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第三章 推しアイドルの素顔



「いくら、昨日あんなことがあったからって、私は――」


……どんな夢を見てるんだ。

 最悪だよ、いや最低だよ、と自己嫌悪で頭を抱える。


 先輩とのにがい過去の出来事と、凪くんとを重ねるなんて。

 凪くんのことは勝手に私が理想を押し付けていただけだ。そう、夢の中の彼が言った通りなのに。


 眠っている時に見る夢は脳の記憶の整理。過去の記憶や体験に何かしら影響を受け、その産物として夢になると言われている。


 それにしたって、影響を受けすぎだ。はあ、と溜め息を吐いた。


 ――『勝手に信じたくせして、本当の姿を目にして裏切られたと思うんだ。酷いよな。あんたは、俺達の、俺の本当の姿をちゃんと見ようともしないくせに』


実際に起こった出来事以上に、さっき見ていた夢の内容のほうが、今は衝撃が大きい。

 私が勝手に創造した夢の中の彼だが、彼の言っていることは正論だったから。


 そういう身勝手な自分を自覚して、ショックを受けたのだと思う。

 彼本人に言われたわけではなく、私の豊かすぎる想像力、いや、妄想力がそれを創り出し、彼にわざわざ指摘させたのだけれど。


 自分の夢に、自分の至らなさをはっきり突きつけられるのは、人に傷つけられるよりも痛みを伴う。

 それを分かっただけでも、今朝は収穫だったと思わねば。


「……とりあえず、顔洗お」


相変わらず平日の疲れが取り切れていない重い身体を起こして、私は休日の遅い朝をスタートさせた。



 ***


 部屋着の上下の赤ジャージは、高校時代のものだ。


 部屋から一歩も出ないと決めている日は、部屋着にすっぴん。寝癖の髪を直すのも面倒臭いので顔を洗う時に使っているヘアーバンドを常時使って顔に下がるうざったい前髪を完全にガードしている。


休日にじいちゃんの部屋に遊びに行く時は一応、眉毛くらいは描くけれど。今日はその予定はない。だから、眉すら描かない。

 どうせ会うとしたって宅急便のお兄さんくらいだ。せいぜい受け渡しに一言、二言話す程度。気にする必要はない。


 ――本当はじいちゃんに昨日のことについて話を聞きたいけど、ちょっと会いづらい。


 かなりオタク全開で取り乱しちゃったし。どんな顔して会えばいいか分からない。

 いや、ぶっちゃけ、すごく気まずい。ちょっと、一旦落ち着いた頃に出直したい……そう、じいちゃんが昨日のことを忘れた頃にでも。そうしよう。それがいい。

 

 そんな私の願いは、ピンポーン、と部屋に響き渡るインターホンによって、あっさり打ち砕かれることになった。


「やっぱり荷物は何かしら来るか……はいはーい。今開けます」


はて。最近、何かネット通販したっけな。

 Shangri-LaのCDはいつも配信で買っているし、ライブツアーの円盤の発売日はまだ随分先だ。


 届け物が何か分からないくらい通販で買い物をするのはよくあるので、私は相手が宅急便の人だと信じて疑うことなくドアを開けた。


 そして、先にドアの向こうに居る相手をしっかり確認してから出るべきだったと、秒で後悔した。

 なぜなら――。


「すみません。いつも配達ありがとうございま――!?」

「こんにちは。お休みの日に突然すみません。えっと……あなたが昨日、凪が会ったっていう方でしょうか」

「……へ? へ、ぇ、えええ!? け、けい、圭くん――!?」

 

Shangri-Laの三上 凪の唯一無二の相棒、[[rb:神宮寺 圭 > じんぐうじ けい]]。


 オレ様キャラでShangri-Laの盛り上げ隊長でもあり、髪色や髪形をしょっちゅう変える。凪がShangri-Laの≪(せい)≫であるなら、圭は≪(どう)≫だ。


 Shangri-Laは二人のその対照的なキャラクターの違いもファンを強く惹きつける要因のひとつ。

 容姿はもちろん、考え方も個性の表し方もまったく異なる二人が生み出すものはいつだって新しく、そしてパワーがある。

 特筆すべきは何もかもが合わないように見える二人なのに、二人の才能が重なった時それは反発し合うことなく、初めから一つのものだったかのように馴染む美しいハーモニーになる。

