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第六章 ぬくもり感じる“普通の”幸せな夜

「じいちゃんも希美ちゃんが同郷で嬉しいよ。今日の鍋もな、本当は鱈やサケを入れようと思ったんだ。したら、こいつが絶対入れるなって怒るもんだから」


じいちゃんが凪くんを軽く顎でしゃくって、へへっ、といたずらっ子のように笑っている。


「とんこつスープに合わねえだろ、魚」


凪くんもそれに口を尖らせて文句を言っていて、彼もまた少年のようだった。

 二人は祖父と孫というより、仲の良い親子の距離感だ。それに、ほっこりとする私は頬が緩んでしまう。


「凪くん、もしかして魚キライ?」

「……だったら、何だよ?」

「私も中学生の頃、魚介類苦手だったから。何か分かるなあって」

「北海道に住んでんのに?」

「そう。面白いよね。珍しいねってびっくりされたり、勿体ないってしょっちゅう言われてたよ」


子供の頃は嫌いなものなんだから仕方ないじゃんって、あれこれ言ってくる他人を鬱陶しく思っていたけれど、上京して気付いた。

 私の故郷は、本当に新鮮で美味しい食べ物で溢れていたって。

 昔は絶対に自分からすすんで食べることはなかった海の幸の美味しさに目覚めたのも、一人暮らしをしたおかげで、同郷のじいちゃんがこうやって、もてなしてくれるからだ。

 仕事が忙しくて、もう何年も実家に帰れていない私にとって、故郷の家庭の味を思い出させてくれるのは、いつも大家のじいちゃんだった。


「……へえ。あっそ。つーか、俺はガキじゃねーから。もうとっくに成人してんだよ」

「知ってるよ。でも二十四なんてまだまだ。子供に毛が生えたようなもんよ、ね? じいちゃん」

「ああ、んだな。希美ちゃんの言う通り!」


おい、じいちゃんまで……! と凪くんがツッコむ。そうして、もういいわと零してご飯にまたがっつく。

 その様がやっぱり、少年が不貞腐れているみたいで笑いを堪えるのが大変だった。


「おいテメー、いつまでも笑ってんなよ? オバサン……」

「いやいや、わら、笑ってないってば……ふふ、あははっ」

「笑ってんだろうが!」

「はは、ごめん、ふふふ、我慢できなかった……くは、あははは……っ」

「このくっそババア……」

「こら、年上の女性は敬わないと! おっかしいなぁ? 『年齢に限らず、全ての女性は大切にするべきだ』って私がよく知る紳士で王子様の彼は、アイチューブで言ってたはずだけどな~」


