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ほほえみデンタルクリニック、異世界で開業しました  作者: ポン吉
第2章『ほほえみデンタル、内覧会という挑戦』

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01.おはようから始まる共同生活

朝の光がカーテンの隙間から差し込み、寝具の上に細い筋をいくつも落としていた。

掛け布団の表面に浮かぶ皺が、その光を受けてゆるやかに明暗を変えていく。

静かな空気の中で、布の擦れる音が一つだけ大きくなった。


「あ~…よく寝た」


真人は掛け布団を胸のあたりまで押し下げ、上体を起こした。

肩をぐるりと回し、背中をゆっくり反らせる。

伸ばした腕の先で指を組み、さらに一度大きく伸びをした。


「本当によく寝とったな」


隣で同じように身を起こした志帆が、枕元の髪を軽くかき上げながら言う。

寝起きの声はまだ少しだけ掠れていて、それが昨晩までの慌ただしさをそのまま引きずっているようだった。

枕の端には、折り畳まれたタオルがきちんと揃えられている。


「さ、今日は内覧会初日だし……ご飯を食べて1日を乗り切りますか」


真人は天井を一度見上げ、視線をゆっくりと部屋の中へ戻した。

壁際に寄せられた荷物や、昨日の夜に慌てて置いたままのバッグが目に入る。

異世界の城下町に囲まれたこの家の中だけが、以前の生活とほとんど変わらない空気を保っていた。


(……う~ん……フリーズしなければいいけど)