誰かの心を癒す、支えになるような魂が震える音楽が生まれるのだ。


 そういうShangri-Laにしかない特別な音楽を、彼らの歌を、私は心から愛していた。



「シーッ。すみません、お姉さん。他の人にバレると少々厄介なのでご迷惑でなければ少しだけお部屋に上がらせていただいても……?」

「あ、す、すみませんついっ。もちろんです……あ、いや、ちょ、ちょっと待ってくださっ」

「もしかしてこれからお出かけのご予定があったりします? それならまた次の機会に」

「い、いえっ! そういうことではなくて……その、今日はどこにも行かずにダラダラする予定だったので、部屋も汚くて……」

「そんなこと、全然気にしませんよ。僕らは。お姉さん? えっと、急にどうしましたか」

「その、えっと、あの、すっ」

「す?」

「すっぴんなのでぇえ……!」


顔を両手で隠しながら叫ぶ。


 ああ、そんなことですか、なんて圭くんは何でもないことのように笑う息を零した。


「大丈夫です。僕、メイクバッチリの女性より、あなたのようにリラックスしている女性のほうが、自分も落ち着くので好きです」

「へ!?……す、すき……!?」

「ええ、女性はありのままの素顔が一番美しいんですよ。笑顔を見せてくれればそれだけで充分。内面からの美しさは、そういう笑顔から伝わるものです」


囁くような甘い声で圭くんが言う。

 私は心臓が飛び出そうで、ひえっ、とおかしな声が出てしまった。


 おかしい。私の知っているShangri-Laの神宮寺圭という人はこんな風に女性を上手く褒めるようなキザな台詞は言えないはずだ。


もっとドSで、やんちゃで、オラオラで。そう、昨日のあの人、凪くんみたいに――……え?そうだ。あ、あれ。私、何か大事なことを。


 ワスレテイル気が?




 圭くんのその言動や仕草、その微笑み方に既視感を覚えている自分がいる。

 この紳士な口調を私はよく知っている。


「では、僕ら上がらせていただいても良いですか? えっと、あなたは、高梨さん」

高梨希美(たかなしのぞみ)です。ど、どうぞ。」

「ありがとう。希美さん」

「い、いえ! とんでもございません!」


――ん? ちょっと待って。ちょっと巻き戻したい。

 圭くんは今、僕ら、そう言ったような。やっぱり私は何か、大事なことを忘れている? 

 いや気付けていない? そんな気がする。



「ほら、凪。さっきから何をむくれてるんですか、希美さんのご厚意を無駄にしちゃいけないでしょ」

「……せえな、分かってるっつーの……ったく、面倒くせえ、何で俺がわざわざこんなこと……」

「なーぎ? さっきもちゃんと言いましたよね? 僕」

「あー……はいはい。分かってますよ~……」


 圭くん(いや、今日を機に改めよう。彼は、くん、より、さん呼びがふさわしい)圭さんに呼ばれて渋々私の部屋に入ってきた青年。


「ひっ!で、出たぁああ!?」

 

