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第一章 推しとの遭遇~アイドル様とは虚像なり~

 じいちゃんの家で見たテレビで偶然、私はShangri-Laという男性アイドル二人組と出会った。その日から、家と仕事の往復しかなかった私の退屈な暮らしに光が差した。今まで漫画の中の実在しないキャラクターや、好きな小説家、漫画家くらいしか推したことがなかったけれど、何かにハマる、没頭することは得意だった。推し方の基本はまず、その対象をよく知ること。それは二次元だろうが、作家だろうが、そしてアイドルだろうが変わらない。

「今月の購入はシングルだけで我慢しなきゃ……」

Shangri-Laの曲をサブスク配信で今月買えるものは購入し、通勤中ずっと鬼リピ。

 一人暮らしをしている身なので、課金のしすぎには最新の注意を。そう、課金は計画的に、だ。

アルバムを購入するのは次の月に回す。そうすることで、未来に楽しみができ、憂鬱な毎日、社畜生活にもやる気が生まれた。


 Shangri-Laの二人は容姿だけでなく歌唱力も充分に備わっており、アイドルなんてと子供の頃はそういう人たちの歌を馬鹿にしていたので、ちょっとしたカルチャーショックだった。

 彼らの楽曲はほとんどのものが自分たちの手で作詞作曲されたもの。ギター、ピアノはどちらも弾けるとネットの公式サイトのプロフィールはもちろん、雑誌やテレビでも公言しているようでファンクラブに入っているファン達――通称、シャングラー達には周知の事実。

 ライブでもギターを携えてスタンドマイクで歌うことがよくあるらしい。

 

 公式アイチューブもしっかりチャンネル登録をした。抜かりはない。

 あの日、じいちゃんの部屋から自分の部屋に戻った後はずっと動画を漁っていたので、彼らの配信した動画のアーカイブはすべて網羅。お陰で最近は寝不足で、職場で何度かこく、こくと頭が舟を漕ぎそうになって、これはいかんとエナジードリンクを屋上で一気飲みすることが増えた。


 ――いくら新たな世界にハマったからとはいえ、学生のような熱量で推し活をするのは厳しいな……。



 反省はするが、推しがいることで仕事を頑張れるという、世のアイドル好きの女の子たちの推し活の素晴らしさを知ってしまったので、出勤前の早朝と就寝前は推し活時間に浸る。

 そういうルーティンをこなし、ひと月が経った。私はすっかりShangri-Laの沼にどっぷり浸かったシャングラーの一員となっていた。


***


 平日五連勤は何年続けようが慣れない。できることなら週三勤務くらいが良いし、無理ならせめて週休三日にしてほしい。連勤の日数に対して、休日が二日しか無いのが未だに納得できない。平日を五日と設定した最初の人は誰だったか。ああ、いや、あれは神と言われていたのだったか。旧約聖書か何かで、神は六日でこの世界を創り出し、一日だけ休んだ。なので神に創り出されし人間たちもそれに[[rb:倣 > ならって]]って六日働き、一日休んでいた。けれど現代では一日じゃやはり疲れるので、最初は半日土曜を休みとし、最終的に土曜と日曜は全休で落ち着いたらしい。神様が急いでこの世を作ってしまったから、今の働きすぎな日本人がいるのであれば、神様にはぜひ、三日で世界を創り、四日休んでほしい。神様だって働き過ぎは病むと思う。


 週末を迎える金曜。そんなアホなことを頭の中で想像しながら、手だけを動かしてパソコンのキーボードを忙しなく叩いていた。


 社会人は皆、金曜の午後の残り半日は休みのことしか頭にない。私もそうだ。勝手に金曜はノー残業と決めていた。いつものようにどんなに態度がでかくて圧の強い上司に仕事を頼まれても、金曜だけはその都度適当な理由を作ってかわしている。本日の理由は、整体だ。日々蓄積する現代社会のストレスにより、肩こり腰痛、頭痛までがデフォルトなので、今日も施術用のベッドの上で馴染みの整体師さんは手を動かしながら「相当キてるねえ~」と溜め息を漏らす。それに苦笑が混じっていることはうつ伏せの体勢で顔が見えない私にもはっきり分かった。


「本当ですよ……もうガッチガチで、しんどいッス」

「だろうね。確かに体は相当凝ってるよ。どうやったらここまで酷くなるのってくらい。でも今日は[[rb:高梨 > たかなし]]さん、いつもより愚痴が少なめじゃない? 僕の気のせいかもしれないけど」

