02. 夕暮れの最終チェック
院内にはまだ明かりが残っていた。
診療室の照明が白く床を照らし、チェアの影が細長く伸びている。
受付では紙袋やパンフレットが積まれ、診療室では器具棚やユニット周りの位置確認が続いていた。
スタッフそれぞれが動線を通って歩き、物の位置や状態を確かめながら、明日の内覧会に向けて最後の準備を仕上げていく。
夕暮れの名残が窓の外にわずかに残り、院内には静かな足音だけが重なっていた。
「直樹君。明日お客さんに渡す用のキシリトールの飴とか歯ブラシとかのサンプルはあるかい?」
真人が受付側へ向けて声を出す。
直樹は箱を抱えたまま顔を上げ、手元のサンプル袋を指先で揺らした。
「十分な数を確保しています。まぁ、マウスウォッシュは少ないですが」
直樹は箱の中身を確認しながら言う。
袋同士が触れ合い、わずかに擦れる音が響いた。
「マウスウォッシュは今後の予約をしてくれた人用だから・・・。ええんちゃう?まぁなくなったとしても歯磨き粉も準備してあるし」
志帆がタブレットを閉じてカウンターへ置いた。
画面の反射が白衣の胸元で一度揺れ、そのまま照明に溶けていく。
「風船膨らますのつかれたよ~」
しおりがカウンター横に腰をかけたまま、机の上に積まれた風船の山を見つめる。
空気の入った風船が数十個まとまって揺れていた。
「志帆せんせ~……20個膨らませたんですけど、初動準備としてはいいですか?」
ゆかが風船の袋を片手に持って尋ねる。
袋の口がわずかに開き、中の風船が色をのぞかせている。
「足りなくなったらその都度膨らませばええからな。ええんとちゃう?」
志帆がゆかに向けて言う。
ゆかは胸の前で袋を抱え直し、軽く頷いた。
「……歯科用CTの説明は……」
大地がCTの前に立ち、取扱説明の紙に目を落とした。
ページをめくる指先がゆっくりと動く。
「それより大地先生がCTやパノラマ、デンタルの説明をしっかりできるかですよね」
美里が横で資料の端をのぞき込みながら言う。
声をかけたあと、手元のメモを握り直した。
「それはそう」
志帆が短く返し、視線を大地の動きへ向けた。
あすかが器具棚の扉を軽く押さえながら姿勢を整える。
「自費診療のことについては私たち衛生士にお任せください!」
声が診療室の中央へ届く。
あすかは胸の前で指先をそろえ、棚の扉を閉じた。
つむぎが受付へ向かい、展示用の販売棚やパンフレットの位置を整える。
「受付回りや販売品、感染対策ついても大丈夫完璧です!」
パンフレットの角が揃い、机の上の並びが一定の線を描いた。
「さすがやなぁ」
志帆がつむぎの動きを見て一言を返す。
真人が診療チェアの隣で目元に指を当てる。
その指先が小さく震え、照明の光で輪郭が浮かぶ。
「みんな…すごく頼りにしているよ」
真人の声に、周囲の動きが一瞬止まった。
(明日の賭けは勝ったな)
わずかに空気が揺れ、数人が視線を交わす。
あすかが視線を志帆へ向けなおす。
「志帆先生……もし明日の内覧会で施設の人が来たらどうします?」
あすかは体の向きを志帆へ寄せる。
手元に持っていたメモ帳の端が揺れた。
「せやねぇ……最初の1か月は外来に集中しようと思てるんよねぇ」
志帆が腕を組んだまま返す。
視線は受付奥のスケジュールボードへ一瞬向けられた。
「しかし、一応いつでも訪問診療ができる準備してありますから」
直樹が棚からバインダーを取り出し、中の資料を確認する。
「まぁいきなり申し込みはないとは思うけど……。来たらその時やな」
志帆が軽く息を整えながら言う。
「大地先生と、私は訪問診療慣れているのでいつでもウェルカムです!」」
あすかの声が診療室に響く。
大地もCT前で姿勢を正し、わずかに頷いた。
「ほんま心強いわぁ」
志帆の声が落ち着いた調子で返る。
「この歯科用CTは……」
大地が資料を持ったまま操作部を見つめる。
「……あれ、明日大丈夫やろか」
志帆が大地の手元を見ながらつぶやく。
「……う~ん。多分?」
あすかが少し首をかしげながら返す。
「大丈夫ですよ。私もフォローに入るので。院内の環境はすべて頭に叩き込んであります」
直樹がバインダーを閉じ、棚へ戻した。
「流石や」
志帆が短く言う。
智子が直樹の近くに歩み寄り、棚へ手を添える。
「なんでこんなところで働こうと思ったの?」
智子が問いかける。
直樹が少し驚いたように顔を向ける。
「智子さん失礼やで?」
志帆が軽く言う。
「あ、つい」
智子が肩を落とす。
「自宅から近いのと、親の介護で」
直樹が落ち着いた口調で答える。
「えらいねぇ」
志帆が柔らかく言った。
「そのうちお願いすると思います。……訪問診療」
直樹が視線を落としながら続ける。
「口腔ケアは任せて!」
あすかが胸の前で手を合わせる。
その時、院内に突然アラームが鳴り響いた。
『地震です…地震です』
スマホの警告音が複数同時に響き、直後に床が揺れ始めた。
「みんな!!身を引くく!!頭を守れ!!!」
真人の声が診療室全体に響いた。
棚が揺れ、器具が触れ合う音が連続して鳴る。
スタッフたちは悲鳴を上げ、身をかがめながら頭を抱える。
照明が揺れに合わせて微かに揺れ、診療室は震動の音に包まれた。