思わず悲鳴を上げてしまって、彼の眉が不機嫌そうに歪む。


「なんだよ。人を幽霊呼ばわりか。気分わりぃな」

「す、すみません……だって、その……眼鏡、してたからびっくりして……」

「普段はコンタクトなんだよ。事務所の公式プロフィールではとくに公表してねーけど。裸眼じゃほとんど見えねえ。変装にもなるし。……つーか、そんな驚くことかよ」

「あ、い、いえ、その……すみません」


まさか今朝見た夢とまったく同じ姿だったので、とは言えるわけもなく。

 小さな声で謝って私は彼らを部屋へと促した。


 ――変装って……バレバレですけど? 本当に眼鏡一つで、芸能人オーラとか、イケメンの神々しい光とか、隠せると思ってるのだろうか、この人。



 敷きっぱなしだった布団を物凄い勢いでぐるぐると巻いて、部屋の隅に追いやるように雑に蹴る。

 明らかにパニック状態の私のその姿を見て、三上凪がぷっ、と噴き出した。


「雑すぎ。すげえテンパってんじゃん。ウケんな」

「そ、そりゃあそうでしょ! いきなりアイドルがこんな三十過ぎの独身女の住んでる家に来るなんて、誰も想像しないんだから!」

「だろうな。さすがに分かってたら、ジャージはねえし、メイクしてなかったとしても眉毛くらいは描くよな。まして、相手は、あんたの推しアイドル様達なわけだし」

「う……っ」


――最悪だ。最悪すぎる、この男。

 私が今思っていたことを全部言い当てやがった。やっぱり、最低なクソガキだ。



「凪、何しに来たと思ってるんですか。謝りに来たのに、また失礼なこと言って……そういうところだよ」

「圭には関係ねーじゃん」

「大アリですよ。Shangri-Laの今後にもかかわるでしょ」


圭さんに注意されて肩をすくめる彼は、父親に叱られる子供のように見えた。

私は、彼らの前に折り畳み式のローテーブルをセッティングする。

「コーヒーで良いですか? インスタントですけど」言いながらキッチンへ向かう。


「ああ、いえ、そんな。すみません。お構いなく」

「俺、コーヒー無理。紅茶とかねーの」


他人の家に上がっておきながら、遠慮のない彼に私は聴こえるようにわざと大きな溜め息を吐いた。

 キッチンの戸棚から紅茶のティーバックを取り出す。ちょうど安売りしていたのを買っといて良かった。

 この男に使うというのがどうにも癪だけれど。そう思いながら、私は無言でコーヒーと紅茶を淹れ、二人に出した。


「砂糖とミルクはご自由に!」


ドン、とテーブルにシュガーポットとミルクのセットを置いてやった。


「本当にすみません。お気を遣わせてしまって」

「いえ! 圭さんは何も悪くないです!本当にぜんぜん悪くないです!」

「圭さんは? 俺は悪いって?」

「凪」

「分かってる。ただ、このオバサン、昨日も俺に喧嘩売ってんだよな」

「……オバサン、オバサンって、せめてちゃんと呼んでもらえます? 私に謝りに来たんですよね?」


彼が目をそらした。私はここぞとばかりに、畳みかける。


「昨日のことですか? あれは別に私も初対面で言いすぎましたし、悪かったと思っています。だからお互い様ですし、それに……わざわざ謝りたくもないのに口先だけで謝罪されたって何も響かない。ただ、一つだけ約束して。何があったのかは知らないけど、じいちゃんに辛く当たらないで。ちゃんと優しくして。今度じいちゃんをいじめたら、私、絶対あなたを許さない」

「いじめるって……あのな、あんた何も知らないくせに」

「あなただって知らないでしょう? ここのアパートの大家さんとしてのじいちゃん――[[rb:三上敏郎 > みかみとしろう]]さんを」


チッ、と彼が舌を打った。私から目をそらし続ける彼に、私は変わらず、相手を真っ直ぐに見つめる。


「凪。彼女の言ってることは、もっともですよ」

「そんなこと俺だって分かってるよ! あー……分かった。分かったよ……次来る時はちゃんと話するし、責めた言い方もしないようにする。……なるべく」


 ぼそぼそ、バツが悪そうに俯いて呟く彼に「なるべくじゃ困る」と私は言い切り、念を押す。


「っせーな! 分かったよ! ぜってえ責めねえよ! ちゃんとじいちゃんの気持ちも聞くし、互いに納得できるように話し合う! これでいいだろ!」


半ば逆切れで宣言する彼はますます子供のようだった。

 弟がいたらこんな感じかな、なんてちょっと思ってしまった。


 くすくす笑いを堪えきれない私につられるように、圭さんもおかしそうに笑っている。


「そういうところですよ、凪。まあ、でもそういうところがお前の良いところでもあるよね。ふふ、天邪鬼なんだか素直なんだか。Shangri-Laの凪の素を知らない人が見たら絶対信じないだろうね」

「ちゃっかり笑ってんなよな。それはお前もだろうが、圭」

「まあね」

「実際、卒倒しそうになってた奴がここに居るし。いや、卒倒っていうか泣いて崩れ落ちてたな」


やっとこちらを見る余裕が出てきたのか、彼はからかうように目を細めてニヤリとしている。

 その表情のまま見つめられたせいか、思わずドキッとしてしまった。

 二十四の若者にときめいちゃいけない、そんな趣味はない! と必死で自分を否定したいが、どんなに素が性悪でも腹黒でも、彼は私の推しであることは間違いない。


今日もそのご尊顔は、変わらず美しいのである。


――……くそ、悔しい……勝てない。この男、顔が良すぎる!!


