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13/22

第十二章 あの日からひと月後。普段と違う通勤電車で

 季節はあっという間に十二月。師走というだけあって、仕事はいつも以上に多忙だ。クリスマス商戦が近づくと、家電量販店が賑わう。そうなれば、私達のような≪街のパソコン家庭教師≫を生業にしている組織も同様に忙しくなる。一年で最も繁忙期なのは新年の初売り以降の三週間になるのだが、次点がこの十二月なのである。

 スマホのアラームで目覚める朝。アラーム音はもちろん、Shangri-Laの曲である。最近は季節に合わせて、彼らの冬うたを設定している。朝から彼らの歌声で目覚めるのは最高だ。しかし、彼らの冬うたはバラードが多いので、スローテンポな優しい歌声はどうしても再び眠りに誘われがちで、アラームが鳴っても気付かず寝坊してしまうこともしばしば。それもまた、彼らと共にこの季節を満喫できている気がして幸せだった。寝坊でロクに寝癖も直せないまま、当然朝食を摂る時間もなく部屋を飛び出して駅に向かうので、苦労しているのは自分だが、それでも昔のように家と職場の往復の社畜生活を退屈だとは感じなくなっていた。


 ――あ、朝の芸能ニュース、ベタ録りしてくるの忘れた。

いやでも、じいちゃんならワンチャン録画してるかも。


いつもものように仕事場に向かう人々の波に私も同じように流れ、ただの集団の一部となり、電車に乗り込んだ。通勤中、ふと思い出して私は、やっちゃったなあ……と思わず顔をしかめた。


 Shangri-Laは現在、全国ツアー中で、オーラス、すなわち最終公演間近である。最終公演の会場は、ここ、東京の某ドーム。なんと、まだまだ新参者ひよっこシャングラーのこの私、当たってしまったのである。

『倍率すごいし絶対当たらないけど、でもやっぱりツアーラストの公演は一番見たい……舞台も、やっぱり千穐楽は一番見たいものだし!』

 当初はどうせ外れると分かっていた。けれど、申し込まなければそもそも当たるものも当たらない。宝くじ理論と同じだ。それなら宝くじと同じで、当落結果が出るまでの少しの期間、夢を見るくらい良いだろう。そう思って、とりあえず二枚申し込んだのだった。

 今考えれば、じいちゃんは凪くんの祖父なのだから間違いなく家族として凪くんに招待されるし、関係者席という特別な席で問題なくライブを楽しめるということは普通、すぐに気付けるものだが、アイドルのライブを申し込むという行為自体が初めての体験だったその時の私には、そんな当たり前の思考を巡らす余裕がなかった。じいちゃんを誘って二人で観に行こう――そう思い、二枚で申し込んでいた。常に着席していることがルールの、車椅子席はもちろん、ファミリーシートや、シニアシートという席があるので、Shangri-Laのライブはどんなにも優しく、会場に居る全員が楽しめると有名だ。私もファンになって間もない頃にネットでファン達のライブレポートを読んで知ったことだった。


 ――じいちゃん、もう凪くんからチケットもらってるだろうけど、一応聞いてみようかな。芸能ニュースの録画のこともついでに聞きたいし、今日夜帰った時、じいちゃんの部屋に寄ろう。


 最近は以前にも増して、じいちゃんと話すことが多くなった。凪くんや圭さんと知り合ったことも理由としては大きく、普段は孫の活動に一切口出しせず、もちろんShangri-Laの三上凪が自分の孫だということもじいちゃんはしっかり隠していた。彼のプライベートやイメージというものを守るためだろう。それでいて彼が出演した番組は録画して尚且つオンタイムでしっかり視聴している。本当に凪くんのことが大切で親代わりなのだなと私はじいちゃんの姿を見るたび、父性のような、親から子への大きな愛というものを感じて感動していた。


「あの、何してるんですか。今、彼女の事、勝手に撮影してましたよね? それも、スカートの中。こういうのって盗撮なんじゃないんですか」


 私はうっかり自分の世界に入って感慨深く思っていたので、強い視線にも気付かなかった。しかしシャッター音は鳴らなかった。突然、誰かの声が背後ではっきりと聴こえて、語気を強めて問い詰めている。

