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第十四章 かなしい遺言


 昼休み終了の五分前に、細川くんからもLIMEが届いた。


【今夜、二十時にお店予約しました。お仕事のほうは大丈夫ですか?】

【残業せずに退勤できるように頑張るね。ところでお店は?】


 もう午後の始業時間ギリギリだったのだが、私は聞いた。

 それに対しての返事はなく、ただ【迎えに行きます】とだけ返ってきた。

迎えに……? 細川くんに職場の場所教えたことなかったはずなんだけど、ああ、そっか。駅まで来てくれるって事か。


 私は納得して【了解です。ありがとう】と返事をしてから、マナーモード設定にしたそれをデスクの引き出しに仕舞った。

 十二月の仕事の忙しさはやっぱり思った通りで、給湯室にコーヒーを淹れに行く時間さえなかった。新しい年が来る前に新しいパソコンのセットアップを頼むお客さんが多く、それに伴って苦情も増えていく。カスハラ全開な苦情内容だが、そこでこちらが応戦すれば残業が決定するだけなので姿の見えない相手に向かって私はひたすら笑顔でペコペコ頭を下げ続けた。笑顔のまま表情筋が固定されてガチガチになってしまった感じだ。でも、その甲斐あってか定時退社は叶わなかったものの、十九時過ぎには仕事を終えることができた。

 細川くんに【今、仕事終わりました】と連絡しておこうと、スマホ片手に外へ出たら「高梨さん!」と名を呼ばれた。

 スマホのディスプレイから顔を上げれば、今、連絡をしようとしていた細川くんが立っていた。

「細川くん!? え、どうして?」

「迎えに行くって言ったでしょう」

「え、でも私、職場の場所なんて」

言ってないよね? 私のその言葉は「さ、行こう!」といつもよりやけに明るい細川くんに遮られた。

 細川くんはとてもスマートにタクシーを拾って私に乗るよう促し、行き先を運転手さんに告げた。それは行きつけの居酒屋ではなくテレビでもよく紹介されている有名なフレンチ店の名だった。

「ほ、細川くん……大人としてすごく言いにくくて恥ずかしいし、その、非常に情けない話なんだけど……その、いつもアパートの皆でよく行ってるあの店なら私でも奢れるんだけど、高級フレンチのディナーはさすがに自信ないっていうか、無理……かな」

「なんだ、そんなこと? 全然問題ないですよ。大学の友人のご両親の店だから、特別に今夜は貸し切りにしてもらえたんですよ」

「貸し切り!?」

「そう。だからお金も心配いらないです。今日は高梨さん大変だったんですから美味しいものいっぱい食べてリフレッシュしちゃってください」

「え、そんな、悪いよ……元々、私がお礼したいからって話だったのに」

「いいから、いいから。ね?」

 今朝から気付いていたけれど、気のせいだと思おうとしていた。私が初めて会った頃の彼とは、雰囲気が随分と変わっていた。


 ――まあ、大学生って急に垢抜けるものだもんね……私もそうだったし、そんなに驚くことでもないんだけど。


 眼鏡はコンタクトになっているし、髪型もワックスで少し遊ばせていて、服装も以前はきっちりシャツのボタンを上まで留めているような、いかにも真面目な子という印象だったのだけれど、今は少しルーズさもあって、イケイケのどこにでも居そうな若い大学生だ。一歩間違えたら新人ホストにも見えるかもしれない。私は今隣に座っている彼が私の知っている細川くんじゃないことがちょっと寂しかった。でも、今の細川くんのほうが当然大学ではモテるだろうことは分かるし、本来はイメチェンが成功したなら、それは「すごく格好いいよ!」と言ってあげるべきだということは分かっていたので、彼が楽しげに話しかけてくる言葉にずっと曖昧に笑っていた。


「ねえ、あの、やっぱりこの場には相応しくないよね……? 今の私の服装って……」

「そんなことないですって。貸し切りなんだし。誰のことも誰の目も気にすることないでしょ?」

「う、うん……まあ、そうだけど」


 見るからに高級な、格調高い雰囲気の店内は、本当にお客さんが一人もいなかった。シェフが笑顔でいらっしゃいませ、と言う。

 細川くんいらっしゃい、と彼に言っていたので、友人の親御さんというのは本当なのか。友人というだけの理由で店を貸し切りにできるるお父様、太っ腹すぎるなと私は妙なところで感心していた。お父様といえば、じいちゃん、今何してるかな。凪くんとは話せただろうか。ライブに一緒に行こうって早く誘いたい。