「いや……べ、別に泣いてないし! ただびっくりしただけで!」

「泣いてただろ、すげえショックだ~ショックだ~っつって、綺麗に崩れ落ちてたじゃん。芝居ならアカデミー賞の最優秀主演女優賞獲れるやつだったな」


指をさしてケタケタ笑う目の前のその失礼極まりない男。

 お前のせいだろうが! と叫んでやりたかったが大人の女としてぐっと飲み込んだ。


「え、本当にわざわざ謝るためだけに、ここへ?」

「ええ。凪から昨日のことを聞いて。これはマズいなと思って。でも希美さんと実際にお会いして安心しました」

「え?」


圭さんはコーヒーを啜って、今口にした通りにホッと安堵したような息を吐いてもう一度、私を見た。


「希美さんは僕ら、いえ、アイドルの男性デュオであるShangri-Laの、つまり仕事をしている僕らを見て好きになってくださったんですよね?」

「ええ、そうです。Shangri-Laは私にとっては癒しだったり、元気をもらえる存在でした。二人のやりとりはもちろん、二人の歌も、奏でる音楽も大好きです。私にとって、初めて好きになった男性アイドルの方々でした。ずっと小説や漫画ばかり読んで生きてきたタイプの人間だったのでアイドルを推すことになるなんて予想もしていなかった。それだけ、Shangri-Laは魅力的です」