 私はおそるおそる、振り返った。見知らぬ男性の手。

 ――それを掴んでいたのは、アパートでもよく話をする細川くんだった。男性の手には、スマートフォン。

 

私はこの状況と細川くんの言葉ですぐに、自分の身に何が起こったのかを察した。


「高梨さん、平気ですか?」

「細川くん……!? う、うん。平気、ありがとう」


 動揺し青い顔をしているサラリーマンの男は必死に「違う!」とかぶりを振っていた。掴まれていないほうの腕についていたのは高級腕時計だ。

あれこれと苦しい言い訳を身振り手振りでしているのでやたらとその時計の輝きが目についた。

私でも分かる有名なブランドもの。そして結婚指輪も、その薬指にしっかりと光っていた。ブランドの腕時計を買えるくらい生活に余裕があって、奥さんも居て。もしかしたら、お子さんだって居るかもしれないのに。

ただ自分の汚れた欲求を満たすために自分の人生を自ら棒に振るなんて、哀れすぎる。

被害者なのに、私は相手の破滅しかない今後の人生を心配してしまった。

一番悲しいのは、一番不幸なのはきっと、自分の夫が、父がそんなことをするはずがないと信じている家族だろう。目先の欲を優先した結果、己の大切な人を不幸にするとは、本当にただただ哀れだ。


 細川くんが盗撮をしていたサラリーマンと共に次の駅で降りると言う。状況説明もしなくてはならないし、助けてくれた細川くんにきちんとお礼を伝えたかったので、私は彼と一緒に到着した駅で降りた。

 職場には上司に事情を説明し、遅れると連絡を入れておいた。

細川くんはテキパキと諸々の報告処理をしてくれて本当に助かった。普段は少し内向的というか、テンプレのオタク男子で、そういうところがまた私との共通項だと思っていた。類は友を呼ぶのだなあと思っていたりして。

だから、彼がこんなに頼もしく見えたのは失礼ながら、実はこの日が初めてだった。

 

 すべて終わって、また電車に乗るためホームのベンチに二人で座っていたら、細川くんが急に立ち上がって行ってしまう。

 目で追うと、彼は自動販売機で飲み物を買い、戻ってきた。

「すみません、あの自販機、緑茶しかなかった……こういう時って甘い飲み物のほうが落ち着きますよね」

「ううん、気遣ってくれてありがとうね。あ、お金払う!」

「なに言ってるんですか、このくらいさせてください。本当に平気ですか?」

 少し怒り気味に細川くんが言うので、私は肩をすくめて「本当にありがとう」と感謝を述べた。

「平気。撮られてたの全然気付いてなかったから。何かちょっと……今さらびっくりしちゃって。よっぽど飢えてたんだろうねぇ。それにしたってさ、バレないと思うのがすごいよね。ああいう人のメンタルはすごいなって改めて思っちゃったよ。その精神力と行動力を別のところで使ってくれーって感じ」

「……まったくです。僕もそう思います」

 細川くんはまだ少し怒っているのか、やや沈黙があった後、私の言葉に同意した。


「それにしても、まさか細川くんがあの電車に乗ってたなんてすごい偶然だよね。でも本当に助かった。この歳ならスカートの中くらい撮られてもまあいっかーって割り切ることもできるけど、やっぱり気持ち悪いし嫌なものは嫌だよね」

「当たり前じゃないですか。歳が幾つかなんて全然関係ない。平気で卑劣なことを考える男はたくさんいるんです。だから、ほんとに気を付けて」

「はい、ごもっともです……油断してました。ありがとう、細川くん。お礼しなきゃいけないのに飲み物まで奢ってもらっちゃって」

「いえ、本当に良かったです。ちゃんと助けられて」

「今日は大学に行く日じゃないの?」

「え?」

「いや、ほら。いつもはこの時間に電車なんて乗らないでしょ? 確か自転車で通学することが多いって言ってたよね」

「そうですね。今日はインターンで企業に行く予定だったので……」

「え!? そうなの!? じゃあすぐ行かなきゃじゃん! インターン先で遅刻するのは絶対まずいよ! 私のせいでごめん……! そんな大切な予定のために早朝から乗ってたのに時間取らせちゃったなんて、え? あ、あの大丈夫!? 今からでも間に合う!?」