布団から足を出しながら、志帆は心の中でつぶやいた。

真人の背中を横目で見て、口には出さずにひとつ息を吐く。

彼が変なところで固まらなければ、それでいいと自分に言い聞かせているようだった。


「せやね」


志帆は短く返事をして、布団を両手で整え始めた。

掛け布団を半分に折り、敷き布団の端を揃える。

真人もそれにならって、自分の寝具を端へ寄せていった。


二人は寝具を壁際に寄せ終えると、足音をそろえるようにして部屋を出た。

廊下の床はひんやりとしており、踏みしめるたびに感触が足裏へ伝わる。

先のほうからは、かすかな話し声と食器の触れ合う音が重なって聞こえてきた。


リビングのドアノブに手を掛け、真人がゆっくりと扉を押し開ける。

開いた隙間から、明るい照明と温かい匂いが流れ込んできた。

二人が中へ足を踏み入れると、先に起きたスタッフたちがテーブルの周りに集まっているのが見えた。


食卓には皿やカトラリーがきれいに並べられ、湯気の立つマグカップがいくつも置かれている。

椅子の背には、それぞれの私物らしい上着やタオルが掛けられていた。

キッチンからは、火を使う音や、油のはねる小さな音が続いている。


「おはようございます。朝ごはんできてますよ」


キッチンカウンターの向こう側で、智子が振り返る。

髪を後ろでまとめ、エプロンの紐を指先で結び直しながら、テーブルの様子を一通り眺めた。

マグカップの湯気が、彼女の頬の横をゆらゆらと通り過ぎていく。


「冷蔵庫の食材……勝手に使わせてもらいました」


コンロの近くにいたすずが、おずおずと手を挙げる。

視線だけこちらへ向けたあと、すぐにフライパンの中身へ戻した。

フライパンの中からは、じりじりとした音が途切れなく響いていた。


「昨日から共同生活や。別にええよ」


志帆はキッチンとの境目まで歩き、すずの手元を一度のぞき込んだ。

鍋の蓋から漏れる湯気が、志帆の頬のあたりをかすめていく。

そのまま振り返り、テーブルのほうへ視線を向けた。


「そうそう。気にしない気にしない」


真人はリビングの真ん中まで進み、テーブルの空いている椅子に手を置いた。

ごく当たり前のことを言っているような顔で、気楽そうに笑う。

目の前の皿に並んだ料理を見て、素直に感嘆の息を漏らした。


「あんたは少しくらい気にしてくれ」


志帆は肩越しに真人を振り返り、少しだけ眉を寄せた。

その表情には、呆れと諦めが薄く混ざっている。

真人は何がいけなかったのか分からない様子で首を傾けた。


「???」


意味のない声だけが口からこぼれ、空気に混ざっていく。

志帆はそれ以上何も言わず、テーブルに置かれた皿の数を数え始めた。

そのやり取りを聞いていたスタッフたちは、視線だけを動かして互いの顔をうかがう。


「ふぁぁ~…おはようございます」


廊下のほうから大きなあくびが近づいてきて、大地が髪をかき上げながらリビングへ入ってくる。

眠気の残った目をこすり、片手でドアの枠を軽くたたいた。

寝ぐせで跳ねた髪があちこちに向かい、本人はまだそれに気づいていないようだった。


「大地先生……頭すごいことになってますよ」


あすかがマグカップをテーブルに置き、指先で自分の頭を押さえるような動きをしてみせる。

その仕草だけで、どこがどうなっているのかを分かってほしいと言わんばかりだった。

視線は大地の頭頂部にまっすぐ向けられている。


「ん~……後で頑張ってセットする~」


大地は目をこすりながら椅子に腰を下ろした。

座った拍子に髪の跳ね方がさらに強調され、向かい側に座ったスタッフが思わず笑いをこらえる。

本人は相変わらず、まだ状況を把握しきれていない。


「……おはようございます」


少し遅れて、直樹がリビングに姿を見せた。

シャツの襟元を整えながら入ってきたその後ろから、気まずそうな顔をした大和がぴったりとついてくる。

二人の歩幅は微妙に合っておらず、その距離感が昨夜の出来事を物語っているようだった。


「直樹さんごめんってば~」


大和は半歩前へ出て、両手を胸の前で合わせた。

腰を少し落とし、視線だけを上へ向ける。

声の調子だけは明るくしようとしているように聞こえた。


「直樹さん、大和さんおはようございます。……どうかしたんですか?」


テーブルの端に座っていた美里が、二人の顔を交互に見ながら問いかける。

箸を持つ手を止め、背筋を自然に伸ばしたまま様子をうかがっていた。

リビングの空気が、少しだけ静かになる。


「別に」


直樹は短くそう答え、視線をテーブルの一点に落とした。

その横顔には、寝不足の影のようなものがかすかに浮かんでいる。

マグカップの持ち手を指先でなぞる動きだけが、妙に慎重だった。


「……俺の寝相が悪くって…直樹さんを何回も蹴飛ばしたらしいッス」


大和が小さく肩をすくめながら、申し訳なさそうに続けた。

言葉の末尾が少しだけ弱くなる。

昨夜の寝室の様子が、頭の中にうっすらとよみがえる。


「怒ってない」


直樹は表情をほとんど変えないまま、淡々とした声で言う。

テーブルの上の箸を静かに持ち上げる指先には、妙な丁寧さだけが宿っていた。