「あ……気付きました?」

「うん。受付した時、いつもより顔が死んでなかったって奥さんも言ってたし」

 それは今の私にはShangri-Laという最強の推しがいるおかげだ。まだ出会ったばかりだが、力を貰っていることは確かだ。推しは何であっても誰であっても、推している当人にとっては偉大。

 そして、この世の何よりも尊いものなり。

「バレバレですか」

「バレバレだね。何か良いことあった?」

「良いことっていうか、何ていうか、生きる糧? みたいなものができましたね。これがあるから頑張れる、頑張ろう、みたいな」

「ああ、最近よく言う【推し】ってやつ?」

「そうそう、それですね」

「ウチの奥さんも最近ずっと【Shangri-La】っていうアイドルの男の子たちに夢中でね~若い子じゃんって言ったら『Shangri-Laの二人は遅咲きだからそんなに若くないし、だからその分、考え方とかすごく大人でしっかりしてるのよ!』ってめちゃくちゃ怒られたよ。見た目だけで判断するな失礼だって。そんなこと言われたってこっちにとっては若い男の子にしか見えないし、どっちがどっちだかも分かんないしさあ」

「……それは違うよ! 先生!」

「え?」


つい、口から出てしまった。少し語気が強くなってしまう。勢いよく開けてしまった口をもう閉じることはできず、私はガバっと起き上がる。


「Shangri-Laは下積みが相当長かったの! 事務所の後輩がデビューして続々スターダムの階段を駆け上がっていく中、彼らはそういう機会を与えられなかった。どっちかっていうと彼らはアイドルタイプっていうよりアーティストタイプだから事務所の意向とか、事務所のアイドル像とは多分違ったんだと思う。でもだからこそ、事務所所属のアイドルでありながら、路上ライブとかも自分達でやっていって、演奏技術も歌唱力も磨いて一歩一歩やってきたんだと思う。だからデビューしてからが爆発的に売れたというか、ずっと蓄積していった輝きが、一気に放出されたっていうか! ね!?」


 言外に、分かる? という圧をかけてしまった。こういうところがどのジャンルのオタクも共通して煙たがられる所以だろう。分かっているが、どうしても彼らの良さを自分の口で、自分の言葉で伝えたかった。これもまた、オタクの悲しきサガである。


「高梨さん……もしかして高梨さんも好きなの? Shangri-La」

「や、あの実は少し前からファンになって……まだファンになってひと月くらいなので新参者なんですけどね、はは」

「え、そんな最近なの? いや、逆にすごいよ、なんかもう十年くらい長く応援してる人みたいに熱かったから。すごいね、リサーチ力が。ウチの奥さんより全然詳しくてびっくりした」

「先生……大事なのは熱量なので! ファンの長さとか、そういうのは関係ないんですよ! 浅かろうが深かろうが、ガチだろうが、にわかだろうが、ファンはファンです! そんでもってファンは皆、広い意味で言えば仲間ですね!」

「なるほど。推しってのは、推される人たちも、その人たちを応援しているファンの人たちも全力ですごいもんなんだなぁ。オッサンにはもうその体力はないからさ」

「何言ってるんですか先生。先生の推しは奥様では? というか先生、まだお若いじゃないですか! 私とそんなに年齢変わらないでしょう」

「まあ、そういう意味では推しが家族なのかもなあ。いやでも夢中になれるものがあるのは羨ましいよ」

「年齢のことなんか言い出したら、私だってもうすぐそっちですよ。もう三十三ですからね……ゾロ目到達ですよ。嫌だなぁ……体にガタが出てくるのは三十越えてからってよく昔は母が言ってたけど、悲しいくらい理解してます最近は特に……。十代はまあ当然ですけど、二十代とも全然違いますもん、身体の感じが。毎日ダル重で……」

「そっかあ~高梨さんも、もう三十三かあ。時が経つのは本当に早いもんだね。最初に来た時は確か、社会人になってすぐで見た目は完全にまだ子供だったもんね。純粋な目をしてた」

「それ、褒めてます? まあ新卒なんてそんなもんですよ。社会の厳しさに気付いてなくて夢なんか抱いてて。仕事がこんなにキツいなんて思ってもなかったし、本当に擦れてなくて純粋で、可愛かったですよね~かつての希美ちゃんはきっと」

