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第七章 彼の家族について


「じゃあ、じいちゃん。私そろそろ自分の部屋戻るね。たくさんご馳走になっちゃって、いつも本当にありがとう!」


玄関の上がり(かまち)で靴を履き、私は立ち上がった。

 大きく頭を下げる。


「なんもなんも。希美ちゃんとゆっくり過ごせてじいちゃんも嬉しいよ。俺の作った飯、美味しい美味しいって食べてくれるのは希美ちゃんくらいのもんさ。凪も、嬉しいって思ってる。なあ、凪!」

「いやいや、言ってねーし」


先に帰り支度が済んでいた凪くんは、私の背後にいてすぐに否定した。

 そのツッコミに私は、ふふ、と笑った。


「ああ、そうだった。希美ちゃん。帰るところに引き止めることになっちまって申し訳ねえんだけど、一つだけ頼んでも良いかい? 」

「何? 私でも手伝えることあったら何でも言ってよ、じいちゃん」

「ありがとう。実はな、湿布を貼ってほしいんだ。最近肩こりが酷ぇのか、痛くてな。腰は慢性だと思うんだが、肩も痛くなって、したら、昨日は目の奥もでよ。やんなっちまうな~歳には勝てないな」

「そのくらいお安い御用。せっかくだから、肩も揉むね!」

「嬉しいな。したら、お願いしようか」


そうしてそうして!と私はやる気満々だが、凪くんは私とじいちゃんの親しげな様子に不満げだった。

 おい、と会話に割って入ってくる。


「じいちゃん。あんま他人に甘えんな。そういうのは俺に言えって」

「お前じゃ気が利かねえ。普段そんな優しい年寄り孝行めったにやらないべさ」

「ぐ……っ」


凪くんはじいちゃんから不意打ちのカウンターパンチを喰らって、言葉に詰まっていた。

 図星なんだ、と私はおかしくて仕方なかった。


「たっ、たまにやってやってんじゃん!」

「その『たまに』の時も、揉み方の加減が下手だべ。仕事はともかく、普段のお前はお前が思ってるより不器用だからな。こういうことは希美ちゃんのほうがずーっと上手だよ。希美ちゃんはよく気が付くしなぁ。本当にいいお嬢さんだよ」

「あー、そうかよ。悪かったなあ、生意気で優しくねえ孫で!」

「ちょ、ちょっと凪くん」


じいちゃんが私を褒めちぎってくれるのはありがたいけど、凪くんが明らかに不機嫌になっている。

 焼きもちだとすぐ分かった。

 でも素直じゃないからすぐこんな風にじいちゃんに冷たく当たってしまうんだろう。


「じいちゃん、凪くんもじいちゃんの事、本当はすごく心配してて」

「は? してねーし。何で会ったばっかのあんたが俺の事勝手に話してんだよ。分かったようなこと言うなよ」

「あ、あなたね……そうやって意地張って素直にならないから人がせっかく誤解を解いてあげようと!」

「誤解って何? つか、頼んでねーし」

「ぐううう……何でそんなに可愛くないの!」

「あんた馬鹿か。二十四にもなる男が可愛いわけねーから。いつまでもガキ扱いすんな、うぜえ」

「はあ? ……そーいうところがガキだって言ってんのよ、ガキ!」

「んだと、オバサン」


家の玄関で、まだ外にも出ていないというのに立ったまま言い合いになる。

 互いに喧嘩腰になってしまって、私も引っ込みがつかなくなっていた。



 こらこら、その辺にしときなさい。凪。希美ちゃんも。

 

 私たちを穏やかな声で宥めたのはやっぱりじいちゃんだった。


「凪。じいちゃんお前が優しくねえなんて言ってねぇべ。お前がこうして元気でいてくれてじいちゃんは本当に嬉しいし、可愛い孫がいつも、じいちゃんの体さ心配してくれてんのは充分分かってる。お前の育ての親はじいちゃんだ。分からねえ訳ねえべさ。お前は誰よりも心の優しい良い子だよ」