私が熱く語ると、二人は黙りこくってしまった。アレ? 引かれた? と羞恥で頬が熱くなってくる。


「あ、あ、す、すみませんっ! つい! ただのシャングラーとして話してしまってっ! 聞き流してもらって大丈夫です!」

 慌てて早口でまくし立てる私に圭さんは柔和な笑みを絶やさず「いえ、忘れませんよ。嬉しいです。応援ありがとうございます」

「そ、そんな、こちらこそ! いつもありがとうございます!」


圭さんの顔は見られたけど、どうしても羞恥が勝って、圭さんの横に並ぶ彼の顔を見られない。

 素の三上凪はテレビの中のように女の子に優しくない。

 初対面の女性に対して『オバサン』と言い放てるような失礼な男だ。

 きっと自分のファンや熱狂的なオタクのことも『気持ち悪い』と思うタイプじゃないだろうか。それが分かっていたから、何となく顔を見られなかった。


「希美さんは、凪が好きなんですよね?」

「ふえ!? す、好き!?」

「もちろん【推し】って意味で、ですよ? 僕と凪なら、凪のほうがファンだったのでは?」


びっくりした。違う意味で受け取りそうになって変な声が出てしまった。

 呼吸を落ち着かせて「え、ええ。そう、そうです……ね」と油切れの錆びた機械のようにギギギ、とぎこちなく頷く。

 本人を目の前に正面から聞かれて答えなければならないなんて、恥ずかしすぎて死にそうだった。

 絶対に馬鹿にされる。イタい女、いや、イタいオバサンぐらいズバッと言いそうな気がする。


「良かったですね、凪」


 圭さんの少し冷やかすような楽しげな声に、彼は返事をしなかった。


「あちっ……砂糖、まだ足りねえな」


一口カップに口をつけた彼はすぐにそれを離し、シュガーポットからまた一つ、二つ、三つと砂糖を落とす。

琥珀色が揺れるカップの中に次々とまざってゆく。


「ちょ、あの、ちょっと!? さすがに入れすぎじゃない?」

「苦いのダメなんだよ……どう飲んだっていいだろ」


制する私の声も無視して、彼はまた一つ砂糖の塊をぽとん、と落とした。


「分かりにくいかもしれませんが、嬉しくて照れてるんですよ、これでも一応。希美さんのShangri-Laを思う気持ちが。熱意っていうのかな、僕もそうだから分かる」

「……え?」

「ばっ! 何言ってんだ圭! 馬鹿かお前! そんなわけねーだろうがっ!」


早口になった彼は声を張り上げる。


――なんだ、嬉しいって思ってくれてたのか。良かった。


私は、彼のその反応に、彼らの、彼のファンとして、安心した。



「……だいたい、あんたが好きなのは仕事用の俺なんだろ。ってことは、実際は圭だってことだろ」


二人とこうして一緒に会話をしていて、彼の言う通り、私もさすがに気付いた。

 素の二人の性格と口調をあえて入れ替えて二人が演じている――それが私が見てきたShangri-Laというアイドルだったということを。

 お互いがお互いを模倣している。だから個性の強いキャラ付けも一切のブレがなく上手くいっているのだろう。

 それはもちろん、現在進行形で。

 

 だけど、そんな二人に《《ある問題》》が生じた。事務所の人間とお互い以外、誰も知らないそのShangri-Laの秘密を一般人が知ってしまった。しかも、最悪なことにその一般人はShangri-Laのファン。


 ――そうつまり、そのある問題こそがこのアパートのこの部屋、203号室の住人。

 ――高梨希美(たかなしのぞみ)、私のことである。


私だって知りたくて知ったわけじゃない。

不可抗力というか、気付いたらパンドラの箱を開けていた。

あの日、じいちゃんの部屋に行かなければ一生知ることのなかった推しの真実だ。


じいちゃんの孫がアイドルShangri-Laの三上凪だなんて、想像もしなかった。

今でもまだ少し、ドッキリを疑っている自分もいる。

でも、今、私の目の前に座っている若いイケメン――美しい男性二人がShangri-Laだということは現実に起こっていることだと理解はしている。


そっくりさんではさすがにこの完璧な造形は出せまい。それこそ高いAI技術でも用いない限りは本物に限りなく近い人間を創り出すのは不可能。なら、導き出されるのはたった一つの答えだけ。


 彼らが正真正銘、本物のShangri-La。神宮寺圭、そして三上凪だということ。


 これさえ理解できていれば、たとえ私がどれだけ鈍かったとしても察する。

 わざわざ圭さんも一緒に私の部屋を訪れた理由も。

 今、起こっているこの非現実そのものに、ちゃんと合点がいくのだ。


「圭さん、凪くん。大丈夫です。お二人の、いえ、Shangri-Laという大切な推しのために、秘密は誰にも言いません。売れるためには世間にキャラやイメージを定着させる必要があったというのは、ファンの私にも理解できます。確かに圭さんの外見であれば素の凪くんのようなキャラが、凪くんの外見なら素の圭さんのキャラがイメージ通りというか。ぴったりというか……上手く言えないけどファンの求めているものをしっかり提供できている気がします」

 

 私から核心に触れると思わなかったのか、圭さんは少し驚いたように唇をうっすら開いていた。凪くんは――黙って私の目を真っ直ぐ見ている。


「ええと、何が言いたいかっていうと、だから……安心してくださいってことです」


驚いたな、と圭さんは少しだけはにかむ。その笑顔は先程までの落ち着いた品のあるものとは少し違って、年相応といおうか、可愛く見えた。


「話が早くて助かったじゃん。良かったな、圭」

「良かったって……凪、お前、たまたま希美さんが良い人だったから良かったけど『Shangri-Laの三上凪が実は性悪で口も悪くて態度もでかい、素行も悪かった! 遭遇した元ファンの女性Aさんの証言を公開』みたいなことを週刊誌に書かれる可能性だってあったんだぞ?」

