04.オンライン資格確認の悲劇
診療室の空気は落ち着いていた。
チェアが静かに並び、その上に乗る光の層だけがかすかに揺れている。
人の動きは少なく、声が落ちるたびに場の空気が静かに寄り集まった。
「まずは診療をする部屋から…」
リンの声が入口側から滑り込み、空気の向きがわずかに変わる。
「チェアは全部で6台あります。それぞれに患者さん座ってもらって、私、院長、大地先生で見ていきます。大和くんやあすかさん、智子さんたち衛生士さんは治療ではなく、私たち歯科医師の指示のもと口腔ケアを中心に指導をしていきます」
志帆の声がチェアの配置をなぞるように広がっていく。
「歯科医師っていうのは分かったけど、衛生士っていうのは結局のところ…」
サムの言葉が室内の中央あたりで止まり、その先の空気が小さく揺れた。
「志帆先生たち歯科医師の指示の下に、口の中の病気の予防処置、歯科医師の診療の補助、歯磨き指導を中心とした口腔ケアの指導なんかもします」
智子の声は落ち着いていて、器具に当たる光と同じように静かに響く。
「すべては歯科医師の指示の元なんですね…」
リンの言葉がやわらかく落ち、場が一度整った。
「はい。それが我々歯科衛生士の役割です」
智子の返事が空気に沈み、小さな層となって広がる。
「ふむふむ…」
短くつぶやく声が、診療室の隅へ滑った。
そのあと、いくつかの質問と返答が交わされた。
声の高さが変わるたび、空気がわずかに動き、その場にいる全員の立ち位置が静かに浮かび上がる。
「実際の技術に関しては今度受けるからその時にってところだな」
サムの言葉が一度場をまとめる。
「まぁ、言葉で聞くより実際に体験した方がいいですからね」
リンの声が軽く広がり、室内にやさしい間が落ちた。
扉の向こうから新しい声が伸びてくる。
「志帆~……休憩交代するよ~」
音が診療室の光を揺らし、気配がそちらへ向いた。
「……あ……」
志帆の声が短くこぼれた。
「しまった……」
大和の声が落ち、場に小さな沈みが生まれる。
「休憩ずらせばよかった……」
智子の言葉が、胸の高さでゆっくり消えていく。
「おお!マコト先生。今日は広報の者を連れてきたから色々をまた教えてもらうよ」
サムの声が空気を押し戻すように前へ出た。
「あ、サムさん。どうぞどうぞ色々聞いてください」
真人の声は軽く響き、明るさだけがわずかに目立つ。
「初めまして。広報担当のリンです」
リンの声が真人へ向かい、その部分の空気が少し締まる。
「……………初めまして。院長の真人です」
返ってきた声は落ち着いていた。
薄い間が空き、その間に周囲の気配がそっと寄り集まる。
「インチョーのマコトさん。お願いします」
リンの言葉がふわりと広がった。
(あれ?意外に平気?)
声にはならない驚きだけが同じ方向を向いた。
「じゃぁ、インチョーさんも交えて……。ずばりあなたにとってほほえみデンタルクリニックとは何ですか?」
問いが真正面に置かれる。
「……生まれてから死ぬまで。笑顔で生活をできるように支援する場です」
真人の声がゆっくり流れ、言葉が重なり合うように広がった。
「すばらしい理念ですね」
サムの声が、その広がりに触れる。
「うん。いい感じのデンタルクリニック紹介ページができそうです。完全予約制という理由もきっと皆さん納得してくれると思います。いや、それは私たちの役目なのでお任せください」
リンの声が先へ進み、その場をやわらかくまとめる。
「はい。よろしくお願いします!!」
真人の声が明るさを残し、そのまま空気に溶けていった。
真人はリンと握手をする。
その小さな動きが二人のあいだで短く交差し、離れていく。
「さて……戻ってほほえみデンタルのことをまとめるか」
サムの声が動きの方向を決める。
「そうですね!!」
リンの声が同じ流れに乗る。
診療室から受付へ向かう空気が静かに引いていった。
「……ん?なんだこの白い機械は……カードを入れてください???」
サムの声が途切れ、空気が止まる。
受付の一角で、白い機械が光を受けていた。
その前に落ちる影が、誰のものともわからないほど細く固まる。
全員はその存在に気付いて言葉を失う。
喉の奥が動かないまま、視線だけがゆっくり集まる。
(し……しまった!!片付けておくの忘れてた!!)
(まずいまずい!これの説明なんてむずいで!!)
(志帆さんどうするですか!!)
(しまった…私としたことが失念していました)
(天下のパ〇ソニック製のカードリーダー……この国では無力…)
視線が交差し、小さな震えが密かに往復する。
その緊張を知らない声だけが届いた。
「これは、オンライン資格確認システムといいまして…。ここにこういう個人カードを入れて……本人確認をします。で、画面に色々質問が出てくるんでこたえてもらって……。これでおわりです。入手した情報は、こっち側にある機械で読み込みます。個人情報なのでお見せできないですが……」
真人の説明が途切れず流れる。
その滑らかさが、張り詰めた空気とまるで噛み合っていない。
(いんちょ~~~~~~~~~~~~!!)
胸の奥で思いが重なり、声にならない響きだけが広がる。
「へぇ…わしのカードもつかえるのか?」
サムの声が機械の前で止まった。
「個人カードがあるなら使えますよ~。保険情報紐づいているでしょうし」
真人の声は明るく、空気の重さと逆方向へ流れた。
「ほぉ…ちょっとやってみるかな」
サムの一言で、その流れが決定づけられる。
(終わった……)
天井へ向かう視線が一斉に上がる。
声は出ないまま、重さだけがそこに残った。