「まあまあ、そう言いなさんな。今の酸いも甘いも経験済みの大人の女性の高梨さんだって良いもんさ。女性はその年齢によってその歳その歳の良さがあるんだから」

「それ、奥様にもちゃんと言ってあげてます?」

「もちろん。よく言ってるよ。ん? そういえば最初の口説き文句もそれだったような気がする」

「カーッ!いいなあ~!あまーい! アツーい! ラブラブなエピ、いつもゴチです」

「で? そんな高梨さんは相変わらず残業続きなの?」

「言うまでもなく、ですね。だから先生のところにしょっちゅう来ないとやってられないんですよ、体が辛すぎて。まあ、心も疲弊しますけどね」

「なら、やっぱりさっき言ってた生きる糧ってやつ、それがあったほうがいいと思うな。今の時代、心も体も弱ると大変だからね。くれぐれも無理しないように」

先生は整体師として助言したあとに「良かったら奥さんと今度推しの話をしてあげてよ。喜ぶから」と私に頼んだ。

 また一つ、この治療院に通う楽しみができた。





 施術を受け、徒歩で駅まで向かう。いつもの通勤電車の帰宅ラッシュ時刻はまだ三十分ほど先なので電車内はまだ空いており、座席にすぐ座れた。指でスマホのディスプレイをなぞると母からLIMEの連絡が来ていた。


【最近電話してこないけど元気なの?】

【無理しないでね!都会は怖いから】


 母は未だに都会を怖い場所だと思っている。

 向こうから連絡が来るときは始まりはいつも、この文言。


【仕事辛くなったら、戻ってきなさいね。あんたさえ良ければ、お見合いの話もあるし。

いい人が今いないなら、そろそろそういうことも、ね?】


 終わりの文言もまた、いつも同じ。よくある親の圧。

 子を思うがゆえに、早く嫁に行ってほしい、安心したい、そんな余計なお節介要素しかない親心である。



 あー、どうしよう。めんどくさい。

 それでも慣れたものでフリックする指は勝手に動く。

 当たり障りない、感謝をまぶした娘としての返事を送る。紙飛行機マークをタップすると、画面上に表示された自分の返事の横に秒で返事が付いた。

 なんとなく電話が来そうな気がしたので、続けざまに【今、電車だから、また】と送る。

 念押しのようにバイバイと笑顔で手を振る絵文字も追加すると、相手からも同じ絵文字がきた。


『ねえ見て! あれ、Shangri-Laの凪だよね?』

『え、嘘、どこどこ?』

 助かった、と安堵の息を吐いたその時、学生らしき女の子二人の会話が聞こえた。

ハッと我に返る。凪、というその名前に反射的に顔を上げ、声のほうを見てしまう。

 吊革に掴まって立っていた二人のうちの一人の女の子が週刊誌の広告の隣に同じようにぶら下がっているチョコレート菓子の広告を指さしていた。チョコをつまんで、微笑んでいる美しい男性。写真になっても、いや、静止画だと尚更その美しさが際立つ気がする。彼の黒髪は大和撫子に近いものを感じる。和服の似合う美女というか――……いや、彼は短髪だし、もちろんれっきとした男性なのだが、その美しさは男性としてのものよりも、もっとずっと中性的なものに思えた。だから嫌悪感を一切覚えない。ああ、私の推しは今日も変わらず神々しい。


 その夜、公式アイチューブにShangri-Laの新曲のMVが最新動画としてアップされていて、私は何度もその動画を再生した。たっぷり彼らを堪能して、心地いい満足感を得ながらスマホを握ったまま寝落ちしたのだった。


 ***


 翌日は珍しく休日出勤の予定がない、早朝から緊急の呼び出しもない穏やかな休日の始まりだった。こんな時は惰眠を貪るのが一番だと普段の私なら思うのだが、その日はじいちゃんの手伝いをしたいと、ふと、そんな思いが頭を掠めた。先日も美味しい煮物を頂いたばかりだ。今までじいちゃんから貰った数々の恩や優しさを考えれば、少し大家の仕事を手伝ったからといってお返しには到底釣り合わないのだが、それでも、少しずつでも返していきたかった。それにまだまだ若々しいとはいえ、じいちゃんだって高齢だ。いつ何があるか分からない。できるなら、あまり無理をしてほしくなかった。


