第十八章 悪魔との契約
『言うことを聞いてくれたら』仲良しだったはずの細川くんに脅されている。
つい先日、此処で大切な彼と想いを確かめ合った日のことが遠い日のこと。いや、夢だったのではと思
うほど状況が一変していた。それも相当、悪いほうに。けれど、そもそも夢のように感じてしまった瞬間を写真や動画に収められていることがこの最悪の状況の原因なので、紛れもなくあの日は夢ではなく硯実なのだ。でも後悔なんてしていない。本当はもっとずっと後になってから伝えるつもりだった。
どうこうなろうだなんて思ってなかった。
じいちゃんが亡くなって日も浅いのに好きだの何だのと伝えている場合ではなかった。
結果的にじいちゃんなら喜んでると言う彼に乗せられて、いい歳して散々いちゃついてしまった。罰が当たったのかもしれない。
「何をすればいいの。何でもする……私に出来ることなら何でもするから。お願いだからデータを消して細川くん。こんなことで彼に迷惑を掛けたくない」
私は玄関だというのにその場に膝をついた。頭を下げる。こんなことになるなんて。でも気付けなかった私が悪い。こんなに近くにいた最低の人間に気付けなかったなんて。
「そう言うと思ってた。さすが。あなたは頭がいい。でもさあ、ダメだよ。あの男に出会うまでは俺のこと大好きーって感じだったじゃん。漫画の話もアニメの話もできて気が合うねっていつもニコニコしてたのにさあ。俺ねえ、今まで色んな女の子と遊んできたんだあ。ちょろっと悪いこともやったりね?でもまあ全部、親がもみ消した。俺が望んだわけでもないのに……でもあの大家のじいさんにはマジでびっくり。人が良すぎてさ、すげえ笑えるけど俺みたいなロクデナシでも住まわせちゃうんだぜ?やばいでしょ。悪ガキはつい世話してやりたくなるとか言って。俺が依存症だってこと、ちゃんと分かってたのかな、あのじいさん」
依存症――……?言葉を繰り返した私に男は悦惚としている。
「そう。俺はさ、好きになった女の子のことはぜーんぶ知りたいの。でね?全部欲しくなるんだ。嫌がられると余計興奮するから、もっともっと。何としても欲しくなる」
「そんなの、ただの変態じゃない!」
「そうだよ?でもそこにはちゃんと愛があるんだ。世間では俺の想いを盗撮だの、ストーカーだの好き勝手言うからマジであいつら何も分かってないよね。相手の子だって、ちゃんと俺のことが好きなのに」
とんでもなく頭がイカれてる。まるで自分の罪を分かっていない……何でこんな人間が野放しにされているのか。
「あ、今なんで捕まらないのって思った?俺が捕まると困る大人がいるからだよー。俺のことなんてどうでもいいくせに俺が捕まるのは困るからそれがどれほど悪だろうと動くんだ。馬鹿だよね、ウチの親。そのうち人殺しになったってあいつらは俺を守ろうとすると思うよ。ウチの両親、親父は大学病院の院長で、母親は弁護士。もう超エリート。こっちは息
詰まって仕方ないからわざわざ縁切って出てきたのにさあ。参っちゃうよ、ホント。
そういう身内のことでイライラした時は女の子といるのが一番ホッとするんだ。好きな女の子といる時は嫌なこと全部忘れられる。でもこの子が良いなあと思う相手ほど、もうツバついてたりしてさ。そういう子は、彼氏が悪い奴だといけないから俺が守ってあげないといけないんだ。四六時中、俺が。」
思い出話のように犯罪者は眼鏡の奥の瞳を細めていた。気持ち悪い。不快感と嫌悪感が私の身体を支配する。
「ねえ、希美さんはどっち……? あいつ、芸能人だから相当チャラチャラしてるでしょ。そうだよね?そうに決まっ
てるよねえ。本当はわざとだよね。だってあなたは本当は俺のこと好きでしょ。妬かせたいからってアイドルなんてあんな誰にでも媚びる奴と遊んでさ。まあ、そういうところも可愛いけど、度が過ぎるんじゃないかな」
「ちがっ」
「違う?じゃあ本当に三上凪とは付き合ってるってことでいいんだ? 人気アイドルの熱愛スクープ、世間は大騒ぎだ。SNSなんかきっとファンは大荒れだろうな。せっかくじいさんのためにアイドルやってた彼も報われない。可哀想に」
「……さっきからあなた、一体私に何をさせたいの!?」
「早くあいつと別れて、俺と付き合って? ううん、俺のところに戻ってきて」
「そんなの……私はあなたの恋人なんかじゃないっ!」
