第16話
7月22日、佐藤健一は小屋の草を敷いた寝床から起き上がる。
窓から差し込む朝の光が湖の水面を照らし、遠くの草原がそよぐ風に揺れている。
老人との出会いと東京の高校生との日記での繋がりが、健一の心にわずかな余裕をもたらしていた。
テーブルの上には黄緑色の果実と、昨日老人から受け取った皮袋がある。
健一はポケットからスマホを取り出し、電源を入れた。圏外の表示は変わらず、日記アプリを開くと新たな日記が届いていた。
『この日記は時差があるっぽい? 健一さんの日記は朝に見れてます。私の日記は二日遅れ? 今、20日の夜に書いてます。話しを伝えたい相手、教えてください。伝えにいきます』
「やっぱり時差か!」
健一が感じていた違和感が裏付けられた。
自分の書いた日記は相手の朝に届き、相手の日記は二日後に自分に届く。
「これは20日の夜に書いて、今日22日の朝に届いてるってことか」
この仕組みが神や悪魔の仕業か、未知の技術かはわからないが、理解が深まった。
高校生の「伝えにいきます」という言葉に、胸が温かくなった。この子は本気で助けようとしてくれている。
健一は小屋の椅子に座り、誰に伝えるべきか考えた。警察? 行方不明扱いなら動くかもしれないが、異世界の話は信じてもらえないだろう。
離婚した元妻? あれから一度も連絡を取っていない。
頼れそうなのはただ一人、会社の別の部署にいる同僚で、数少ない親友の野比岳人だ。
岳人は会社員らしからぬ豪快な男で、趣味は筋トレと野外活動。格闘技も嗜み、運動神経は抜群。どんなスポーツもそつなくこなす。
性格は落ち着いていて、まるで揺るがない山のような男だ。
知らない高校生からの突然の話しを鵜呑みにする様な男では無いが、健一との繋がりを証明出来れば話を聞いてくれる筈。
16日の誕生日には、岳人と飲みに行く約束だった。店の名前は「月の盃」、楽しみにしていた日本酒は「獺祭」だった。
この情報を伝えれば、岳人は信じてくれるかもしれない。
今日も日記は夜に書くことにし、スマホをオフにしてポケットに戻した。
心に余裕ができた健一は、今日を有効に使おうと決めた。まず、老人からもらった皮袋を改めて確認。火打ち石、鍋、米、干し肉、麻紐、大型ナイフのほかに、乾燥した小さな木の実が入っていた。指で潰すと青臭さがあるが、塩のような風味がした。
「これ、塩の代わりになるな」
湖周辺で同じ実を見た記憶がある。採取して乾燥させれば、塩味を確保できそうだ。他にも香草になりそうな植物も探そう。
次に、魚罠の製作に取りかかった。高校生のアドバイス「枝を10本ぐらい集めて束ね、底の輪をつくる。枝の先を上に曲げて漏斗形にする。枝や蔓で網目にする」を思い出す。
麻紐がある今、網目は作りやすそうだ。
湖畔でしなやかな小枝を10本集め、底を輪にし、麻紐で固定。枝を曲げて漏斗形にし、細い蔓と麻紐で網目を編んだ。
入り口を狭くし、餌を入れるスペースを確保。湖畔の石をひっくり返すと、小さな虫やミミズが見つかった。
罠を湖の浅瀬に設置し、流れが穏やかな場所を選んだ。魚が集まるのを待つしかない。
探索中、湖周辺で小さな木の実をいくつか採取。乾燥させるため、小屋の外に広げた。
香草になりそうなハーブのような葉も見つけ、試しに匂いを嗅ぐと爽やかな香りがした。
「これで料理に味をつけられるかも」
黄緑色の果実も補充し、小屋に持ち帰る。
今までは果実だけで生き延びてきたが、米や干し肉、鍋がある今、まともな食事をしたくなった。健一は簡単な自炊ならできる。鍋に湖の水を入れ、米を洗って炊くことにした。火打ち石で暖炉に火を起こし、鍋を置く。米は少量にし、干し肉を細かくちぎって加えた。
木の実の塩を振り、香草をちぎって投入。簡単な雑炊ができた。
青臭い塩とハーブの香りが混ざり、初めての温かい食事に心が満たされた。
「うまい」
孤独な世界でも、料理は生きる力が湧き出る。
夜、暖炉の火が揺れる中、健一はスマホを取り出した。日記アプリを開き、時差の仕組みを整理した。自分の日記は相手の朝に届き、相手の日記は二日後に届く。
近況と岳人への連絡先、岳人に信用してもらう為の材料。
文章を組み立てながら、これが今日の朝に相手に届くのも不思議な感覚だ。しかし、岳人の返事を見れるのは最速でも翌々日だ。
『魚罠作った! 湖に仕掛けたので獲れるのが楽しみだ。調味料に木の実と香草を手に入れた。料理も出来そうだ。私の同期で友人の野比岳人に私の現況を伝えて欲しい。連絡先は03-XXXX-XXXX。16日に『月の盃』で『獺祭』を飲む約束だったと伝えれば嘘では無いと証明できる。頼む!』
確認して保存ボタンを押す。スマホをオフにし、草の寝床に横になった。
「岳人に届けば、何かが変わるかもしれない」
健一は期待感と祈りを胸に眠りに落ちた。
最後まで読んでくれて感謝します!