その言葉と所作の間に、微妙な温度差が生まれる。


「…寝具が変わってうまく寝れなかった?」


真人が椅子を引きながら問いかける。

自分たちもいつもと違う環境で眠ったばかりで、その感覚を思い出していた。

椅子の脚が床をこする音が、短く響く。


「いやぐっすりッス」


大和は即答し、胸を張るようにして答えた。

その元気の良さに、テーブルの周りで何人かが思わず息を飲む。

智子はマグカップを持ち上げかけた手を、途中で止めた。


「それはよかった」


真人は苦笑いに似た息を漏らし、用意された椅子へ腰を下ろした。

座面がわずかに沈み、テーブルの上に並ぶ皿が小さく揺れる。

マグカップの縁にぶつかったスプーンが、かすかな音を立てた。


「大地先生。今日は大地先生が真ん中で寝てください」


直樹は淡々とした調子のまま、大地のほうへ視線を向ける。

男三人で並んで寝た昨夜の光景を思い返しながら、静かに提案を続けた。

大地の手元にある箸がぴたりと止まる。


「え~……いいよ」


大地は少しだけ考えるように目を閉じ、それからあっさりと頷いた。

了承の言葉と同時に、周囲の視線が一斉に大地へ集まる。

その視線を受けながらも、本人はどこかのんびりとしていた。


「直樹さ~ん…許して」


大和は椅子から半分立ち上がり、情けない声を上げた。

両手を軽く前に伸ばし、なんとかその場を丸く収めたいという雰囲気だけが伝わってくる。

椅子の脚が床を鳴らし、わずかに位置がずれた。


「……別に怒ってませんってば……たとえみぞおちに踵落としを食らわされたとしてもね」


直樹は言葉の途中で一瞬だけ間を置き、さらりと続けた。

みぞおちという単語が、テーブルの上に重たく落ちる。

その一文がリビングの空気をきゅっと締め付けた。


「……ほんっとうに申し訳ございませんでした!!!」


大和はその場で勢いよく頭を下げ、床に手をついた。

畳に掌が当たる音がはっきりと響き、土下座の姿勢のまま動かなくなる。

背中のラインが、余計な言葉を必要としないほどはっきりしていた。


「大丈夫でしょ。今日のお隣は大地先生なので」


直樹は少しだけ肩の力を抜きながら、声の調子を和らげた。

大和の頭の上を視線が通り過ぎ、その先にいる大地へ向かう。

大地は口を半開きにしたまま固まっていた。


「え?……僕、踵落とし食らうの?」


大地は箸を持つ手を止め、自分の胸を指で指し示した。

視線は戸惑いと興味の間を行き来している。

椅子の背にもたれかけかけていた身体が、わずかに前へ戻った。


「大丈夫ですよ。避ければ」


直樹は淡々とした声を崩さずに続ける。

それが冗談なのか本気なのか、テーブルの誰にもすぐには判断できなかった。

わずかな沈黙が、マグカップの湯気の間に挟まる。


「……う~ん……まぁ何とかなるかな?」


大地は少しだけ首をかしげてから、結局は自分で納得するように頷いた。

その言葉が出た途端、周囲の空気が少しだけ緩む。

あすかが小さく息を吐き、マグカップを持ち直した。


「避けれるのか」


直樹はそこで初めて、わずかに目元を緩めた。

その一言に、男組の布団事情がすべて詰め込まれているようだった。

テーブルの下では、足音が小さく動く。


「実家は山の中で……危機回避能力はあると思う」


大地は自分の箸を持ち直しながら、どこか誇らしげに言う。

山の空気や足場の悪い道が脳裏に浮かんだのか、背筋がわずかに伸びた。

言葉に合わせて、指先の力がほんの少しだけ強くなる。


「野生の勘……」


真人はマグカップに手を伸ばしながら、小さくつぶやいた。

湯気の向こうで、大地の顔が少しだけ得意そうに見える。

その様子に、テーブルの周りでいくつかの視線が和らいだ。


「あ、イノシシの肉とかはおいしかったですよ。よく食べてました」


大地は何かを思い出したように続ける。

山の夕暮れや焚き火の明かりが、言葉の端にかすかに滲んでいた。

食卓の上にないはずの味が、話題だけで一瞬テーブルの上に広がる。


「へ…へぇ~……」


全員の声が、ほとんど同じ高さで重なった。

驚きと戸惑いと、朝から少し強めの情報を与えられた息苦しさが混ざったような響きだった。

リビングの空気が、そこで一度ふわりと揺れる。


テーブルの上では、冷めかけていたマグカップの湯気が再び立ち上り始めていた。

皿の端に残った料理が、静かに湯気を吐き続けている。

誰かが箸を持ち直し、誰かが椅子の位置を整える。

このあと全員で医院へ向かい、内覧会という初めての一日を迎えることになる。

いつのまにか、皿を運ぶ手の動きがほんの少しだけ早くなっていた。

昨日から始まった共同生活の二日目が、賑やかな声と温かい朝ごはんの匂いの中で、ゆっくりと動き出していた。

窓の外では、城下町の朝が静かに動き始めていた。

スタッフそれぞれの胸の奥で、鼓動の速さと呼吸の浅さだけが静かに重なっていき、その音はまだ誰の耳にもはっきりとは届いていなかった。

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