『年寄りは風邪をこじらせただけでも命取りなんだ。だからそうだなあ、まずは風邪引かないことが健康の秘訣だな』というのが、じいちゃんの持論。


 私は自分の部屋を出て、二階から階段を降りて、階下の一番左端の部屋の前に立つ。ここは他の部屋より僅かにだが広い作りで、大家であるじいちゃんが暮らしている部屋だった。


「じいちゃーん? アパートの前の掃除手伝うよー? ほうき、あったら貸し――」

貸してー! と叫ぼうとして、私は最後の言葉を飲みんこんだ。


『いい加減俺の言うこと聞けよ! どうしてそうなんだよ、じいちゃん!』


部屋から怒声が聴こえたのだ。

よく見ればドアは隙間ができていた。……鍵が開いていたのか。どうやら、じいちゃんの部屋に先客がいるらしい。けれど、聞いたことのない声だ。


 このアパートの住人であれば大家さんを『じいちゃん』や『三上のじいちゃん』と愛称で呼ぶ人が多い。私も『じいちゃん』と呼んでいる。でも、部屋の向こうで彼を怒っているその声は、大学生くんでも、ご夫婦でもなければ、もちろんそのお子さんでもない。じいちゃんの友人なら、名前で『敏郎さん』と呼ぶだろうし。


 だとしたら、声の主はここのアパートの住人ではないということ――……? 

 でもそれならどうして大家さんを『じいちゃん』なんて呼び方で呼ぶのか。

 

 まるで――そう、それは身内のような口調だった。


「あ、あの~……すみません、じいちゃ――……大家さん、大丈夫、ですか? なんか、あの、大きい音したから」

恐る恐る、ドアを開けて、何も知らないテイを装って中を覗く。

 いつもの馴れ馴れしい呼び方で呼びそうになって、慌てて言い直した。


「お、希美ちゃんか!」


ドアからひょこっと体半分入れるようにして覗いていた私を見つけたじいちゃんの顔が一気にぱあっと明るくなり、綻んだのが分かる。私も思わず安堵した。

 ……何だかよく分からないが、助け舟は出してあげられたのだろうか。


 安心したのも束の間、チッ、と舌打ちが耳に届いた。刺々しい音。

 じいちゃんから視線を動かせば、そこには若い男の人がいた。

 着ている半袖のTシャツと同じ黒い色をしたマスクをスッと持ち上げたその人はゆっくり立ち上がる。そうして、私のほうに近づいてきた。


「あ、あの……あなた、何なんですか。どなたですか? じいちゃんに一体何の用っ」

「は? それこっちの台詞なんだけど」


座っていた時には気付けなかったが物凄く背が高い。だからか、悪いオーラというのか圧を感じる。それは私が職場で上司から感じる居心地の悪いものと、とてもよく似ていた。


「あんたこそ、誰?」


――……あれ? 今の声、どこかで……。


 至近距離で投げかけられたそっけない言葉に驚いた。初対面の女性にあんたとは失礼すぎる。

 気分が悪いが、それ以上にその声に、その髪に、見つめてくる大きな瞳に妙な既視感を覚えていた。

 

――私、この人を知っている気がする。

 いやでも……こんな若い子の知り合いはいないはずなんだけど……でも、何でだろう。

 前にもこんな風に目が離せなくなったことがあったような……。


「聞いてんのかよ、オバサン。いきなり人んチ入ってきて何なんだ? ここのアパートの住人ってのはプライバシーも知らねーの? あんたみたいに度を超えて親身になる奴を余計なお世話、お節介って言うんだろうな」

「これ、凪! 希美ちゃんに酷いこと言うな! 希美ちゃんはお前と違ってとんでもなく良い子なんだぞ」

「なに? ばあちゃん死んだ後、俺んとこ来いっつっても来ないで、自分で飯食うくらいはできるとかなんとか言ってアパートの管理人だけはずっと続けてたかと思えば、なるほどね? いい年こいて孫みてえな女と恋愛ごっこしてるわけか。 まさか、生命保険の受取人とかにしてねーだろうなじいちゃん。 もし入っちまってんならそれ、今すぐ解約しろよ。騙されてるって絶対。あんたもさあ、こんな、いつ死ぬか分かんないような可哀想なじいさん騙して良心とかないの? 悪いことやってないでまっとうに生きたら?」


