第十五章 涙に溺れる聖夜
じいちゃんとライブに行く約束をしたあの日から、日を追うごとに私の仕事が忙しくなり、残業で帰宅時間が二十二時過ぎるのは当たり前で、むしろ帰宅できるならマシなほうだ。部下の新人教育と、上司に押し付けられた業務の同時処理を行ううち、帰る時間が勿体ないと泊まることも多くなった。食事は手早くコンビニのおにぎりや、ゼリー飲料、カロリーマイトなどで済ませていたので栄養不足は言うまでもないが時短にはなった。日中はカスタマー対応がメインになるので、夜の勤務時間外の作業でそのほかの事務雑務をこなしていった。正直、「忙しい」と感じる隙もないほどの多忙さで、その頃の自分は凪くんに見ててくれと言われていたのに、じいちゃんのことを気に掛ける余裕もなく、それでも二十四日のクリスマスイヴには、じいちゃんと共にShangri-Laのライブに行けると、それだけを励みにしていたことは確かだった。
今思い返せば、残業して帰宅する時もじいちゃんの姿を見掛けることはなくなっていた。顔だけでも見に行くべきだったと、今更思ってもどうにもならないことを、私はずっと悔やんでいた。
その日は、朝から外が騒がしかった。
ライブ参戦を明日に控えた、十二月二十三日のことだった。
前日の夜には【気を付けて来いよ。じいちゃんのこと頼む】と凪くんからLIMEが来ていたので【任せて!千秋楽楽しみにしてます】と私も返事をしたのだ。
翌日、出勤するためいつも通りに部屋を出たら、一階の大家さん宅――じいちゃんの部屋の前に人が集まっていた。何かあったのかと胸騒ぎがして、私はすぐに彼らの元へ駆け寄った。
「おはようございます。あの、じいちゃん……大家さんに何かあったの?」
「あ、高梨さん……実はね、」
家族が増えたばかりの新婚家庭の奥さんが私の問いに言いにくそうに目を背ける。
『大家さん! 大家さん大丈夫ですか!? 聞こえますか、三上さん!』
開いているドアの向こうから、じいちゃんを呼ぶ声がした。声の主はこの奥さんの旦那さんだ。考えるより先に身体が動いた。
「じいちゃん……!」
背後から私を呼び止める奥さんの声がしたけど、私の足は止まらなかった。靴を脱ぐのも忘れて、そのまま部屋に上がった。今もじいちゃんを呼ぶ声がずっと聴こえている。辿り着いたのは台所で。倒れているじいちゃんと、心臓マッサージをしようとしていた旦那さんがいた。
「じ、じいちゃん……うそ、嘘でしょ……」
「家賃を渡すために来たら鍵は開いてるのに大家さんの返事がなくて、部屋に来たら倒れてて……っ脈がないんだ」
「そ、そんな……あの、救急車……っ」
「もうとっくに妻に呼んでもらってる!」
いつも穏やかな旦那さんの語気が荒くて、必死でじいちゃんを救おうとしてくれていることがひしひしと伝わってくる。けれど、私は気付いてしまった。触れたじいちゃんの手が氷のように冷たいこと。その身体が酷く硬直していること。大好きなじいちゃんの命の灯はもう、とっくに消えてしまっているということに。
「やだ……やだよ……じいちゃん……っ! ねえ、じいちゃん……っ!」
おい、救急車の到着まだか!? 旦那さんが大声で外にいる奥さんに聞いていたけど、そこからの記憶は全て現実味がなくて、私の魂もどこかへ抜け出て行ってしまった感覚だった。
救急車はあの後、十分後に到着したらしい。けれど、その時点でじいちゃんの死亡が確認され、自分達にできることはないと救急隊員の方々は警察に引き継いで帰ってしまった。
自宅ですでに亡くなっていた場合には、担当は警察になるのだ。たとえ事件や事故でなくとも、それをはっきりとさせるためにご遺体を確認し、第一発見者や関わった人間に話を聞く。そして検死のため遺体を持ち帰り、事件性がないことが証明されて初めて、彼らはじいちゃんをこの家に帰してくれた。アパートの前にはしばらくの間、ドラマでよく見る黄色い≪KEEP OUT≫の規制線が張られていた。
