07.内覧会おつかれさま
内覧会2日目の片付けがひと通り終わり、院内に残っているのはスタッフだけになっていた。
受付の前や診療台の近くには使い終えた物がまとまって置かれ、行き交う足音も少なくなっている。
その中で、スタッフが輪になるように集まっていた。
「2日目!無事終わりったで!!」
志帆の声がその場を切り替える合図になった。
言葉に合わせて何人かの肩が一度上下し、そこでようやく力を抜いたような体勢になる。
「やった~~~!!!」
大地が両腕を軽く上げる。
その動きに合わせて、周囲からも小さな笑いがこぼれた。
「終わりましたね!内覧会!」
智子が改めて言葉にすると、それぞれが今日の流れを頭の中でなぞるようにする。
受付、案内、説明、質疑応答。いくつもの場面が思い出のように並び直された。
「直樹さんが作ってくれたパンフレットと、医療ギルドの人たちが作ったデンタルクリニックの説明書のおかけで……。初日と比べると楽やったわ!!」
志帆が手元の紙束を軽く持ち上げる。
厚みのある紙束には、今日一日で何度も指が触れた跡が残っている。
「やっぱ大きいバックがつくと違いますね」
しおりがそう言って、紙束へ視線を向ける。
一人では用意しきれなかった内容が、きちんと形になっていた。
「あの、言い方よ………」
あすかが小さく突っ込む。
何人かの視線がしおりに向かい、そこで短い笑いが一つ増えた。
「……まぁ明日まで内覧会をする必要はなくなったから……」
志帆が、紙束を机に戻しながら言葉を続ける。
内覧会の予定として押さえられていた日程が、ここで区切られる。
「なくなったから???」
大和が聞き返す。
予定表の中に書かれていた「内覧会3日目」という文字が、頭の中で消されていく。
「明日は1日お休みです!!」
志帆の宣言に合わせて、そこにいた全員の体が一度動いた。
「やった~~~~」
声が重なり、何人かがその場で小さく跳ねた。
仕事着のままではあるが、反応だけは素直だった。
「そのかわり、明後日からは開業の準備をしっかりしてもらうからね!」
志帆の視線が、輪の中を順番になぞっていく。
誰の顔も笑ったままだが、その中にこれからの作業の量がうっすらと想像される。
「は~い」
返事がいくつも重なる。
手を挙げる者もいれば、軽く顎を引くだけの者もいるが、方向は揃っていた。
「……まぁ、その………私たちの基準でやっていいのかも分からないからね……」
志帆の視線が、院内全体をひと回りする。
日本での常識と、この世界での常識。そのどちらで線を引くべきかはまだはっきりしていない。
「それはそう」
全員から、同じ感想が口々に漏れた。
誰も反論はしない。どこに基準を置くか決めきれていないのは全員同じだった。
「………副院長!」
少し間を置いてから、大和の声が志帆を呼んだ。
輪の中で視線が一斉に大和へ向く。
「なんや?」
志帆が軽く顎を上げて、続きを促す。
「……ほかのギルドに登録してもいいですか?!」
大和の言葉に、場の空気が少しだけ変わった。
仕事の話から、一歩外側の話題に切り替わる。
「……いや、好きにすればええけど……」
志帆は即答した。
止める理由は特に思い浮かばない。
ただ、その先に何が待っているのかまでは予想がつかない。
「異世界にきたらやっぱり冒険者に登録してダンジョンを……」
大和の目が、まだ見ぬ場所へ向けられたように少し遠くを見た。
この世界の外側に広がっているはずの何かを、頭の中で描いているのが、言葉の選び方だけでも分かる。
「ケガして働けなくなったらどうするの?」
あすかの一言が、大和の想像に現実を差し込む。
白衣や制服、器具、診療台。どれも清潔であることが前提だ。
「……そんな危険なことはしないですよ。……それに、この世界の常識を学ぶなら一応ほかのギルドに所属しておいて情報収集を……」
大和は言葉を継いだ。
やみくもに危険な真似をするつもりではなく、知るための手段として考えていることが分かる言い方だった。
「仕方ないなぁ……私も登録しますよ」
陽菜が肩をすくめるようにして言った。
本気で止めるつもりではないが、放っておくのも不安が残る、という態度だ。
「まじ?!」
大和が顔を上げる。
予想していなかった返事に、目の動きがはっきり変わった。
「これでも狩りは得意ですから」
陽菜はさらりと言い切る。
その言葉に、何人かが同時に瞬きをした。
「………なんの?」
あすかが慎重に問い直す。
この世界での狩りなのか、別の意味なのか、その差は大きい。
「モン〇ン」
陽菜の口から出た答えは、聞き慣れた単語だった。
誰かの頭の中でゲーム画面が思い出され、モンスターを相手にしているはずなのに、どこか現実味の薄い映像が重なる。
「いや、それはなんか違う」
あすかが間髪入れずに突っ込む。
周囲から小さな笑いが漏れ、さっきまでの緊張のようなものが少しほぐれた。
「あの……副院長……」
そこで直樹が声をかける。
先ほどまでのやり取りとは違う方向からの用件なのが、声音の低さだけでも伝わってきた。
「……なんや?」
志帆の視線が直樹に向く。
軽い雑談の流れから、仕事の話に戻るような気配が、言葉の前に挟まる。
「院長は………」
直樹が言いよどんだところで、全員の視線が自然と院内を見回した。
無事内覧会が終わってスタッフ一同とお疲れ様のねぎらい会をしているのに院長の姿が見当たらない。
さっきまで受付にいたときの姿は思い出せるが、今この場にはいない。
「………あの人は……」
志帆が少しだけ言葉を止める。
その間に、全員の視線が志帆へ集まった。
「院長は……?」
誰からともなく同じ言葉がこぼれる。
探す前に、まず居場所を聞いたほうが早いと全員が判断しているのが、そのそろい方だけでも分かる。
全員ゴクリと唾を飲み込む。
喉の動きが一斉に上下し、その数だけ小さな音が重なった。
「……いろいろとキャパオーバーで終わったと同時に3番チェアで固まってる」
志帆が、少し投げやりなような、しかし状況をそのまま知らせる口調で言う。
負荷のかかり方を一つひとつ説明する代わりに、その一言で全てまとめてしまった。
「……キャパオーバー…」
あすかが言葉を繰り返す。
今日一日で真人が受けた内容を、その単語に押し込めるしかないという現実が、その場に残る。
「固まってるんですか……」
直樹の声が少しだけ低くなる。
いつも指示を出している側の人間が、動けない状態にあるという事実だけが、はっきり残った。
「……こうなると思ったけどな……」
志帆は特に驚いた様子も見せずに付け足す。
今日の内覧会が始まる前から、こうなる可能性は頭のどこかに置いていたような言い方だった。
「内覧会中は気合と根性だけで乗り切ったわけか……」
智子が短くまとめる。
診療の技術や説明の上手さだけではなく、その場を支えるための勢いも全部使い切ったのだと、言葉の並べ方だけでも伝わってくる。
「そういうこと」
志帆があっさりと認める。
否定する余地は最初からなかった。
全員3番チェアの方向を見る。
頭の向きがそろい、院内の一角へ視線が集まる。
3番チェアのところでは笑顔で固まっている真人が立っていた。
診療台のそばに置かれた椅子の横、患者を迎える位置に立ったまま、表情だけが診療中と同じ形を保っている。
声も動きもなく、姿勢だけがその場に残っていた。