それはShangri-Laの凪が、笑いを取るためわざとやんちゃな発言をする圭をなだめる時によく使う言葉だった。

 どんな女性にも等しく紳士で優しくて、ファン全員をお姫様にしてくれる理想の王子様。

 私もそのスマートさに、いつもファンとしてときめいていた一人。


「それは悪かったな……あんたが知ってる通り、それは俺であって俺じゃねーんだよ」


そう。彼の言う通り。その姿は彼を構成する一部ではあるけれど、彼であって彼ではない。

 今、私の目の前で不敵に意地悪な笑みを唇に乗せているほうが、本当の彼。

 でも不思議とその素顔を目の当たりにしていても、もうショックではない。


 むしろ――。



「ほんと、完全に詐欺ですよねーこわい世の中だー東京こわいー芸能界こわいー」

「あからさまに棒読みで言いやがって……本当に腹立つな、あんた」

「そういうこと言う生意気な子には〆のラーメンあげるのやめようかな~」

「これ作ったのほとんど、じいちゃんだろうが。女ならもうちょっと気ぃ遣えないんですかね~」

「本当に意地悪なことしか言わないね~今の時代、女なら男ならとか一番言ったらダメなやつだよ! デリカシーなさすぎ~」

「悪いね、こっちは子供なもんで。クソ生意気なガキなんで」

「そういう時だけ都合よく子供にならないでもらえますー?サイテー」


私達の子供の口喧嘩のようなやりとりをじいちゃんはニコニコしながら見ていた。

 〆のラーメンもちゃんと分け合って食べたが、じいちゃんは食が細くなったのか「残りは二人で食べな」と私達に鍋に余っていた分をくれた。


 ひと月分の薬が入った薬箱を開けたじいちゃんは、曜日を確認して仕切りから今日の分の薬を取り出す。手のひらに出された錠剤は、何種類もあった。


 血圧の上下が最近は頻繁だとか、頭痛、歯の痛みなど、はっきりと口にしないが不調は多いらしい。

 原因はあえて調べず、かかりつけ医にその都度、症状に合わせた薬を対処療法として処方してもらっているようだった。


「じいちゃんは、確か奥さんと結婚してこっちに来たんだったよね」


私は前に聞いたことがあったじいちゃんの昔話を、もう一度尋ねた。

 薬を飲んでいるじいちゃんについ、色々と聞きたくなってしまうから、お節介の自分を制するためでもあった。

 凪くんがさっきからじいちゃんを心配そうに見つめている。身内の凪くんが何にも聞けずにいるのに、私がそれを言うのはあまりにも出しゃばりすぎている。


 じいちゃんは湯呑みに入った白湯を喉に流し込んで、一度、二度と分けてゆっくりと嚥下した。

 その流れのまま、こくり、強く頷いてこちらを見た。


「んだ。おっかちゃんがこっちの人でな。ああ、おっかちゃんっていうのは凪のばあちゃんで、つまり、じいちゃんの嫁さんだな」


うん、分かってるよ、と私も笑顔で頷きを返す。


「普通は嫁さんが旦那の元に嫁ぐのが当時はまだ一般的だった。けどなあ、俺の嫁さんはシティーガールってやつでなあ。東京の百貨店のエレベーターガールをしてたんだよ」


デパートのエレベーターガール。今ではもうほとんど、その職業の人を見ない。

 美人だけが就ける仕事のイメージがきちんとまだ残っているのはドラマや映画の影響かもしれない。

 きっと、じいちゃんの奥さん、凪くんのおばあちゃんも綺麗な人だったのだろう。


 じいちゃんは懐かしむように目を細めて、続ける。


「じいちゃんはその頃、まだ漁師なりたてのガキだった。漁を教えてくれた父親や漁師の仲間のおっちゃんたちと旅行で東京に来たんだ。親睦会みたいな今で言うなら会社の慰安旅行だ。じいちゃんはその時に偶然、おっかちゃんと出会ったんだ。初恋だったよ。本当に綺麗でなあ。田舎者のじいちゃんにとっては、映画スターの女優さんみたいだった。今はもう思い出のあの場所はすっかり無くなっちまってるけどなあ」


東京の街は今でも開発が多く、頻繁に姿を変える。

 それでますます便利に、美しくなるけれど、じいちゃんの言う通り、思い出の場所は簡単に失われてゆく。


「たまたま旅行に来ていたおかげで、恋に落ちるってすごくドラマチックだね~いいなあ。それこそ恋愛映画みたいな話じゃない?」

「そうでもないだろ。フツーにばあちゃんが美人だから気になっただけで。そんなん男はよくある話だって」

「ちょっと、凪くん黙ってて! もっと聞かせてじいちゃん。それでそれで?」


冷めた声で割って入ってくる彼を黙らせて、私は続きを促した。

 小さな舌打ちが耳に届く。凪くんだ。

 でも、凪くんもじいちゃんに「そんで、じいちゃんはそれからどうしたんだよ」と言う。

「ばあちゃんにその場で声かけれたのかよ」なんだかんだ言って本当は彼も、祖父母のコイバナが気になるらしい。


「いや。できるわけねえべさ。じいちゃんみたいな田舎者があんなに綺麗なお嬢さんに声掛けるなんて失礼だってな。エレベーターに乗っている間、横顔を見るくらいが精々だった。用事もねえのに何回もエレベーターさ乗って、色んな階で降りて、乗ってよぉ。馬鹿みてぇに繰り返したんだ。けど様子のおかしいじいちゃんを見ても、ばあちゃんは嫌な顔一つしねーで「良いお買い物できましたか。またお越しくださいませ」って、これで最後にしようと一階まで降りた時に、そう言って話しかけてくれたんだ。東京に慣れていないおのぼりさんだと気付いていたんだろうなぁ。汗が噴き出るくれぇ恥ずかしかったよ。それでも嬉しかった。あの人の視界に入っていて話しかけてもらえたことがな」