検死の結果分かったことだが、じいちゃんの死因は、くも膜下出血だったそうだ。発症すると半分ほどの割合で死に至り、治療できて助かったとしても後遺症が残る可能性が三十パーセント。また、じいちゃんのように病院に運ばれることなく亡くなってしまうという重いものは、突然死のように発症するため、防ぎようがない。突然死の死因でも、くも膜下出血は最近は若い人にも増えているそうだ。出血量が生死を分ける大きな鍵になるのだとじいちゃんの死因を聞いた時、教えてもらった。
『血縁の方、ご家族は?』と捜査員の方に聞かれたので「お孫さんがお一人です」と私が答えた。
倒れていたじいちゃんを最初に見つけてくれたご夫婦は、仕事とお子さんを保育園へ送らなければならないと言っていたので、私が引き継いだ。仕事は有給で休んだ。
『この忙しい時期に休むなんて何考えてるんだ』と上司は電話の向こうで激怒していたが、正直、どうでも良かった。
じいちゃんを一人ぼっちにしたくなかった。
捜査員の方が『そのお孫さんと連絡取ることできますか』と聞いてきて、私は答えに困ってしまった。取れないわけじゃない。連絡先も知っている。でも彼は芸能人で、国民的アイドルで、明日、ツアーの千秋楽を控えている。じいちゃんのことを伝えたとして、すぐに駆け付けられるものなのだろうか。
「分かりました。連絡してみます」
そうは言ったものの、LIMEのトーク画面を開いたまま私は動けずにいた。なんと言い出したらいいか分からなかった。正直、私だってまだ事態を納得できていない。お線香が焚かれた寝室で綺麗な布団に寝かせられ、白い布を顔にかけられているその人があの大好きなじいちゃんなのだとこの期に及んでも信じたくない自分がいた。
【圭さん。時間できたら電話ください。できればマネージャーさんとお話したいです。凪くんのおじいちゃんが今朝倒れているのをアパートの人が見つけてその時にはもう亡くなっていました。とにかく少しの時間でも良いので連絡ください。凪くんにも伝えてほしい。】
開いていた凪くんへのトーク画面から圭さんへのトーク画面に切り替え、私は胸の痛みを堪えて無心で指を動かした。けれど、どんなに感じないようにしていてもその事実を、現実を文字にしただけで次々と涙が溢れて止まらなかった。
「……っぅ、うう……」
じいちゃんの傍で、じいちゃんを見守りながら寝室の壁に寄りかかって、私は一人嗚咽を漏らす。気が付くと捜査員の方が傍に来ていて、大丈夫ですかと気遣ってくれた。本当はもっと気丈に振舞うべきだと分かっていたけれど、ただ頷くことしかできなくて、静かな部屋に私の押し殺した泣き声だけが響いていた。
圭さんからのLIME通話の着信が鳴ったのは、一時間ほど経った頃だった。
「けいさん……」
泣きっぱなしだったので、私の声はもうすでに聞き取りにくい枯れたものになっていた。電話の相手は凛とした声で挨拶した。
『高梨希美さんの携帯ですか。お話は伺いました。私、Shangri-Laのマネージャーをしております、スターライト事務所の坂崎と申します』
Shangri-Laのマネージャーの坂崎さんと仰る女性は、今後のことを分かりやすく且つ簡潔に話してくれた。
凪くんは明日の千秋楽公演が終わり次第、こちらに戻ること。Shangri-Laの凪の家族構成や過去について、当然詳細なプロフィールは世間に公表していないので、育ての親の祖父が亡くなったことも公表せず、近親者のみの密葬で取り仕切ること。葬儀のことは凪くんとマネージャーさんか到着後に葬儀屋と話をすること。要点をまとめればこんな感じだった。
私はマネージャーさんが提示するそれらすべてに了承した。凪くんが来るまでじいちゃんの亡骸を綺麗なまま安置しておくため、そして最後のお別れの時をゆっくり過ごすために、私は凪くんがじいちゃんの元へ到着するまでこの家に泊まり込むことに決めた。
