第7話
7月19日、佐藤健一は小屋の硬い床で目を覚ました。毛布にくるまったまま寝たせいで、肩と腰に鈍い痛みが残る。
窓から差し込む朝の光が、埃っぽいガラスを通して室内を薄く照らしていた。外に出ると、高原は今日も素晴らしい景色で圧倒される。
昨日見つけた黄緑色の果実がテーブルの上に並び、生き延びるための小さな安心感を与えてくれる。
だが、元の世界に戻る手がかりは依然として見つからない。
健一はポケットからスマホを取り出し、電源を入れた。
画面を見ると、バッテリーが77%と表示されている。
「ん? 昨日は65%だったはず……」
充電していないのに増えているのは異常だ。
圏外の表示は変わらず、ネットワークはない。
日記アプリを開くと、新たなメッセージが届いていた。心臓がドキリと跳ねる。
『魚は取れる?自然の木の実は毒が多いので注意して。動物は危なくない? 身を守る手段はある?帰る手がかり、その場所が特定できそうな情報、怪しい事。教えてくれれば一緒に考えるよ!』
またしても、名前のない相手からの返事。17歳の高校生を名乗る誰か。
女の子のような口調だが、性別は不明。
毒が多いかもという言葉に背筋が冷たくなった。
昨日食べた赤い実や黄緑色の果実は問題なかったが、毒の可能性を完全に否定できない。慎重にならなければ。
健一は小屋の椅子に腰掛け、スマホを握りしめた。
この高原には人間の気配がなく、昨日までの探索でも誰も見つけられなかった。
なのに、誰かがメモを読んでいる。圏外のスマホにメッセージが届くなんてありえない。
相手は本当に高校生なのか? 人間なのか、それともこの世界に関わる神や悪魔のような存在か? 頭が混乱する。
だが、一緒に考えるよって言葉は嬉しい。「落ち着け、考えるんだ」と自分に言い聞かせる。
相手がどこにいるのかはわからない。同じ高原の別の場所か、別の世界か、あるいは何か超自然的な存在なのか。
だが、相手の質問から、健一の状況を気にかけてくれているのは確かだ。
バッテリーが増えていることも気になる。
「相手のスマホと繋がってる? バッテリーが共有されてるのか?」
荒唐無稽だが、現在の状況が常識を超えている。答えはわからないが、相手との連絡は希望の糸だ。
メモは200文字の制限があり、保存は一日一回かもしれない。バッテリーが増えたとはいえ、節約が必要だ。健一は夜にまとめて記録しようと決め、スマホをオフにしてポケットに戻した。
硬い床での寝起きで体が痛む。昨夜も熟睡できず、背中がゴリゴリしていた。
「このままじゃ体が持たない」
寝床を改良しようと決めた。毛布は一枚だけだが、湖周辺の柔らかい草を乾燥させて敷けば、マットレス代わりになるかもしれない。
今日は探索のついでに枯れ草を集める。
食料も気になる。現代で安全が保証され流通してる事の有り難さを身をもって理解した。
今日は湖の魚を観察し、別の食料も探す。釣り道具はないが、湖畔の石や枝で何か作れないか考える。
暖炉の火も維持が必要だ。昨日集めた枝はまだあるが、補充しなければならない。
健一は果実を一つ食べ、湖の水を飲んで体力を整えた。鉄のカケラをポケットに入れ、小屋を出た。
湖の周囲を歩き、魚の動きを観察した。水面下で銀色の魚が群れをなして泳いでいる。
網や罠があれば捕まえられそうだが、道具がない。
湖畔の白い小石を手に取り、尖ったものを選んでみた。
「これで魚を突けるか?」
水辺で試したものの、魚は素早く逃げる。諦め、湖の反対側に向かった。
昨日見つけた黄緑色の果実の木を再確認。実をいくつか摘み、毒の可能性を考えて少量ずつ食べることにした。
湖の反対側を進むと、草地に背の低い灌木が点在するエリアに出た。
ふと空を見上げた瞬間、異様な影が視界を横切った。
「なんだ、あれ!?」
遠くの空に、白っぽい長い体がうねるように飛んでいる。翼はない。胴体が異様に長く、まるでダックスフンドを伸ばしたような姿。昔見たファンタジー映画の翼のないドラゴンを思い出した。
距離が遠く、詳細はわからないが、明らかに地球に居ない生物だ。
健一には気づかず、草原の向こうに飛び去っていった。心臓がバクバクする。
「あんなのがいるのか。動物は危なくない、と言われても」
相手のメッセージが頭をよぎる。あれを動物と分類して良いのかわからないが、あの生物は近づかない方がよさそうだ。
夕方、小屋に戻った健一は集めた草を床に敷き、毛布を重ねて簡易の寝床を作った。
硬い床よりは快適だろう。暖炉に火をくべ、果実を食べながら、窓から空を見上げた。
すると、驚くべき光景に息をのんだ。空には月が二つ、淡い光を放ちながら浮かんでいる。
「月が二つある?」
昨日までは一つだった筈。見慣れない風景に違和感を感じる。
この世界が地球ではないことに確信を持った。胸が締め付けられる思いだったが、同時に少し嬉しい気持ちがあった。
昔から異世界とかファンタジーの小説は好きなジャンルだった。当事者になるとは思わなかったし、どうせなら若い時にしろと思う。
中年とかオッサンがタイトルの作品も、三十代で悲しくなった。だが、体力が衰えてからだと冒険にならないなと実感する。
「ここで生きるしかない。今は」
夜、暖炉の火が揺れる中、健一はスマホを取り出した。バッテリーは77%のまま。
メモアプリを開き、新しい返事を日記を書く。相手がどこにいるのかはわからないが、助けになるかもしれないという希望が恐怖と混ざり合う。慎重に言葉を打ち込んだ。
『魚は捕まえられない。危険な動物もいるかも。武器を考える。空に長い白い生物が飛んでいた。そして月が二つ! 新しい情報は他に無し。枯れ草で寝床作った。君はどこ? このアプリ、どうやって繋がってる?』
文面を見直し保存ボタンを押す。
一日一回の制限は変わらない。スマホをオフにし、寝床に横になった。
草のクッションは硬い床より快適だった。湖の星空を窓から見ながら、健一は思った。
「月は二つだし、変なの飛んでるし異世界転移で確定かぁ」
二つの月を見上げ、目を閉じた。この世界での四日目が終わった。
最後まで読んでくれて感謝します!