じいちゃんは照れくさそうに、しかし心の底から嬉しそうにそう話す。

 誰がどう聞いて思い浮かべても、二人のそれは、恋の始まりに他ならなかった。


「本当に素敵」うっとりする私と、無言のまま聞いている凪くん。


 じいちゃんはその後も話してくれた。


「じいちゃんは、東京から帰ってきてからもずっと、ばあちゃんのことが忘れられなくてなあ。図々しくても気持ち悪いと思われても、住所の一つくらい聞けばよかったって悔やんだ。したら文通できる可能性だってあったかもしれないって、ありもしない可能性を考えては落ち込んでたんだよ。それでも、どうしても、もう一度あの人に会いたくて少ねえ給料を貯めては会いに行って、また帰ってきて給料貯めちゃあ会いに行き、してなあ。そのうち、向こうも俺だって気付いてくれるようになったんだ。『また来たの?』っておかしそうに笑ってくれてな。そういえば、じいちゃんとばあちゃんがお互いの名前を知ったのも、デパートのエレベーターだったなぁ」


「じいちゃんが積極的なの、ものすごく意外! でも本当に素敵。じいちゃんの気持ちに奥さんはきっと、とっくに気付いてたんだね」


夢中になって興奮気味に相槌を打つ私を、凪くんは「今で言やあ、すっげー厄介なストーカーだろ」と鼻で一蹴してみせる。


 けれど、思い出を語るじいちゃんに向けられている眼差しはあたたかいものだった。



「坊やだって笑われたけど、その笑顔がこれがまた綺麗でなあ。ますます惚れちまったんだ。喫茶店にも映画にも一緒に通った。でも北海道と東京じゃあ一緒に居られる時間にも限りがある。距離があったからな。それで俺は、漁師を辞めて、こっちへ来たんだ。この身一つで、おっかちゃんと一緒に、ただ暮らすために」

「その身一つかあ……想いの強さがそれだけ凄かったって事でしょう? 後先考えられなくなるくらいの恋愛なんてなかなか経験できないよ、普通は。すごいなあ。大恋愛じゃん。羨ましい」