他のことに気を取られて何も言い返していなかった私も悪いのだが、この男、失礼すぎる。

 勝手に憶測で喋り続けて、酷い言われようだ。私はキッ、と相手を睨んだ。


「あの、良心って言うならあなたのほうがないんじゃないですか? じいちゃん相手にあんな大きな声出して。怖がってたじゃない! それにじいちゃんは可哀想なお年寄りなんかじゃないわ。失礼すぎます!」

「は? 家族だから心配してるだけなんスけど。つーか、他人のあんたに関係ないよね」

「他人じゃっ……いえ、確かに他人です。他人ですけど、私は学生の頃からこのアパートに住んでます。大家さんの、三上のじいちゃんにはずっとお世話になって……あの頃も、今もずっとお世話になりっぱなし。私にとっては祖父のような、父にも近い存在なの。だから、じいちゃんを苦しめる人は許せない。他人だけど本当の家族よりも家族みたいな存在だから」

「……」


一瞬、彼の眉がぴくっと動いた。それがはっきりと歪んで、私に対して不快な感情を抱いていることが言葉にされずとも感じ取れる。それでも私は怯まなかった。


「あなたこそ、家族って言うけどどういう関係なの? 家族なら普通もっと優しく接するでしょう」

「あ?」


まるでチンピラのように彼は低く言った。

 上から見下ろされる。なるほど、高身長だというだけでこんなにも威圧感が増すのか。

うっすらと恐怖を覚えながらも、部長がずんぐりむっくりした体型で良かった、などと頭の片隅で冷静に思っている自分がいた。


「これ凪! いい加減にしろ! 見ろ、希美ちゃんが怖がっちまってるだろ! それに仮にもアイドルをしてるお前がこうも素行が良くない子供だと知られるのは、お前だって困るんでないのか?」

「……だから、あれはあくまで仕事だって。金稼ぐためのビジネスでただの手段だって言ってんじゃん」

「そう言う割にいつもしっかり猫被れてるようにじいちゃんには見えてるけどな」

「ちょ、もういいから。じいちゃんもう黙れって」


からかうように言ったじいちゃんに、ちょっと焦ったように振り返ってじいちゃんに注意した彼は、さっきよりだいぶ幼い印象だった。


「え……? っていうか、今……アイドル? アイドルって言った……?」


うっかりサラッと聞き流すところだった。目の前の長身マスクの彼もそれを願っていたのか、「あー……」と落胆するように天井を仰いだ。


「じいちゃん……他人が居る時に余計なことは言うなって俺、いつも言ってるだろ」

「いいだろ。お前には希美ちゃんの爪の垢煎じて飲ませたいってじいちゃんずーっと思ってたんだ。それにな、この子はこの間もじいちゃんの部屋に来て、じいちゃんと一緒にお前が出てるテレビも見てくれたんだ。だから大丈夫さ」

「……なんだ、その辺のこともう知ってんのか。なら、まあ、いいけど……」


――いやいや、知らない知らない! まったく何も知りませんが!?


「待って! 待ってください! 正直、頭が、あの理解が……まったく追い付いてない……私、何も知らないんですが!」


心の中だけで叫んでいたつもりが耐えきれず口を突いて出てしまった。混乱しすぎて、自分が何を喋っているか正直、自信がない。

 本当は、途中からうっすら気付いていた。じいちゃんが彼を『凪』と呼ぶこと。

 『凪』はじいちゃんの孫だということ。


 けれど、男の子だとは思ってなかった。

 長身に白い肌、大きな瞳、彫刻のような美しさだと、マスクで半分顔が隠れていても至近距離になって改めて思っている自分に気付いていた。[[rb:その既視感 > 、、、、、]]の答えに――本当はすでにもう、辿り着いていることにも。

 

ただ、そんなわけない、と否定する自分の声のほうを支持したかっただけなのだ。これまで目に見えていたものは虚像だと、それを認めたくなかった。


「待って……待って。え? た、確かにじいちゃんの苗字は三上、それで、あなたはお孫さん、で……? じいちゃんはあなたを凪って呼んでて……? いやでも同姓同名だってありえるわけだし……そういう偶然だってないとは言えなくない? そう、思いませんか……? ねっ、お孫さん!?」

