第20話
7月23日、高原に来て一週間たった。
外に出ると、高原の空はどこまでも澄み、そよぐ風が草地を軽やかに揺らしている。遠くの草原は金色と緑が混ざり合い、朝日に輝く。
ふと、「そういえば、ここはいつも天気がいいな」と気づいた。
高原といえば霧や変わりやすい天気を想像していたが、雨や曇りの日は一度もなく、まるでこの世界が晴天を約束しているかのようだ。
健一はポケットからスマホを取り出し、日記アプリを開いた。圏外の表示は変わらないが、新たな日記が届いていた。
『魚罠、うまくいくといいね。サバイバルが楽になったなら嬉しいけど。守護者、どんな人? 信用できそう? 健一さん、知りたい事とかあれば調べます。後、髭もワイルドで良いかも?何かあれば遠慮なくお願いします!』
東京の高校生からのメッセージだ。「魚罠、うまくいくといいね」という応援と、「何かあれば遠慮なく」という言葉に、健一の心は温まった。
「髭もワイルドねぇ」
健一は、思わず笑ってしまう。そうだな、髭も今だけの楽しみみたいなもんだ。
守護者についての質問に、老人の淡々とした態度を思い出す。信用できそうだが、謎が多い。「知りたい事」とあるが、何を調べてもらえばいいのか? なかなか思いつかない。
野比岳人に伝えたことがどうなったか気になったが、時差を考えると返事はまだだろう。
スマホをポケットに戻し、行動を開始した。
朝食に黄緑色の果実を食べ、湖の水を飲んだ健一は、魚罠の確認に向かった。
昨日、麻紐と小枝で作った漏斗形の罠を湖の浅瀬に設置した。
湖畔の白い小石を踏みながら近づくと、水面下で何かが動いているのが見えた。
「おおっ、まさか……!」
罠を引き上げると、銀色の魚が二匹、網目の中で跳ねている。
「獲れた! 本当に獲れた!」
健一は思わず叫び、笑顔が溢れた。この世界に来て初めての大きな成功だ。
魚は手のひらサイズで、鱗が朝日にキラキラと輝く。生き延びる希望が、また一つ強くなった。
魚を手に、健一は湖畔に立ち、辺りを見渡した。
北にそびえる巨大な山脈は、雪を頂いた鋭い峰が空を切り裂く。麓は岩石と砂礫が広がり、植物はまばら。南には裾野に広がる濃密な森、その向こうに果てしない大草原が金色と緑の波を織りなす。
風がそよぐたびに、森の葉擦れの音と草原の揺れる音が響き合う。この広大な世界に、帰る手がかりはあるのか?
これまで小屋と湖周辺を中心に探索してきた。黄緑色の果実、木の実の塩、香草、老人からもらった米や干し肉で生活は安定しつつある。
だが、帰る手がかりは皆無だ。山脈や森、大草原に行けば何かあるかもしれない。だが、小屋から離れるのはリスクが大きい。
森まで下るには半日、戻るにはさらに時間がかかる。道もない森を抜けて草原に至るのは、何日かかるかわからない。
食料や安全を考えると、遠出は意味が薄い。
「手がかりは、老人か高校生に期待するしかないか……」
健一はそう結論づけ、魚を手に小屋に戻った。
小屋に戻った健一は、料理に取りかかることにした。自宅では、ストレス解消や気分転換にキッチンに立つことが多かった。
会社の疲れを忘れ、食材を刻み、鍋を振るう時間が好きだった。
この世界では限られた食材しかないが、魚が獲れた今、拘った料理で心を満たしたくなった。
「よし、できる限りやってやる!」
健一は目を輝かせ、まるで五つ星レストランの厨房に立つかのように準備を始めた。
暖炉に火打ち石で火を起こし、パチンと火花が散る。乾燥した枝が赤い炎を上げ、部屋を温める。
湖の水を鍋に汲み、沸かす。
魚を手に取り、大型ナイフで鱗を丁寧にこそぎ落とす。鱗がキラキラと床に散り、まるで銀河の星屑が舞うよう。
腹を裂き、内臓を丁寧に取り除く。冷たい水で洗うと、魚の白い身が朝日を浴びた宝石のように輝いた。
「こいつは今日の王様だ!」
健一は大袈裟に呟き、笑みを浮かべた。
米を少量取り、湖の水で丁寧に洗う。米粒が水の中で踊る。鍋に米を入れ、沸かした水を注ぎ、火加減を調整。蓋はないが、木の板で代用した。
干し肉を細かくちぎり、旨味の魔法を加えるべく投入。
木の実の塩を指で潰し、振りかける。青臭い塩の香りが立ち上り、まるで大地の恵みが鼻腔をくすぐる。
香草はハーブのような葉を選び、指でちぎって散らす。爽やかな香りが鍋に溶け合う。
「まるで森の精霊が歌うような香りだ!」
と健一は誇張して叫んだ。
魚は平たい石に置き、暖炉の火でじっくり焼く。ナイフで切り込みを入れ、木の実の塩をすり込み、香草をまぶす。魚の表面がパチパチと音を立て、脂が滴り落ちて炎を揺らす。黄金色に焼ける香りは、健一の空腹を極限まで煽った。
「これは神々の饗宴、いや、宇宙の美食だ!」
健一は高らかに笑い、まるでミシュランシェフの気概で焼き上げた。
米がふっくら炊け、干し肉の旨味が染み込んだ雑炊が完成。
魚は表面がカリッと、中はふわっとした至高の仕上がり。
木の板に盛り、香草を飾る。最初のひと口、雑炊の素朴な甘みと塩気が舌を包み、魚の脂と香草の爽やかさが追いかける。
「うまい! この世界で、この味は奇跡だ!」
健一は目を閉じ、味を噛みしめた。現代の料理の喜びが、異世界で蘇った。
夜、暖炉の火が揺れる中、健一はスマホを取り出し、日記アプリを開いた。
魚が獲れた喜びと、料理で満たされた心を落ち着かせる。
帰る手がかりは見つからないが、老人と高校生に期待するしかない。高校生の名前がわからないことにふと気づいた。
『魚が獲れた!ありがとう!こちらに来て初めてマトモな料理を食べたよ。手掛かりは見つからないが、生活は楽しくなって来た気がする。今更だが、君の事をなんて呼べば良い?』
保存ボタンを押し、アプリを終了。
スマホをポケットに戻し、草の寝床に横になった。
「料理ができた。生活が安定してきた。老人と高校生の助けもある」
最初の頃の絶望感とは段違いだと思いながら、九日目が終わった。
最後まで読んでくれて感謝します!