子供の時から幽霊や怖い話が大の苦手だったのに、じいちゃんと二人きりの時間はちっとも怖くなかった。むしろ私と二人しかいないのだから、じいちゃんの霊が出てきて喋ったり、布団で穏やかな顔をしているこのじいちゃんが動き出せばいいのにと本気で思っていた。もう一度会いたくて話がしたかった。話したいことが、一緒に楽しみたいことがまだまだいっぱいあったのだ。どんな人もいずれは終わりが来る。それは当たり前で、じいちゃんは高齢だったのだからこういう日がいつ来たって何らおかしくないのに、まだ大丈夫だと、勝手に思っていた。まだその時ではないだろう、と。別れは本当に何の前触れもなくやってくるのだな、と改めて痛感した。もっと出来ることがあったはずだ。忙しさを言い訳にせず、もっとちゃんとじいちゃんの家に顔を出せば良かった。私なら、それができたはずだ。いや、絶対にできた。だから凪くんも私にじいちゃんのことを頼んでくれたのに。じいちゃんのことも、彼との約束も守れなかった。……最低だ。過ぎてしまったことはもう取り返すことは二度と出来ないのに、後悔は尽きることなく募っていく。涙も一度止んでもすぐにまた溢れてくる。じいちゃんの顔を見ているだけで泣けてきて仕方ない。
「ごめんね、じいちゃん……私、何もしてあげられなかった……」
白い布を取り去って、じいちゃんの顔を見つめて私は語りかけた。何度もそう謝る。『なんも、なんもだよ、希美ちゃん』そう言って笑う声が懐かしい。私の声は、じいちゃんに届いているだろうか。今も上から見ているかな……。
凪くんは大丈夫だろうか。あれから、誰からも連絡はきていない。じいちゃんの死を知った彼のメンタルが心配だった。いくら仕事だとはいえ、大切な人が亡くなったその翌日にライブでファンに笑顔を振りまくのは相当大変なことだろうと思う。こんな時に一般人と芸能人の違いというものを思い知る。親の死に目に会えず、自分はステージの上に居たと舞台俳優さんや大御所の芸人さんなんかも昔、言っていたのをテレビで観たことを思い出す。
『辛いけど、それが僕の仕事。その道を選んだのは自分自身で、親の死に目に会えないくらい忙しくなってほしいと親には言われていたので……変な話ですが、やっと一人前になれたのだと思います』
インタビューにそう答えていたのは誰だったか。他人事としか思えなかったそれが、今になってやけに胸を締め付ける。凪くんもそう思っているのだろうか。でも心の中は辛いに決まっている。それでもいつも通りに振舞わないといけないなんて……芸能人は本当にすごい。私には絶対に向いていないと分かる。仕事だってこの通り、すぐに休んでしまった。
「でもじいちゃんはきっと、そういう凪くんが誇らしいんだよね……ね、じいちゃん」
心なしか、穏やかなその顔が笑っているように見えた。
一晩、じいちゃんと共に過ごした。私の育った地元では『亡くなった人が寝てる時はお線香の火は絶対に絶やすな』ときつく言われていたので、そういう時には親族全員で順番を決め、代わる代わる起きて、亡くなった方と一緒に過ごし、線香を見張っていた。小さい頃からそういう慣習があったのでまったく苦ではなかったし、じいちゃんに話しかけながらこうして過ごせることはありがたい時間だとさえ思えた。
「お邪魔します」
「細川くん……来てくれたんだね」
じいちゃん、細川くんが顔を見せに来てくれたよ。私は努めて明るく優しくじいちゃんに声を掛けた。
「顔を見てあげて?」
「はい……。大家さん、本当にお世話になりました。何だろう、まだ全然実感なくて……寂しいな……すごく」
細川くんは手を合わせ、ぽつりと零した。私もそうだね、と頷く。細川くんは今日は眼鏡を掛けていて、それを外して目元を拭った。
「ティッシュあるよ」
「あ、すみません……」