「落ち着いてください。僕は大丈夫だから」

「でも!」

 そんなに大事な予定を私のせいで潰してしまったと私は動揺して早口でまくし立てる。どうしよう、どうしよう、私のことは良いから先に行って、そう言おうとしたのだが、細川くんはまったく困っていない様子で「本当に僕は大丈夫です」と繰り返し、私を宥めてくれる。


「インターン先の企業には事情をさっき電話しておきましたし、人助けならまったく問題ないと言ってくださいました。だから、大丈夫。落ち着いて、高梨さん」

「ほんとに、ほんとにごめんね細川くん……すごく大事な日なのに」

「いえ、僕にとってはインターンよりもこうやって高梨さんを守れたことのほうがずっと大切で、良かったことだって思いますから」

「ほ、細川くん……君って子は……ホンマ、なんてえい子や! 良い子すぎるで……」

細川くんは私のリアクションに「え? どうして急に大阪弁? 高梨さん北海道出身ですよね」と堪えきれないと言いたげに笑っている。


「ごめんね。あまりにも感動して、感動するとおばちゃんエセ関西弁が出んねん……いや知らんけど」

「あはは、本当に面白いなあ、高梨さん」

「若い子なのにしっかりしてるし、いつも私とオタクトークしてくれるし、今日も助けられちゃって……本当にいつもありがとう。改めて、今度何かお礼させて。ってか、ご飯奢るね。いや、飲みのほうがいい?」

「そんな! 大したことしてないのに気を遣わないでください」

「ううん、本当に助かったから。せめて何かお礼させてくれないと私の気が済まないよ。一応ほら、中身が精神年齢小学生みたいなダメ女でも君より年上だし、そういうところはちゃんとさせて?」

「……僕は、年齢とか気にしたことないです。それに、あなただって年下の彼が好きでしょ?」

 細川くんが何かを言った時、ホーム内に電車の到着を知らせるメロディーが鳴り響いた。

熱風が吹き、轟音と共に電車が到着した。


「え? 何? 細川くん もう一回っ」

 少し大きな声で聞いた。ホームドアが開くと、電車のドアも開く。駅員さんのアナウンスが流れた。

 次々とホームに降りてくる人々が立てる喧騒に、私の声は負けそうだった。

「いえ! ほら、電車来ましたよ。行きましょう」

「あ、ちょ、細川くんっ?」

 ふいに手を握られ、若い彼は私の手を引いたままで電車に乗り込んだ。『ドアが閉まります』という駅員さんの合図を聴きながら、私は驚いて彼を見上げる。しかし、細川くんは「高梨さんはお仕事間に合いそうですか?」と事も無げに尋ねてくる。

手はずっと握られたままで、急いで乗ったから無意識に握って、それを離すこともこの優しくて真面目な好青年は忘れてしまったのだなと思ってしまう。

その擦れてない純粋な感じが、自分が上京したての頃を彷彿とさせて、私はつい、クスッと笑い声を漏らしてしまう。

 そういえば、少し前にも電車に乗ったな。一か月前。じいちゃんへの贈り物を凪くんと買いに行った。あの時は、相手が彼だったこともあって、こっちのほうが全く余裕が無かったんだった。


 最近は凪くんも圭くんもツアーで忙しく、連絡が来ることはなかった。

 じいちゃんの様子を一週間に一度、定期的に報告していたけれど、返信不要です!と前書きしてから送っていたから、凪くんから返信はなく、でも既読のマークはいつもその日のうちについていたので安心できた。


「……? どうかしました?」

「ごめん、ううん。あのね、細川くん、言いにくいんだけど、手」

 教えたらきっと物凄く焦るだろうな、そう思いながら私は細川くんが私の手を強く握っていることを伝えた。

「あっ……すっ、すみません!」

「うん、気付いてないと思ったから、つい笑っちゃって。むしろ私が乗り遅れないようにしてくれてありがとね」

「いえ! そんなっ!」


 慌てている細川くんが予想通りの反応で可愛いと思えたし、いつもの細川くんだなあとほっこりした。

 でも、ふと、凪くんだったらどういう反応をするのだろうかと考えている自分がいることに気が付いた。目の前の彼は凪くんとほとんど年齢も変わらないし、むしろ細川くんのほうがずっと優しくて好青年なのに、それでも私は目の前のとても良い子の彼を異性だと意識はできなかった。