「ですか?――……高梨さん?」


 ハッと我に返る。気が付けばもう一時間経っていたのか。コース料理はまだ終わらない。


「あ、ご、ごめん。なんの話だっけ?」

「大丈夫? 飲み過ぎた?」

「ううん。大丈夫。ちょっと考えごとしちゃってた」

「あ、そういえば高梨さん、最近エアコンの調子はどうです?」

「へ……?」

「お部屋のエアコン。夏場、僕が修理手伝ったでしょ」

「あ……そうだったっけ?」

「ですよ。あのアパートボロいから最新のエアコンつけても相性が悪いのかなあ。よく壊れますよね。ブレーカーとかもよく落ちるし。敏郎おじいちゃんもお歳だから、僕が修理を買って出た。あれ、忘れちゃいました?」


 確かに夏場はよくエアコンが壊れた。毎年の夏の恒例行事みたいなものになっていたから、細川くんがいつ修理をしてくれたのか、私はもうすっかり忘れてしまっていた。でも細川くんに言われて「そんなこともあったような気がする……」と思い始めていた。そもそも三十路過ぎてから加齢のせいか自分の記憶が信用できないことが時々あるので、目の前の若い彼がそう言うなら、それが正解なのだろうと思うしかなかった。


「もう十二月だし、そりゃあ高梨さんの住んでたところほどではないだろうけど、年末は寒くなるから、暖房機能、おかしくなったら、いつでも言ってくださいね」

「うん、ありがとう」


 今日の私は何だかずっと誤魔化すように笑顔を見せている気がする。ああ、細川くんには申し訳ないけど、こういう日はやっぱり、じいちゃんの手料理が食べたい。じいちゃんの作る和食が大好きなのだ。出し巻もまた食べたい。


「そういえば大家さん、前にお孫さんのお話してたんだけど、高梨さんは知ってますか? どんな人なんだろう。言うこと聞かなくて子供っぽいところもあって大変だって笑ってたけど。お孫さんが僕と歳が近いみたいで、そのせいか、僕のことも本当の孫みたいに思って接してくれるんだよね」

「じいちゃん、お孫さんのこと本当に大切だからね。でもじいちゃんだけじゃなく、お孫さんもすごくじいちゃんを大切に思っていて、家族思いで優しい人なんだよね。不器用なだけで」

「……高梨さん、もしかして会ったことあるの?」

「え!? いやいや! ないない! そうじゃなくて、えっと、じいちゃんから色々話聞いてたから……」

「へえ、そうなんだ」


 さすがに苦しい言い訳だと内心頭を抱えたが、細川くんが微笑んでくれたので安心した。

 でもその後も次々と豪華な料理が運ばれてきたけど、頭の中は早くあのアパートに帰って、じいちゃんに会って話したい。そう思っている私がいた。

 私が気乗りしていないことに細川くんは多分気付いていたんだと思う。コース終盤となるデザートが運ばれてくる前に「帰りましょうか」と言ってくれた。驚いたけれど、ホッとした。

 帰りのタクシーの中では私のほうが饒舌だったと思う。ようやく店で飲んだワインが回り始めたのか、気が付くと推しであるShangri-Laのライブのチケットが取れたのでじいちゃんと行くのだということも細川くんに話していた。オタク特有の早口になってしまっても、細川くんはニコニコして聞いてくれた。やはり持つべきものはオタク友達だ。見た目が格好良くなったとしても私にとって細川くんは変わらず、趣味を互いに分かち合える大切な友人なのだ。


 アパートに到着して「私は大家さんのじいちゃんのところに寄ってくから」と細川くんに断って、おやすみと手を振ったら、細川くんも笑顔で「じゃあまた。おやすみなさい」と笑顔で彼自身の部屋に帰っていった。