箱のティッシュを渡すと二枚引き抜いた彼が鼻をかんで、その後もぐす、ぐすと啜る音が聴こえていた。
「あの、高梨さん……いや、その……希美さんは大丈夫?」
「え、私? あ、うん、昨日からずっとじいちゃんと一緒に居るから、何ていうかだいぶ飲み込めてきた。でも……へへ、実はもうこれティッシュ三箱目。ごめんね、じいちゃん。せっかく高級ティッシュのスコッチを無駄遣いするなーって怒られちゃうね」
冗談みたいに笑ったが、またポロっと滴が落ちた。
「あ~……もう、涙腺がダメみたい。勝手に出ちゃう。でもいいんだ。私はこの時間を大事にしたいの。彼のことも待ちたいし」
「……彼?」
「……じいちゃんのお孫さん。連絡は取ってあるんだけど、今日のお仕事終わったら車飛ばして来るって。」
「その、そんなにお仕事お忙しいんですか? 大家さん亡くなってもう一日経ってますよね」
「うん。でもそれは……うん。ごめん。詳しくは話せない。細川くんは私のお友達だけど、勝手に話すべきじゃないと思ってる。でもね、お孫さんはいつもじいちゃんのこと想って、一生懸命お仕事してる。今もきっと、泣きたいくらい辛いのにそれを隠していつも通りに笑って、完璧にお仕事をこなしてるんだと思う。じいちゃんはそういうお孫さんが何よりも自慢だったから」
「………」
細川くんは黙ってしまった。何かを考えるようにその眉間に皺が寄っている。
「希美さん、そのお孫さんって……」
「うん?」
「いえ、その、少し休んだらどうかなって。寝てないんじゃ……僕、代わりますよ」
「ごめん、細川くん。これは私の勝手な自己満足。っていうか我儘かな。できるだけじいちゃんと一緒に居たいの。じいちゃんと一緒に彼が来るのを待ちたいんだ。……気遣ってくれたのに、ごめんね」
「……いえ、余計なことでしたね。すみません」
細川くんが帰った後も、次々とじいちゃんと仲の良かったアパートの住人の皆が顔を見せてくれた。彼らが涙を見せるたび、私も一緒にじいちゃんのことを想って泣いた。
それを繰り返すうち、あっという間に日は落ちて、凪くんがマネージャーさんや圭さんとじいちゃんの部屋に現れたのは、日付変更線を超えてすぐのことだった。
***
「じいちゃん……っ!」
名を呼びながら部屋に飛び込んできた凪くんはじいちゃんの姿を目に入れた途端、崩れ落ちて膝をついた。
酷く幼い少年のような表情。それはまるで迷子になった子供が親を探しているかのようで、悲しみや辛さが痛いほど伝わってくる。でも、私には本当の凪くんの悲しみなんて半分も理解できていないのではないだろうか。私の悲しみを彼が理解できないであろうことと同じように、凪くんには凪くんの唯一の家族としての、彼だけが持っている大切な記憶が、思い出がある。私にも、彼の知らないじいちゃんの記憶と思い出がある。じいちゃんとは私が十九歳の頃からの付き合いだ。家族にはもちろん及ばないが、それでも、軽く十年は歴史がある。お互いに同じ記憶や思い出は共有できないけれど、悲しくて寂しくて、どうしようもないほど胸が痛くて苦しいのは一緒で。会いたいと願ってしまうのも、もっと一緒にいたかったと悔やむのも一緒だ。それを共有できる存在がいるだけ、私達は幸せだ。じいちゃんが最後に私にくれた贈り物だったのだ、きっと。きっと――。
「俺まだじいちゃんに何もしてやれてねーのに……! ごめん、ごめんな、じいちゃん……っ!」
整ったその顔をくしゃくしゃにしてじいちゃんの身体に顔を埋め、泣きじゃくる彼のらしくない姿を見つめている私は何も声を掛けられず、ただずっと、それだけを思っていた。
葬儀の手配の関係はこちらがするから、と坂崎マネージャーが言ってくれた。彼女は電話で聞いた声のイメージより随分と若い印象だった。
「凪、大丈夫かい?」
圭さんがそっと凪くんの背中をさすり、私のほうを見る。