凪くんと別れることで彼自身の仕事に迷惑が掛からないというのなら私は喜んで彼の前か
ら消える。でもこんな卑劣な男の恋人になるくらいなら、今ここで死んだほうがまだマシ
だ。
「強気の希美さんかあ。いいね、そういう怒った顔も可愛い」
「ふざけないで!今すぐ警察に通報する!」
「え、俺、いったい何の罪で裁かれるの?」
「さっき言ってたこと全部、立派な犯罪でしょ!」
「そんなのわざわざ自白するわけないやろうが。おもろいなあ、やっぱり君は」
素が出たのか、彼の故郷の方言が出ていた。しかし話していたこと全部が疑わしいので本当に京都出身なのかも怪しい。
「なら私が話す!ここで聞いたこと全部!」
「それは構わないけど俺が今スマホを操作すれば、この写真はSNSで流れちゃうよ?捨て垢だからすぐにアカウントも削除するけどもうその頃には確実に拡散しちゃってるだろうね。週刊誌に売って金にしようと思ったけど、そっちのほうが秒で済む」
「あんた……ほんっとに最低よ!」
吐き捨ててしまった。本当に生粋のクズだ。
私が警察に連絡したとしてもこの男がSNSの海に放ったものはあっという聞に拡散してしまうだろう。私はオタクだからこそ、その流れの勢いを知っている。その海がいかに汚れているのかもまた、同じように。
「あ、そうだ。希美さん。エアコンの調子はどう?俺の修理、バッチリでしょ?こっちも快適でね、離れていても希美さんが部屋で何してるか見れるし全部聴こえる。我ながら自分の腕に惚れ惚れするな」
「まさか……」
「忘れちゃダメだよ。俺はいつでも見てる。いつだってどんな時だって。希美さんを一番愛してるのはこの俺。全部知ってるよ。たとえばそうだな……見えないホクロの位置とかも、ね?」
悪寒が止まらない。私は両腕で自身を抱き締めた。まさか部屋の中をずっと盗撮、盗聴されていたなんて……。そんな恐ろしいことに今日この日までまったく気付かなかった。
「もし俺がこの部屋から出た後で警察に電話しても、俺からは全部見えてる。困るのは希美さんだよ?自分のせいで世界中に熱愛が知られてしまう。非難されるのはそう、あの男だ。そんなの、あなたが一番嫌な流れでしょ?」
「やだ……やめてよ。絶対やめて……分かったから、お願い……っ!」
今が最悪なんじゃない。私の行動次第でもっとさらに上の最悪の展開が待ち受けていることになる。それだけは絶対に避けたい。彼が、彼らが積み上げてきた全部を私が台無しにするわけにはいかない。
自分が何を最優先にすべきか、それだけは、はっきりと分かった。
「さすが俺が愛してる女。あのじいさんなんか、俺に目ぇつけてたっぽくてさ、しょっちゅう部屋点検に来るからマジでウザくてさ。せっかく希美さんと俺との二人きりの秘密の時間邪魔すんだもん。じいさんが来るたび映像も音声も切らなきゃじゃん? マジでぽっくり逝ってくれて助かったわ」
「こんのっ……クソ野郎!」
思わず立ち上がって勢いのまま彼に掴みかかった。
信じられない言葉しか吐いてないような相手だけど、今の言葉だけは絶対に許せなかった。
「おっ、いいね~。希美さん、俺を殴れる? いいよ。それもまた、快感だしね」
「ふざけんな!じいちゃんが、じいちゃんがどんな思いで……っ!絶対許さない!許さないからなっ!!」
「……へえ、それで……?あなたに何ができるのか教えてよ」
「っ!?」
あっという間に手を掴まれて制され、強く手首を尚も握られる。驚きよりも鋭い痛みが先に来る。握りつぶされそう。
骨が、ミシミシ言ってる。
「い、痛っ……く、ぅ…っ」
「ああ、ごめんごめん。痛かったね。つい興奮しちゃって」
へらへらした表情はそのままに、私を見下ろしながら手を離し突き放す。私は床に倒れた。
希美さんと呼ぶその男は、もう、同じ人とは思えなかった。
「俺は大事な恋人には甘いから猶予をあげるね。まずは――火遊びをちゃーんと清算してこいよ、……ね? 分かった? 希美さん。忘れないで。俺はいつも、あなただけを見てるから」
囁きが落ちる。悪魔の声だった。笑い声と共に、その悪魔は部屋を出ていく。
恐怖以上に、無力でそのことに涙が溢れた。悔しい。虚しくてたまらない。
大切な人を侮辱されたのに、何もできなかった。そしてこれからも、言いなりになるしか選択肢はない。
でも彼だけでも助けられるなら、私にできることはもう、それしかなかった。