「なるほど……そういう手があったか!」


私はわざと右手の掌にポンと左手を打って、思いついた! という顔をしてみる。

 おい、と凪くんはあからさまに渋い顔をして私を睨んだ。


「冗談ですよ。ファンがわざわざ推しを貶めるわけないでしょ?」

「でも、そっちは相当ショックだったんじゃん? 何せ泣いて膝から崩れ落ちながら『キャラが違う!』って文句言ってたくらいだし」

「その話はもういいから! 忘れて!」

「いやー、あの反応はなかなかのインパクトだったからなあ。俺的には今年イチのハプニングNG大賞」

「どう考えてもあなたのせいでしょ!ハプニングは確かにだけど、NG言うな!」

「プラベでまで仕事用のキャラ通すなんて、くそダルいだろ」

「それにしたって失礼すぎて、どうかと思ったけど」

「すみませんね、時間外労働はしない主義なの、俺は」

「……これだから今どきの若者は」

「そういうこと言うから、あんた、オバサンって言われるんだぜ?」

「うるっさいな! オバサンじゃない! いやそりゃあ、あなたよりは歳いってるけど! あなただって二十四ならもう少し大人になったほうがいいよ? 圭さんとは大違い」

「あ? 言ってくれるじゃん? オバサン」

「何よ、クソガキ。私が好きなのはShangri-Laの凪であって、じいちゃんの孫の凪くんではありませんので!」

「あ~それは良かった。僕としても、すごく安心しましたよ」

「うああ、仕事の凪で喋るのやめて!」


口論にしては軽快すぎる言葉の応酬が続いていた。

それを圭さんが、まあまあと宥めた。


「希美さんは素の凪とのほうが相性が良いのかも。凪がこんなにすぐ女性に心を開くところ初めて見ました」


言われて、思わず大きな彼の瞳と視線が合う。

 漆黒の艶のあるその髪と同じ色の瞳に吸い込まれそう。


そんな風に感じてしまうほど、私たちの顔の距離は近かった。お互いそれに気づいて、弾かれるように同時に離れた。


「いやいや、絶対あり得ません!」

「何おかしなこと言ってんだ、圭! 殴るぞ!?」 


圭さんは冷やかすように笑った後、さてと、と呟いて立ち上がった。


「僕ら、そろそろ仕事なのでお(いとま)しますね。コーヒー美味しかったです、ありがとうございます、希美さん」

「あ、いえ! 何のお構いもできませんで……こんな格好でお恥ずかしい。すみません、本当に」

「いえ、すごく良い時間を過ごせました」


ほら、凪。そう、圭さんは凪くんに何かを促す。凪くんはまた面倒臭そうなあの顔をした。

 しかし、持っていた鞄――リュックからハンカチに包まれた何かを取り出した。


「……ん」

「えっと、これ、は?」

「詫び。じいちゃんが作った出し巻。好きなんだろ、あんた」

「えっ、本当に? わ、すごく嬉しい! じいちゃんの作る出し巻、初めて食べた時、感動しちゃって泣いちゃったんだよね。恥ずかしい話だけど、私、大学生の頃ほんのちょっとホームシックだった時期があって……なんていうか、家庭的で素朴な味がね、すごくあったくて嬉しかったんだよね~」


私の思い出話は「また泣いたのかよ」とか「ダッサ」と馬鹿にされると思っていた。

けれど、彼からの返事がなくて、無言が何だかいたたまれなくなってしまった。


「あはは、ホームシックとかダサいって思ったでしょ?凪く、ん……?」


自虐のようにおどけて笑って顔を上げたら、凪くんがとても穏やかな微笑みを浮かべていた。

予想外のその表情に瞬間、息の仕方を忘れた。


「いや。……美味いよな、じいちゃんの出し巻。分かるよ、俺も」


口調こそアイドルのShangri-Laの凪のものではなく、ただのじいちゃんの孫の凪くんだ。

 けれど、その笑顔はやはり当たり前だけれど、彼をアイドルたらしめる美しいもので。

 その優しい声と眼差しに、どういう顔をしていいか分からなくなった。


 ――ああ、困った。この子、普通に良い子だ。


「そ、そっか。そう、そうなんだよね! すごく美味しくて……大好きなんだ、私も」

「ああ」


私の言葉に彼が嬉しそうに頷く。

 彼は、じいちゃんを褒められることが自分のことのように嬉しいんだ。


 どうしよう。ああ、本当にどうしよう。

 心臓が、さっきからずっと大変だ! と叫んでるみたい。


 いつもと様子の違うその鼓動の音の意味を、その時の私は必死で気付かないフリをしていた。






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