「いや、言い方を間違えたな……大丈夫じゃなくて良いんだ。今日くらいは、お前は大丈夫じゃなくていい。俺は茜の手伝いをするからお前は心配しなくていい。敏郎さんと、今夜は家族とゆっくり過ごせ」
「……悪い。けい……」
「なに言ってんだ、僕はお前の相棒だ。このくらい当然だ。僕だって、お前の家族には本当に世話になった。ご飯も本当に美味かったし……できるなら、もう一度この部屋で皆で食べたかったな」
「ああ……」
涙声で凪くんが頷く。涙を流しながら、彼は少しだけ、しかしやっぱりまだ苦しそうに微笑った。
「希美さん」
「……はい」
「すみませんが、凪と、それから凪の家族をよろしくお願いします。僕は葬儀の手配の手伝いと今後の動きをマネージャーと相談するので。一晩、三人だけで平気ですか?」
「もちろんです。私はじいちゃんとは血は繋がっていないけど、私にとってもじいちゃんは大切な家族ですから。家族以上に、家族として接してもらった大切な存在です……!」
「貴女ならそう言ってくれると思いました」
圭さんは微笑んで、私に向かってしっかり頭を下げ、マネージャーさんと共に部屋を出ていった。
***
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。私達は同じように寝室の壁に背を預けて、布団の上で穏やかに眠っているじいちゃんを見つめていた。
互いに、言葉はなかった。でもその静寂が、私達を落ち着かせてくれるのが分かった。
「……考えてみれば初めて会った日も、この部屋でこの三人だったな」
「うん……そだね」
「じいちゃんさ、俺があんたに初めて会って、あんたがショック受けてヘロヘロになって帰った後、なんて言ったと思う?」
「何だろう……私がShangri-Laのこと好きだって教えたとか?」
「『あの子、希美ちゃんって言うんだ。美しい希望の希で、希美だ』って嬉しそうにあんたの名前を俺に教えたんだよ」
「私の名前……?」
凪くんは思い出したように笑みながら「ああ」と頷く。
「正直、興味なかったし、どーでもいいと思った」
「だろうね」
「でもじいちゃんがさ、『お前の母親の名前も同じ漢字が入ってた。でも[[rb:お前の希望 > 、、、、、]]にはなれなかった。それは俺のせいだ。こうしてお前の親代わりをする資格だって本当はじいちゃんにはないと思ってる。お前の母親の親は、じいちゃんだもんな。でも、何でだろうな……何でか分かんねーんだけれど、あの子は、あの子ならお前の希望になれるかもしれねえって思うんだ』つってさ。勝手だよな。実際そう言ったよ。見合いじゃあるまいし、勝手に決めてんじゃねえって」
その言葉とは裏腹に、凪くんはどこか安心したような清々しい表情をしてじいちゃんを見ていた。
「ったく、もう幾つだと思ってんだ。もうあんたに助け出されたあの頃の俺じゃねーんだぞってな。聞いてんのか……じいちゃん」
「……っ」
じいちゃんに話しかけるその声が優しすぎるから、やっぱりまた涙が勝手に溢れ出す。
「会いたいな、会いたいよ……じいちゃん……っ」
「そうだな……俺も、会いてぇ。もっと色々してやりたかった。そのために有名になって金を稼いで、じいちゃんに楽な暮らしってやつをさせてやりたかった。でも……俺はやっぱ、じいちゃんに何も返してやれなかったな……じいちゃんのお陰で俺は今もこうして生きてるのに……情けねえよな。大勢のファンを幸せに出来たって、唯一の肉親を、一番大切な相手をさ、幸せにできねえんだから……」
彼の後悔に思わず私は顔を上げる。咄嗟にそれは違うよ、と口から出ていた。
「じいちゃん、凪くんの話する時が一番幸せそうだった。凪くんの秘密を私が知ってからは、じいちゃんは私にだけこっそり『Shangri-Laは最高だ。なんたって俺の自慢の孫がいるからな』ってよく言って笑ってたんだよ。本当に嬉しそうでね……私、そのじいちゃんの顔を見るのが大好きだったんだ」