「じいちゃん……あのさ。メシ、美味かった。今度、シメは雑炊も食いたい」


凪くんは照れているのか、ドアのほうに向き直り、ドアノブに手をかけた。

 ぼそりと呟かれた愛孫のおねだりにじいちゃんは目尻の笑い皺をさらに深くして、その顔をほころばせた。


「ああ、分かったよ。美味い動産米買って準備しておくよ。それよりお前、コンサート準備で筋肉痛だったんでないのかい?」

「俺は若いから平気なの。ストレッチもやってるし」

「そうか。無理するなよ」

「分かってるよ」

「じゃあ、希美ちゃん。悪いんだけど頼んでもいいかい」

「あ、はい! 湿布貼るのと、肩もみするのは居間で、でいい?」

「本当悪いなあ。もちろんそれで問題ねえ」

「じゃあ、もう一度お邪魔しまーす」

「おい凪。お前は、外で待ってろ」

「は? いや何で? 家に上がるなも、なかなか意味分かんねーけど『帰れ』じゃなくて『外で待て』はもっと意味分かんねーよ! なあ、じいちゃん。俺、孫だぞ!?」


凪くんは何度も『意味分からん』を繰り返した。

 やっぱり今日も普段は王子様アイドルであるはずの彼は、詐欺師のようにすこぶる口が悪い。


 でもそれは、じいちゃんのことが大好きだからで、親のような存在だから子供っぽくなって甘えられるんだろうなってだんだん分かってきた。


「いいから!そういうところがお前は気が利かない奴だって、じいちゃん言ってんだよ! ちゃんと希美ちゃんを部屋まで送ってから帰んなさい。分かったな?」

「あのなあ……送るって馬鹿なのか? ついにボケたのか? この人の部屋、ここの二階だろ!秒で帰れるだろ!」


凪くんがまた大声で言った。怒っているというか、半ば呆れている。

 それは当然のことで。凪くんの言う通り、私はじいちゃんと同じ、このアパートの住人。

 二階への階段を昇れば、私の部屋にはすぐに着くのだ。


「そうだよじいちゃん。二階だから送る必要なんてないから、ね?」


じいちゃんは凪くんのツッコミも宥める私の言葉も聞こえない振りをして「いいから。外で待っていなさい」と子供に噛んで含めるように、もう一度凪くんに言った。


 凪くんは大きくため息を吐き、頭をかいた。

 そうして彼は諦めて今度こそ、じいちゃんの部屋を出た。


***


「ねぇじいちゃん。あの、どうしたの? もしかして凪くんには言えないことがあるとか?」


 さっきのじいちゃんからは明らかに、私と二人だけで話したいという無言の圧を感じたので、居間で肩を揉みながら聞いてみた。


「凪は、あの子は小さい頃から音楽が好きでなあ。あいつの父ちゃんの影響だな」

「……お父さんの?」

「んだ。俺のバカ娘と彼が出会ったのは、大学の軽音楽部だったらしい。ギターも歌も上手でな。学生時代はバンド活動もやってたんだと。俺の娘も、そのバンドのメンバーだった」

「そうなんだ。同じバンドのメンバー同士かぁ。才能のあるお二人だったんだね。凪くんが今Shangri-Laとして活動してるのも、必然って感じだ」


歌手を目指すきっかけが『音楽をやっていた両親の影響で』というのは有名アーティストさんでもよく聞く話。

 凪くんもご両親の影響が、少なからずあったのかもしれない。


「彼はな。――凪の父さんは、本当に音楽の才能があったんだ。大学を出た後も音楽で食ってくことを目指してたくらいだからなぁ。その才と努力を認められて業界からも『プロにならないか』ってな、誘いもあったらしい。けど、結局、彼はそれを諦めざるを得なかった」


本音を言うと、この時、私はその先を聞くのが怖かった。

「せっかく夢が叶うところだったのにどうして?」と理由を尋ねて、返ってくる答えが想像通りでないことを願っていた。


「俺の娘と結婚したんだ。娘との間に赤ん坊ができたから。それが、凪だよ」



でもな、希美ちゃん。これだけは知っていてほしい。あの子はちゃんと、望まれて生まれてきたんだ。


 じいちゃんは私を先回りするように、すぐにその言葉を続けた。




「彼は夢を諦めはしたが良い父親だった。男としてちゃんと責任を取って、夢を追わず家族を養うために頑張りたい、そう言って、東京から彼の故郷の北海道に移ったんだ。奇しくも彼は俺と同じ北国の出身で、凪の父さんの家は農家をしていたんだよ」


ぽつり、ぽつり、話をするじいちゃんを私は言葉で遮ることはせず、頷く。

 ゆっくり、凝り固まっている両肩を指圧する動きも止めない。


「堅実な生き方だと思ったよ。俺は彼が好ましかった。けど、その暮らしに耐えられなかったのが俺の娘だ。本当に馬鹿な娘で、じいちゃん情けなくてなあ。退屈な暮らしと上手くいかない子育てにあいつはしょっちゅう苛立ってたらしい。あいつは、亜希子はそのうち彼に隠れて、他の男と会うようになってな……その挙句、彼が留守の間に何も告げずに、まるで夜逃げみたいに彼の元を去ったんだ」