「褒められたもんじゃねーだろ。それで実際、かなり苦労してんだぜ? 馬鹿だろ」


憧れる私に、凪くんはあからさまに嫌そうに呆れて溜め息を吐く。


「凪の言う通りだよ。でも幸せだったよ苦労した以上に。一緒になって間もなく、子供も生れた。凪の母ちゃんだ」

「凪くんのお母さん……凪くんのお母様ならきっと美しかったんでしょうね」

「手前味噌だが、俺のおっかちゃんに似て娘も美人だったよ。日本人形みたいな黒い髪のよく似合う娘だった。凪は母親似だからなあ」

愛おしげに凪くんを見る、じいちゃん。

やっぱり!と私は声を上げてしまったが、凪くんはまた舌打ちをした。それは先ほどよりも大きな音だ。


「もういいだろ……その話は」

小さな声が呟く。

 一気に空気が重くなったのが、分かった。


「……凪。お前には本当に、悪かったなあ」


じいちゃんは、眉を下げた。

 哀しそうな寂しそうな、言い表すのが難しいけれど、ただその表情から一番伝わってくるのは『申し訳ない』という感情だとすぐに分かった。


「だから! そうやって毎回謝んなって。何べんも言ってんだろ。じいちゃんは……何も悪くねぇんだから。悪いのは、あの女だろ。あの女と、あの女の新しい男だ」


「俺の、じいちゃんの育て方が悪かったんだよ。ごめんな」


二人の会話で察する。凪くんが『あの女』と呼んだのは彼の母親のこと。

 先刻話に出た、じいちゃんの奥さん似の美しい一人娘さんだということ。

 そして凪くんのその冷たい呼び方で、少なくとも凪くんには、お母さんとの幸せな思い出がないのだろうということも。


「じいちゃんは俺をこっちに呼んでくれた。今の俺があるのはじいちゃんのお陰なんだよ。だから、じいちゃんは何にも悪くねーっていつも言ってるだろ。だからさ、そろそろ俺の言うことも聞いてくれよ。なあ、頼むよ。じいちゃん」

 

 凪くんのお母さんは凪くんのお父さんと別れ、新しい男性と付き合った。いや共に暮らしていたのかもしれない。いずれにしても、それらは凪くんにとってはもう、忘れたいものなのだろう。

 彼がこうして、ずっとじいちゃんを気にかけ、一緒に過ごしているのも、凪くんにとって心許せる家族は母ではなく、祖父だということ。その証だ。


 でも、じいちゃんはそんな凪くんに、彼の祖父として、凪くんの母である彼女の親として、その責任をずっと感じているのだろう。少ない会話の中でもそれだけは分かった。


「えっと……そうだ! テレビでも見る? 今日って確か……」


空気を変えるべく、私はテレビのリモコンを探し電源を入れた。

 思った通り歌番組がやっていて、ホッと胸を撫で下ろす。助かった。


 【ミュージコ!】という番組は音楽番組の皮を被ったトークバラエティーという感じの番組で、

トークやゲームをアーティストが司会者と楽しんだ後で、最後にスタジオ収録された新曲の歌唱映像が流れる。自分の家でもばっちり予約はしてあったが、今こそオンタイムで観るべきだと思った。


「ほら、じいちゃん! Shangri-La! 今日、出るって知ってたから録画してきたんだけど、せっかくだしここで観ちゃおうかな! みんなで観たほうが楽しいし!」

「お、おう! そうだなあ! じいちゃんすっかり忘れてたから助かった」

「でしょ~!」


すごくわざとらしいと自分でも分かったけど、じいちゃんの表情が悲しいものじゃなくなって、また私は安心する。


 ちらり、と振り向いて凪くんのほうをうかがうと、彼もこちらを見ていたようで、ハッと、びっくりしてしまう。


「な、何……?」

「……あんた、本人よりテレビって、本当に俺のファンかよ」

「だから言ってるでしょう? 私は『Shangri-Laの凪のファン』なの。もちろんShangri-Laっていう類まれなる才能を持った二人が、アイドルである二人が大好きなんだよ」

「あっそ。じゃあ、本人ほっといて好きなだけ観ろよ、じいちゃんと」


ふう、と息を吐いて、凪くんはひと呼吸おいてからそう笑った。くちびるが、かすかに動いた。


――……え?今、もしかして感謝された?


その動きを読んだ後、私の胸の中がじんわり温まっていった。

だってそんなはずないのに、その時、ぽつりと「サンキュ」という彼の声が聴こえた気がしたから。


「ふぁあ~…ねみぃ。何でわざわざ自分の出てる番組見なきゃなんねーんだよ。ありえねえ」


ブツブツと文句は続くが、凪くんと目が合うことはもうなかった。彼の視線はテレビ一点に向けられている。頬杖をついて大きなあくびを零し、テレビの中の自分のパフォーマンスを退屈そうに見ていた。


 許可ももらったので、お言葉に甘えて本物の存在を放置して、私はテレビにかじりつき、じいちゃんとふたりで推し活を全力で楽しむことにする。


 それでも私の胸の真ん中にある彼から受け取ったこのぬくもりは、まだ消えないまま。


 こうやって様々な想いをのみ込んで、

 あたたかい“普通”の幸福な夜は、ただ、ゆっくり更けていった。

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