第43話
揺らめく鏡の奥に、三人の姿がはっきり映った。
髭の伸びた男性。あれが、健一さんで間違いない。
手を繋いでいる小柄なシルエットは、潤くんだろう。
白髪の老人は、健一さんが日記に書いていた『守護者』の人なんだろう。
その健一さんが振り返り、鏡のこちらからは見えない誰かに深々と頭を下げた。
きっと、最後まで世話になった相手。
そして、潤くんの小さな手を握り直すと、真っすぐ扉へと歩いてくる。
「いよいよだね」
彩花が思わず声を漏らした。
千智さんは息を詰めるように拳を握り、岳人さんは無言のまま見つめ続ける。
私はもう心臓が喉から飛び出しそうで、足がすくんで動けなかった。
次の瞬間、健一さんたちはついに鏡を潜った。
まばゆい光があふれ、思わず目を細める。
光が収まったとき、そこに立っていたのは、本当に健一さんと潤くんだった。
健一さんは眩しさに目を細めながらも、すぐに周囲を見渡した。
潤くんは知らない場所と、見知らぬ顔ぶれに怯えたのか、ぎゅっと健一さんの脇腹にしがみつく。
「健一」
最初に声をかけたのは岳人さんだった。低いけれど確かな声。
「岳人!」
掠れた声で名を呼び返した健一さん。その顔に笑みが広がって、ようやく現実感が押し寄せる。
「おかえりなさい!」
千智さんが涙声で言い、私も思わず駆け寄りそうになるのを堪えながら声を張った。
「健一さんっ!」
私に視線が合う。
伸びた髭に疲れの色が残ってるけど、その目はしっかりとこちらを見て、そして深々と礼をしてくれた。
「君が葵さんだね。ありがとう、葵さん。本当に、ありがとう」
その言葉に、胸の奥でずっと張りつめていた糸がぷつりと切れて、私は思わず涙をこぼした。
涙と歓声の渦がひととおり収まって、私たちは少しだけ深呼吸をした。
ここにずっと立ってるわけにもいかない。人目に付く前に、移動しなきゃ。
「とにかく、落ち着ける場所に行こう」
岳人さんがそう言って、全員がうなずく。
その場で用意してあった荷物を広げて、健一さんと潤くんにはまず身支度を整えてもらった。
「こんなものまで。君たち、用意してくれてたのか」
健一さんは感慨深そうに笑い、伸びきった髭を当てがった髭剃りで落としていく。
潤くんは少し不安げな顔をしていたけど、ぬれタオルで顔や首を拭いてあげると、すこしだけ安心したように見えた。
髪も整えて、フリーサイズの服に着替えた二人は、やっとこの世界に馴染んだ「普通の人」らしい姿になった。
その後は全員でホテルへ移動。
ロビーを通って部屋に入ると、ほっと息がつけた。健一さんと潤くんにはまずシャワーを勧め、その間に食事の用意をお願いしておく。
テーブルには飲み物や軽食が並び、二人が戻ってきた時には、もうみんなの緊張も少しずつ解けていた。
「改めて、ありがとう。本当に、言葉にできない」
健一さんがグラスを置いて頭を下げると、岳人さんが短く返す。
「無事で何よりだ」
そのやり取りに、胸の奥がまたじんわり熱くなる。
落ち着いたところで、テーブルを囲んで今後の話に入る。
「正直、異世界の話をそのまま言っても誰も信用しないと思う」
健一さんが静かに言った。
「だろうな」
岳人さんが腕を組む。
「会社には戻るにしても、行方不明じゃなくふらっと身を隠してましたぐらいにしないと説明がつかん」
「潤くんの場合はもっと難しい」
千智さんが口にした。
「子供だから、捜索願が出てるし。どう発見したって説明するか、考えないと」
「でも本当のこと、言っちゃだめなの?」
私は思わず声を上げた。 彩花がすぐフォローする。
「言っても信じてくれないでしょ。『異世界から帰ってきました』って。誰も信じないし、逆に騒ぎになる」
「そうだな」
健一さんが頷いた。
「現実的には、山で倒れていたところを偶然見つけたぐらいの説明が穏当かもしれない。市役所や通報経路も整理しないといけないけど」
テーブルの上で、みんなが真剣にうなずき合う。
本物の奇跡を目の当たりにした直後だというのに、こんなふうに現実的な段取りを考える時間が来るとは、なんだか不思議で堪らなかった。
「で、具体的にどうする?」
岳人さんが腕を組んだまま、みんなを見渡した。