アキコさんとは、恐らくじいちゃんの娘さんだろう。

 いわゆる典型的なバンドマンで、ごく普通の幸せな暮らしに嫌気が差したのは彼女のほうだった。

 彼女の父親であるじいちゃんの贖罪の気持ちは如何ほどか、わざわざ聞かなくても分かった。


「でも凪を置いて行ってくれれば、まだ良かったんだ。あの父親の元なら、彼となら凪はきっと幸せに暮らせたはずだ。でも娘は凪を手放すことなく、新しい男と共に街を出た。最初は俺と嫁さんが暮らすこのアパートの一室を借りて暮らしてたんだ。なんて馬鹿な子だと情けないと思ったって親ってやつはどうしようもねえ。『困っている、助けてほしい』と言われちまったら、暮らすための援助もしちまうもんなんだ。俺にとっては大切な孫が居たからな」


私は、ただ「うん、そうだよね。大事なお孫さんだもんね……」とじいちゃんの背後で返事をする。


「だからそれで、何とか暮らせていると思ったんだ。けど、娘もその新しい男もろくでなしでな。……いや、ありゃあ、人でなしだな……。亜希子は新しい男との間にも子供ができて、身籠ってからは凪の事が、あの子のことが疎ましくなったんだ。さすがに手は出してなかったと、そう娘は言っていたが、正直分かんねえ。ただ、凪にとっては何の関係もねえ娘の新しい男が、日常的に、凪に暴力を振るってたってことだけは事実だ」


私の体に緊張が走り、動きを止めてしまう。

 幼少期の虐待――。衝撃の事実に、そんな、と思わず零さずにはいられなかった。


「現場を押さえたのは俺達夫婦だった。まさか自分の娘が一緒に暮らしている男が、大切な俺の孫に酷ぇことしてたなんてよお…本当に情けない。気付いてやれなかった自分も許せなくて情けなくてなあ。本当にやんなっちまったよ。だからじいちゃん、ずっと凪に申し訳なくてな。『お前の母親をまともな親に育てられなかった』って。でもあの子は、今でもああやって『じいちゃんは悪くない』って俺を気遣ってくれるんだ」


親バカみたいで恥ずかしいけどな、本当に優しい子だよ。

 そう言うじいちゃんの肩がかすかに震えていた。消え入るようなその声に、私はやっぱりまた「うん、そうだね」と静かに返した。


「あんな馬鹿な娘から、信じられねえくらい良い子が生まれてくれたことだけは本当に良かったと思ってる」


「そっか」そう、一言返すのがやっとだった。

 

  凪くんの過去がそんなに壮絶なものだったとは。

  テレビの中のあの美しい笑顔からは想像できないほどの苦しい時間を、ずっとずっと過ごしてきたのか。まだ自己の形成もままならず、親に従うしかない幼い頃に。


 それを思うだけで鼻の奥がつん、とした。

 凪くんを「今までよく頑張ったね」と抱き締めてあげたくなった。

 彼はきっと物凄くうざったそうに私を見るだろうけれど。


「それで凪くんはじいちゃんっ子なんだね」

「ずっと一緒に暮らしてきたからなあ。あいつは、ばあちゃんっ子で、じいちゃんっ子だな」

「じゃあやっぱり、じいちゃんの育て方が良かったんだね」

「え?」

「だって、凪くんはじいちゃん思いの優しい子でしょう。口を開けば年下のくせに意地悪だし生意気だけど、でも本気で嫌なこと言ってるわけじゃないって分かる。目が、いつもすごく優しいもん。私、すぐにちゃんと分かったよ」


「希美ちゃん……」私の名前を呟いたじいちゃんがこちらを振り向いた。

私はじいちゃんを安心させるように微笑む。


「凪くんの言うように、じいちゃんは申し訳ないなんて思う必要はなくて、もっと『俺が育ててやったんだー!』って偉そうにしても、ううん、誇りに思っていいんだよ。それをきっと彼も望んでるんじゃないかな。私がもし凪くんんだったら、絶対にそう思うよ」


「う……ぅう……っ。ほんとに、ありがとうなぁ……。のぞみ、ちゃん……っ」


私があっけらかんとしてわざと明るく言えば、じいちゃんは言葉を詰まらせた。

 やがてまた顔を隠すように前を向くと、ありがとうと呟いて、肩がまた震えだした。



 時折、苦しそうに嗚咽を漏らすその背中は、

 いつもよりずっと小さく感じた。


 私はじいちゃんのそんな背中を、しばらくの間「大丈夫だよ」と繰り返し声を掛けて、そっと、さすり続けたのだった。


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