな予感がする。
「……計算してみましょう。変数は多いですが、貴方様とならば、解は『正』になると推測されます」
「それは光栄だ」
セオドア殿下が差し出した手を取る。
指先に触れた体温は冷たい契約書よりもずっと温かく、私の胸の奥の計算をわずかに狂わせた。
オスカー殿下による婚約破棄は、私の手続きによって破棄され、より強固で、より合理的な、そしておそらくは、少しだけ温かい『新たな契約』へと書き換えられた。
私は絡めた指をほどかず、セオドア殿下を見上げる。
「私の最優先事項になってしまっても……異議はありませんわね?」
「異議なんてないさ。むしろ光栄だ」
「……では、本契約の条項が一つ残っています」
「その条項とは何かな?」
「それは――」
私が答えようとした時、セオドア殿下の腕が腰に回り、静かに抱き寄せられた。
契約書よりも確かな熱が、そこにあった。
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