08.ギルドの判断と内覧会への一歩
厚い石壁に囲まれた部屋の空気は、外より少し冷たかった。
書類が積まれた木の机が中央に置かれ、その向こう側に座るサムは、紙束の端を指で軽く押さえたまま視線だけを上げた。
志帆と大和は机の前に並んで立ち、足元の位置を揃えるようにしてサムの言葉を待っている。
サムは目の前の二人を一度眺めてから、低く声を落とした。
「ふむふむ…。口の中の病気を治す診療所ねぇ…」
志帆は白衣の袖を指先で整え、胸元に揺れた名札をそっと押さえた。
口を開く前に一度だけ息を吸い込み、机の上に視線を置いてから言葉を紡ぐ。
「はい……私、主人と、大地先生がメインとなって患者さんの病気を治して、大和くんをはじめとした他4人の衛生士……えっと……お口の中のケアを担当する子たちが中心となって、皆さんの口の中のことや歯のことを守っていくみたいなところです」
大和は隣でわずかに前のめりになり、靴底で床をとらえ直した。
片手を胸の前で握り、力を抑えながらもはっきりと声を重ねる。
「もちろん、どうしようもなくなった歯に関しては抜いたりすることもありますけど、でも痛くないように気を付けますし、そうならないようにするために俺たちがいます」
サムは机の端へ視線を落とし、腕を組んだ。
書類の束の影が少し伸び、顎にかかる光が角度を変える。
「いや、前例のない診療所だからなって思ってな…。話を聞く限り別に登録自体は問題なさそうだが……。その予約っていうのかい?それがなぁって……」
志帆はその言葉を受けて、白衣の胸元にそっと手を添えた。
立ち位置は変えず、声だけ落ち着かせて返す。
「基本は、お約束をしての治療になりますが、どうしても歯が痛い。もうやばいっていう場合は待っていただく時間があるなら処置します」
サムは机の縁を指先でとんとんと軽く叩き、首をわずかに振った。
視線は志帆から大和へ移り、再び二人の顔のあたりで止まる。
「いやいや、別に待ち時間とかそういうのじゃなくって……」
大和は眉を寄せ、ちらりと志帆を見てから、サムに向き直った。
頭の中で引っかかった単語をそのまま形にする。
「………もしかして、予約っていう概念がない?」
サムは椅子の背から体を少し起こし、腕を組み直した。
目線を机上の書類から外し、正面の二人に据える。
「そうなんだよ。……いや、治療の内容を聞く限りは確かに時間を決めて治療をするものだっていうのは理解したけど……。皆がちゃんとその決まった時間を守れるかっていうのが……」
志帆は小さく頷き、足元の感覚を確かめるように重心を整えた。
白衣の裾がわずかに揺れ、その動きと一緒に短い言葉が落ちる。
「なるほど……」
サムは視線を横へ流し、石壁のほうを一瞬だけ見た。
考えの区切りをつけるように息を吐き、再び二人へ顔を向ける。
「まぁ、それに関しては医療ギルドの方でなんとか周知する方法を考えよう。なにせ新しい分野だからね」
志帆は姿勢を正し、胸元に集まっていた力をそのまま声に乗せた。
口元がきゅっと引き締まる。
「ありがとうございます!!」
サムは片手を軽く上げて受け止め、その手を机の上へ戻した。
次の興味へ視線を切り替えながら、間を挟まず言葉を続ける。
「それよりも……」
呼びかけに合わせて、志帆は首を少し傾けた。
サムの視線の先を確かめるように問い返す。
「それよりも?」
サムは二人の表情を見比べ、机の上の書類から手を離した。
指先が空を指すような位置で止まり、そのまま提案を口にする。
「そのほほえみデンタルクリニックっていうのを見てみたい。今から案内できるか?」
志帆は目を瞬かせ、一拍も置かずに頷いた。