 弟や甥っ子みたいな感覚で、美味しいものをいっぱい食べさせたいとか、そういう気持ちはすごくある。幸せでいてほしいなって思うのは凪くんに対して思うものと同じで、細川くんにもいつでも幸せであってほしい。彼は、私の大切な友人の一人だから。


「……大丈夫ですか」

「うん、ありがとう」


 未だ混み合う電車内で、ドアの近くに立っていた私達。車体が揺れると、後ろの人がぶつかり私はよろける。彼は私をドアの隅に促し、座席についている手すりに掴まりながら私の前に立って、守る体勢をくれた。

 恋愛ドラマや少女漫画で、イケメン俳優さんと美人な女優さんが演じたら眼福ものの定番胸キュンシチュエーション的なアレである。

 でもやっぱり、こんなに近くに居ても、私の心臓はいつも通り、規則正しい音を響かせている。

 

――そりゃそうだよ。普通こんなに歳の離れた相手にはドキドキしないもんだよ。


 私の名誉のために改めて言いたい。いや己自身にしっかり断言しておきたい。私には、そういう趣味はない。

 どっちかっていうと、年上のちょっとくたびれた感じのイケオジが学生時代から好みだったし、今だってそれは変わらない。


 出逢った時から、Shangri-Laが、Shangri-Laの凪だけが――いや、そうじゃない。


 Shangri-Laの凪じゃなくて、私にとってはあの詐欺師レベルで外面の良い、しかしその実態は真逆のとんでもなく生意気でオレ様で、意地悪で。とても不器用で家族思いな、優しいどこまでも優しい、ただの男の人の三上凪が――凪くんだけが私にとって特別なのだ。


 細川くんと他愛ない話をしながら、私は何度もその答えに辿り着いていた。

 そしてそれを確信するごとに私の心臓は今ここにいない相手を想って騒ぎ出し、叫んでいた。


「高梨さん、職場の最寄りってここですよね?」

「へ? あ、本当だ。あぶな、乗り過ごすところだった……何から何までポンコツで本当ごめん、細川くん。ありがとう」

「いえ全然。お仕事頑張って」

「うん! ありがと!」

「あ、高梨さん! さっき言ってたお礼なんですけど、今夜、空いてますか?」

「へ、今日? あ、すみませ……! 分かった、今日ね! 飲みに行こう!」


 電車を降りようとした時に細川くんが言ったので、振り返って一瞬だけ固まったその時に私と同様に後ろからこの駅に降りる人々が『邪魔だな』と言いたげに無言で舌打ちをする。

 苛立っている人々に謝りながら、私も慌ててホームに降りて、ドアが閉まる前に返事をする。

 

 本当は、今日はじいちゃんの家で一緒に夕飯を食べたかったのだけれど、細川くんには今日本当にお世話になったのでさっき彼にも伝えた通り、ちゃんとお礼がしたかった。

 だから断るという選択肢は私の中になく、悩むことなく即座にOKした。

 まるでそのタイミングを見計らったかのように、電車のドアが閉まり、細川くんはあとで連絡します、とスマホをこちらに見せてジャスチャーしてくるので私は頷いて手を振った。

微笑み、手を振り返してくれた細川くんを乗せたその電車は動き出し、スピードを上げてあっという間に遠くへ消えた。

 私は見送った後、走り出す。連絡したとはいえ、上司には『遅い!』と小言を言われるだろう。

 気が重いが、夜に飲みに行くのなら残業は避けたい。朝から色々あってだいぶ疲れたけれど、今日も仕事を頑張らなければ。充実した日々(推し活生活)のために働く私に、立ち止まっている時間はないのである。

 仕事のために仕事をするのではない。趣味のためにお金を稼ぐ。そのための労働だ。

 

『私もあなたに負けないようちゃんと頑張っている』嘘偽りなく心の底から言えるように、彼の前で胸を張って立てるように。

 

――今日も一日、しっかり頑張ろう。

 

 私は、職場への道を急いだ。

 

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