「普通、本人に聞くかそれ。目がすげえマジじゃん……怖いんだけど。つーか、じいちゃん。全然知らなかったって言ってんじゃんこの人。どうすんだよ、俺にとってもデメリットとリスクしかねーんだけどこの状況……くっそ。……最悪だわ」

「あれ、希美ちゃん知らなかったのか? じいちゃん、前にテレビ見ながら希美ちゃんに教えたよな? これが孫だって。あ~そうか、冗談だって思ってたんだな。どうだ、嘘じゃなかったべ? こいつが俺の孫――凪だ」


少しだけ自慢気に誇らしげにドヤ顔をしてじいちゃんは言った。

 私は彼の後ろでお茶を飲んで笑っているそのじいちゃんから視線をゆっくりずらして、また目の前の彼を見た。


 え、え……? と声が震える。先程、上から見下ろされて威圧されても震えなかったのに、今は声だけじゃなく、膝まで震えだしている。


 これは、本当に現実なのだろうか。


「な、凪くん!? 三上凪くんってアイドルやってるって……もしかして、Shangri-Laの、あの三上凪くん……なの?」

「そうだけど? 気付くの遅すぎじゃね? 俺はてっきりあんたは気付いてて、でも興味ねえから反応しないのかと思って安心してたのに」

「凪くんのそっくりさんとか……ドッキリでもなくて?」

「は? だから違うって。さっきまでの威勢は何だったんだってくらい声ちっさ」

「だって、だってそんな、どう考えても、あまりにもキャラが……っ!」

 

――キャラが違いすぎる!

 

 胸中で叫んだはずの言葉は、またも口から零れてしまった。今度ははっきりと、そのまま全部。

 つまるところ、ショックだったのだ。


 ひと月前、運命の出会いを果たしたあの日。まさしくこの部屋で心を奪われたテレビの中の王子様。

 優しくて穏やかで口調も丁寧で。微笑みもその声も甘くて。そしてその整いすぎた容姿を私はこの世のものとは思えないほど美しいと感じた。これは芸術の最高峰の作品なのだ、そう思うくらいに。

 

なのに、あの日と何ひとつ変わらないこの部屋で、私は同じ人間にもう一度出逢った。《《同じだけど違う》》、《《本物の三上凪》》 に。


 それは、最初の出会いとは対照的に、最低最悪のものだ。



 「嘘でしょ……」と悲劇のヒロインのように大袈裟に膝から崩れ落ちる。


 オタクとは、何か。何かに夢中になりそれを糧に――否、依存するその様は、宗教とよく似ている。

 何かを応援する、【推す】それはもはや信仰と同一である。

 そしてそれを信じる者たちがしていることは所詮、偶像崇拝にすぎない。


 アイドルを推すとは――これこそまさに、無常の極み……。


 私が見ていたものはすべて、見せかけの、作り物だったのか。

 近づいて触ったらすぐ壊れてしまうような張りぼて、いや、繊細な硝子で出来た頼りない世界。


 それなら、近づきたくなんてなかった。

 憧れは、推しは遥か高みに居る存在で、触れられないくらいが丁度良いのに。



「あー、くそ。マジで面倒臭ぇな……あんたが仕事用の俺をどう思ってたかなんて知ったこっちゃないけど、そっくりさんでもドッキリでもねーよ。正真正銘、Shangri-Laの凪。ほら、よく見な」


うざったそうに黒マスクを外して、彼はゆっくりしゃがみこんで、私と目線を合わせた。


「夢を壊して悪いな? オバサン」


意地悪そうにゆるく口の端を持ち上げて笑う彼に、テレビの中の紳士な王子様の姿は見る影もない。

 そこにいたのは二十四の割に幼さの残る、性格も口も悪い、ただの、クソガキだった。


 芸能人の、裏表とか二面性とか、それにしたって限度があるだろう。

 

 ――テレビの中の信じていた推しが、詐欺レベルで性悪だなんて!


 嘆きは声にならなかった。だが、こちらの心情を察しているのか、彼がニヤニヤと意地悪く笑ったまま見つめてくる。


「改めて~、じいちゃんの孫の凪です。よろしくどうぞ?」

「こ、こちらこそ。よ……よろしくおねがいします……」



 こんなガキに負けてたまるかと、私は差し出された手を掴み、彼を睨みつけた。


 こうして私はこの日、芸能界の闇の一部を思い知らされたのだった。



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