 私は一階のじいちゃんの部屋のインターホンを押した。じいちゃんは「はいよ~」と言ってすぐドアを開けて、私の訪問を喜んでくれた。

「お~、希美ちゃんだったか! 夕飯まだだろう? 食べていきな」

「ごめんね、じいちゃん。今日は私、細川くんとご飯行ってきたからもうお腹いっぱいで」

「おお、そうかそうか。じゃあ明日の朝ご飯にでもしてくれたらじいちゃん嬉しいよ~。出し巻なら食べれるべ?」

「わ、嬉しい! ちょうど食べたかったんだよぅ~じいちゃんの出し巻! もうじいちゃん最高! 大好き~!」

「ははは、その様子は酔ってるな? 希美ちゃん」

「ふふ、少しね」

 部屋のテレビではちょうど、シングルCD・サブスク音楽のダウンロードランキングが放送されていて、どちらも上位三位以内にShangri-Laが入っていた。


「やーっぱりさあ、Shangri-Laの歌は最高だよね! ね、じいちゃん」

「ああ、当たり前よ~! なんたって俺の孫がいるしな」


 小声で言って、にしし、と笑うじいちゃんが、昔のホームドラマの主人公のキャラみたいで若々しく、可愛かった。自然と私もつられて、にへへ、と笑顔になってしまう。


「あ、そうだ! じいちゃん! 私、じいちゃんを誘いに来たの!」

「ん? なしたよ?」

「私と一緒にライブ! コンサート行かない? Shangri-Laの! 千秋楽のチケット、私、当たったの。じいちゃんと行きたくて二枚取ったんだ!」


 私の突然の申し出にじいちゃんは一瞬目を丸くしたけれど「ああ、そりゃ良いなあ」と柔和な笑顔を見せてくれた。


「テレビでは常に見てるが、凪がステージに立ってるところ、実はじいちゃんまだ一度も生で見たことねーんだ」

「え、一度も!?」


 意外な返答に私の声は裏返ってしまう。じいちゃんは微笑みを湛えたまま頷いた。


「仕事用の時の顔や話し方をしている偽っている姿の自分を、見てほしくねえってあの子が言うもんだからな。無理に行くこともできねえべさ?」

「ああ~……そっか。なるほど……」


 確かに普段の凪くんとShangri-Laの凪は完全に別人だもんな。身内だからこそ、それを見せるのは羞恥が伴うだろうし、抵抗ある気がする。特に凪くんの性格なら尚更だろう。

 腕を組んでふむふむ頷く私に「でも、希美ちゃんと行けるなら凪も文句ねえべさ、最高だな、へへ」そう言って、じいちゃんの目尻にできた皺が増えた。くしゃっと笑うじいちゃんが好きだ。その笑顔は誰が見ても優しいもので、心が洗われる。これからもずっと、できるだけ元気に、長生きしてほしいな。ふと、そんな願いが私の頭を過ぎった。


「そうだそうだ!希美ちゃん!これ、これよ!ありがとうなあ!」

「ん? あ、そのマフラーね!ありがとうはもう何度も聞いたよ~でももう十二月だし、やっと活躍時だね?」

「んだ~。高かったべやー? 毛糸がチカチカしてかゆくなるようなもんじゃねーべし、肌触りも最高だわこいつは」


 じいちゃんは、わざわざ箪笥の中からマフラーを引っ張り出す。

 買った日の翌日も、顔を合わせた時に何度もお礼を言われたが、今も初めて受け取った時のような口調で言ってくれる。

 私が贈ったマフラーが入った箪笥の上に、箱を開け、中身を見せる状態で飾られていたのは凪くんがじいちゃんに贈るために買った、あの時計だった。



「良かった! 気に入ってもらえてほんとに嬉しい」

「じいちゃんも嬉しくてわやだわ。ありがとうなあ。……なあ、希美ちゃん」

「ん?」

これはじいちゃんの身勝手な願いだから、あいつには言わなくてもいいんだけどな、本当はずっと思ってることがある」

「ん? 何?」

「あいつは、凪はさ『仕事だからアイドルをやってる』って言うだろう? それがいつの日か心から『この仕事やってて良かった』って思える日が来たらいいなってなあ。それこそ今みたいに演じてるあの子じゃなく、じいちゃんや圭や、希美ちゃんの前でいるような、普段の凪のまま仕事を楽しんでほしいんだ」


 ぽつり、ぽつり、本音を吐き出すじいちゃんに私は静かに「うん」と頷いた。


「私もそう思う。私も何も偽ってない、背伸びしてない凪くんのほうが好きだよ。いつか、じいちゃんの気持ちが伝えられると良いね」


 じいちゃんは「んだ。そうだなあ」と私と同じように頷いた。


 そして「もし、じいちゃんが伝えられない時は代わりに希美ちゃんが凪に伝えてくれ」なんてお茶目にウインクしていた。

 「しょうがないなあ」とその時私は冗談みたいに返したけど、これが私がじいちゃんと交わした最後の言葉だった。


 じいちゃんのそのささやかな願いは、

 凪くんにとって、そして私にとっても、悲しい遺言となってしまったのだ。

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