凪くんがじいちゃんから私の顔へと視線を動かすのが分かった。彼の目が真っ直ぐ私を見つめている。
「だから……凪くんはじいちゃんにちゃんと返せてたと思う。ううん、返さなくたって、そこに元気でいてくれるだけで幸せだったと思う。じいちゃんにとって凪くんは世界で一番大切な家族なんだから。家族に貸し借りなんて必要ないって私は思う。凪くんがじいちゃんにありがととうって思っているのと同じで、じいちゃんもたくさん凪くんにありがとうって思ってたと思う。私の想像だけど、私の知ってるじいちゃんならきっと。うん……そう思う。だから、ううん、それなのに、私……私は、」
――あの日、あなたに見ててほしいって言われたのに、じいちゃんを助けられなくて、こんなことになって本当にごめんなさい。
ずっと言わなければと思っていたのに、言えずにいた言葉たちを吐き出す。それは途中から堰を切ったようにぼろぼろと涙が止まらなくなって、ほとんどまともに聞き取れないような泣き声になってしまった。ただただ「ごめん、ごめんなさい」と私は何度も彼と、そしてじいちゃんに謝った。
仕事なんてほどほどにして、ちゃんと毎晩でも顔を出すべきだったのに。何もできなかった。家族より家族のような存在なんて昔も、さっきだって圭さんに言ったけれど私が彼らにしてあげられたことなんてほとんどなかった。それは自分が一番よく分かっていた。後悔の言葉を幾つも吐き出しているうちに少し過呼吸のようになってしまって咳き込んだ。
「あんたは悪くない。あんたのせいじゃない。誰のせいでもないんだ。俺の、あんたの知ってるじいちゃんなら言うだろ?」
「でも……っ」
「あんたが泣くと『女の子を泣かすな』ってじいちゃんが怒って化けて出てくるから……もう泣くなって」
「……いいな、じいちゃんに化けて出てほしいから、もっと泣こうかな」
「おいやめろ。あのな……言っとくけどその泣き顔、相当ブッサイぞ、あんた」
「ブッサイって何よ、何語?」
「ブサイクって意味しかなくね?」
「……殴る」
「おっと顔はやめてくださいますか? こっちは一応商品なので」
「腹立つ……商品なのはガチだから尚更腹立つ……国宝級の顔面腹立つ……」
「褒めてんだか怒ってんだか分かんねーよ」
「そんなの私も分かんないよ。褒めたくないのに貶しても褒め言葉になっちゃう顔面なのがどうかしてる」
「ふはは……でもそうだな、化けて出てくんの良いよな。二人でメソメソ泣いたらじいちゃん困って出てくっかな?」
「メソメソって……ファンの子達はそんなShangri-Laの凪は絶対想像できないだろうね。うん、でも良いかも。じいちゃん寂しいよ~って二人で泣くか、メソメソ!」
これ以上ないくらいの悲しみと寂しさがずっと胸にあるのに、私達はじいちゃんを見つめながら、似たように笑い声を零していた。
現実感が無くてずっと震えて冷えていた指先は、気付いたら自然と隣の冷えた彼の手と繋がっていた。
それはとても頼りないぬくもりだったけれど、私にとってぽっかりと空いたこの心の穴を唯一埋めてくれる体温だった。
「こんな時に言う言葉じゃねーけど」
「うん」
「ここに、あんたが――希美がいて良かった」
「……私も、そう思ってる。最後の夜を、こうして三人で過ごせて良かった」
「……ありがとうな」
「私こそ、ありがとう、凪くん。それから本当にありがとう、じいちゃん。ずっとずっと大好きだから……ね?」
最後までしっかり伝えたかったのに、じいちゃんに贈った言葉の最後はやっぱり涙で滲んだ。ふいに繋がれた手に力が込められたので、私もそれをぎゅっと強く握り返す。
私は、貴方は、これからも、きっと大丈夫――。
せめてこの思いが、ちゃんと伝わるように。
その夜は、悲しみもあたたかさも全部詰まった、一生忘れられない聖夜だった。