白衣の裾が勢いよく揺れ、返事がすぐに重なる。
「ぜひ!!」
大和も肩をぐっと前に出し、弾むような声を室内に響かせた。
視線はまっすぐサムへ向いている。
「今日と明日とで内覧会……お披露目会っていうのをしてるんで、是非来てくださいッス」
その横で、志帆は少しだけ視線を落とした。
言葉の勢いを抑えきれないまま、現状をそのまま口にする。
「……まぁ、今日はアンナさんだけが朝から来てくれただけで他は誰も……」
大和は肩をすくめ、口元に苦笑いを浮かべるような形だけを作った。
視線はどこか遠くを見ている。
「ゆかちゃんとつむぎちゃんが頑張ってるんっスけどね……」
サムは机の上の紙束を指で寄せ、内容を改めて見下ろした。
その上から視線を上げ、興味深そうに口を開く。
「いや、そのお披露目会っていうのも珍しい。今度ここで診療所やりますってチラシを配って宣伝は終わりだからね」
志帆はその違いを飲み込むように、短く息を吸った。
白衣の胸元がわずかに上下し、素直な声がこぼれる。
「へぇ……」
大和は顎に手を当て、これまでの感覚との違いを言葉にした。
視線は机ではなく、頭の中の景色を追いかけている。
「内覧会……結構普通だと思ってたっスけど……こっちじゃ珍しいんっスね」
サムは目元を和らげ、口角を少し上げた。
外の世界を思い浮かべるように問いを投げる。
「異国では普通なのかい?」
志帆は視線をサムへ戻し、白衣の袖を一度軽く引き直した。
言葉は淡々としているが、間は少ない。
「はい。まぁ…割と」
サムは短く相槌を打つように「へぇ」と呟き、机の上の紙束を揃えた。
書類の端をそろえ終えると、決断を示すように手を離す。
「へぇ……よし、職員何人か連れてくるからちょっと待っててくれ」
志帆と大和は、同じタイミングで背筋を伸ばした。
返事を揃えるように声が重なる。
「はい」
サムは椅子を引いて立ち上がり、部屋の奥へ続く扉のほうへ歩いていった。
扉が開く音と共に足音が遠ざかり、ほどなくして複数の足音が戻ってくる。
サムは職員を3名ほど連れてくる。
連れてこられた職員たちは扉の近くに整列し、それぞれが静かにこちらの様子をうかがっていた。
サムは先頭に立ち、連れてきた職員たちを背にしながら口を開く。
視線は志帆と大和に向けられている。
「じゃ、ほほえみデンタルクリニックに行こうか」
志帆はその言葉に一歩踏み出しかけ、ふと足を止めた。
胸元で手を組み、確認するように問いかける。
「あ、登録のための手続きは……」
サムは肩越しに振り返り、片手をひらりと振った。
軽い調子のまま答える。
「副マスターに引き継いだから大丈夫だ」
志帆は眉をわずかに寄せ、書類のことを思い出したように視線を机へ落とした。
疑問をそのまま声にする。
「なんか書類とかは?」
サムは先ほど整えた紙束を指先で軽く叩いた。
インクの染みた紙面をちらりと見てから、当然のように告げる。
「さっき、紙にいろいろと書いたろ?」
大和は「あぁ」と短く息を漏らし、頭の中で記入した項目を数え直した。
そのまま苦笑いを混ぜた調子で続ける。
「書いたって言っても、医院名と従業員人数とどんなことをするかだけっスけど…」
サムはそれを聞いても気にした様子もなく、紙束から手を離した。
顔を上げ、あっさりと言い切る。
「それだけで十分だ」
志帆は白衣の裾をつまみ、肩から力を抜くように息を吐いた。
その息に乗せて、思ったままの言葉が零れる。
「……はぁ……思ったよりあっさり」
サムは口元を緩め、出口のほうへ向き直った。
手を軽く振り、歩き出す合図を送る。
「さ、行くぞ~」