「まず俺のことだけど、会社に戻るにしても失踪じゃ話にならない。『体調を崩して山奥で静養していた』あたりで押すのが現実的だと思う」
健一さんはそう言って、少しだけ苦い顔をした。
「医師の診断書があれば信じてもらえます。心身の不調で、しばらく誰にも言わずに隠れていた。そういう形にすれば」
千智さんが提案する。
「なるほど、病気療養ってことか」
健一さんは頷いた。
「潤くんはもっと難しいよね」
彩花が心配そうに潤を見た。
「未成年だし、捜索願が出てるから。警察に『見つかった』って正式に報告しないといけない」
「そのときの説明は?」
私は口を挟んだ。
「不帰森で偶然発見したでいいんじゃないか。発見者は俺たち、ってことにする。不帰森の噂を知り、友人を探しに来たら不審な子供が居て声をかけた。話を聞いて、警察に連絡する事にしたって所か」
岳人さんが言う。
「でも潤くん、見つかったときの状況を訊かれるよ?」
彩花が心配そうに身を乗り出す。
「『記憶が曖昧』でいい。子供ならそれで通る」
健一さんが答えた。
「うん、そういうことにしておく」
潤は小さく頷いた。
「それと、役所の手続きも忘れないでください」
千智さんが指を立てる。
「捜索願の取り下げ、行方不明者扱いの解除、会社や学校への報告。全部筋を通さないと逆に怪しまれます」
「それは警察から連絡がいった親御さん達がやるだろう。それより、警察や関係者から話を聞かれた時の為に、みんなで話しを合わせておく事が大事だな」
「学校か」
潤が小さく呟く。
「先生や友達になんて言えばいいんだろ」
「『気づいたら山にいた』『よく覚えていない』それで十分よ」
彩花が微笑んで励ました。
「学校もまずは無事を喜ぶし、詳細は聞き出そうとしないと思う」
「結局は全員で口裏を合わせることが大事ね」
千智さんがまとめるように言う。
「発見場所、経緯、公式のストーリーを一つにして、それ以外は一切口外しない。これで行きましょう」
全員が黙ってうなずいた。
奇跡のような帰還の直後だというのに、今はこうして現実的な段取りを詰めている。
その不思議さに胸がざわつく一方で、ようやく帰ってきたんだという実感を少しずつかみしめ始めていた。
テーブルを囲んだ話し合いは、ようやく結論にたどり着いた。
現実的な対処を決めて、その内容を全員で確認する。
「じゃ、まとめると、健一さんは病気療養で休職するってことで、会社へは俺が相談相手になる」
岳人さんが指を折りながら言う。
「助かるよ。本当は仕事に戻る前に、時間を取って落ち着きたいんだ」
健一さんは深くうなずいた。
「潤くんの方は、お父さんが警察に発見の連絡を入れる。発見場所や経緯はこっちでうまく話を合わせます」
千智さんが説明を添える。
「親御さんへの対応も任せてもらって、再会の時は私も一緒に立ち会うよ」
千智さんが続けると、潤くんが安心した様に笑う。
「じゃあ、とりあえず準備は整った、ってことだね」
彩花が小さく微笑み、私も大きく頷いた。
「うん! それなら、改めて言わせて! 健一さん、潤くん、ほんとにおかえりなさい!」
飲み物を掲げて声を張ると、みんなの笑顔が一斉に重なる。
テーブルの上で、ようやく『帰還』を祝う乾杯ができた。
時間が過ぎ、私と彩花は健一さんと一緒に地元へ戻ることになった。
「今回は本当に助かった。落ち着いたら、また連絡する」
健一さんが約束してくれて、胸がいっぱいになる。
一方で岳人さんと千智さんは、潤くんと共に警察へ向かう。これから親御さんとの再会に付き添うためだ。
玄関先で二組に別れる時、みんなで握手を交わし合った。ほんの数日なのに、家族みたいに絆が強くなった気がした。
家に戻った夜。
私はベッドに横たわり、スマホをそっと手に取る。
その画面には、まだ「日記アプリ」が残っていた。
健一さんとの交換日記は、ここで一区切り。
でも、それが完全な終わりじゃないことを私は確信している。
きっとまた、何かが始まるだろう。願望混じりに思う。
まだ物語は、完全には閉じていない。
これにて一応の完結となります。
健一達の物語は、次回作に続きます。
今後の予定や雑記など、活動報告をご覧下さい。
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