第8話:齟齬(そご)
魔力がない事がこんなにも心細い事だとは、思いもしなかった。そしてこれまでどれだけ魔力を当てにして無理を続けて来たかも。
サリアだった頃の自分は、まるで人形の様にオリヴィアの言われるがまま行動をしていた。それに疑問も持たなかったくらいだ。それが正しいと信じ、自分が未来の魔女になるためにそうするしかないと思っていた。
魔力が自分を包み込み、心が傷つくことから守り続けていた。体の痛みは魔力で補い、気がつかないふりをした。毒を飲み、毒を食べ、目に入ること、耳に入るもの全てを飲み込み情報として受け止めていた。感情が追いつかず、悲鳴を上げていたけれど、それすらも情報として受け止めた。
リアムのおかげでそれがおかしいと気がつけた。ようやく、息をする事ができた様にも思う。
今頃リアムは、サリアになったリアムはどう受け止めているのだろうか。もしも、リアムがやっぱり元に戻りたいといったら、再度入れ替わるべきなんだろうな、と考えて。
「あ……っ」
待って。
今の自分に魔法は使えない。魔力がない。リアムは、魔法を使えるのだろうか。だって、今までのリアムは魔法なんて使った事がない。そんな魔力もない。
つまり。
「二度と、戻れないんじゃ…?」
飽き性で勉強嫌いのリアムが、どうやって魔女になるというのか。今更ながらそんな事に思い至るなんて。
「どうしよう」
ゴクリ、と息をのむ。
今のサリアでは魔女になれない。だって魔法が使えない。魔女になれなければ、オリヴィアが代替わりをすることはできない。もしも入れ替わりがオリヴィアにバレたら。
生贄という言葉が頭をぐるぐると回る。
「逃げなきゃ」
リアムが魔法を扱える様になるまで、時間はあまりないかもしれないけど。この体も魔法を扱える様に鍛えて、もしものために備えて。もしもオリヴィアにバレて、再度魂が入れ替えられても、その時にリアムが遠くに逃げていれば、生贄にならずに済むかもしれない。遠隔で、魂の入れ替えができるかどうかもわからないけど。
「そうだ!あの赤本!あれを燃やして……いや、それはダメだわ。マジックバッグの中に入れて隠そう」
せめて、あの本が見つからなければ。時間稼ぎにはなるかもしれない。
「そうと決まったら、急げば回れ。魔力循環の訓練をしなくちゃ」
薬草のクッキーが魔力回復に役立つことを知ったし、こうなったら一日中循環しながらクッキーか薬草畑で補給しながら頑張るしかない。そう思い、リアムはバッグをベッドの下に放り込み、外に出る事にした。
「わしの庭に入ってくるな」
だが外に出たリアムに、庭師は己の仇のような視線を向けてきた。
「え?あの……トム?」
庭師のトムは昔から優しく、遊んでくれた人だ。確かに5歳の頃からすっかり会うことはなくなったけれど。それがどうしてかわからず、近づくと、剪定鋏を向けられた。
「わしの庭に入ってくるな」と凄んでくる庭師のトムに驚いて、話しかけるもトムは泣き咽び、座り込んでしまった。
「お前のせいで、わしの可愛い孫息子が、死んだんだ!謝れ!謝ってくれ!せめてすまなかったと、あれのために泣いてくれ!」
なんてことだろうか。
5歳から12歳までの七年間。リアムは傍若無人に、悪魔の如く振る舞った。悪戯では済まされない、人非道とも言える行動に胃がズシリと重くなった。
うさぎの人形を汚したという冤罪でメイドを撲殺し、その身体をサリアのベッドに投げ捨てたのを皮切りに、家庭教師に投げつけた花瓶が頭に当たり、大怪我をさせた。ある時は、貴重な毒草をむしり取り、それを食材に混ぜ使用人全員を食中毒にした。
件の庭師のトムの孫息子については、馬小屋に毒バチの巣を投げ入れ、厩の掃除をしていた孫息子が馬に踏まれて命を落とした。蜂に刺された父様が大事にしていた馬も死んだ。
曰く、木剣を振り回して家中の窓ガラスを割り、メイドたちに怪我を負わせた。
曰く、調理中の大鍋をわざとひっくり返し、シェフが大火傷を起こし辞めた。
曰く、王妃への贈り物として織ったばかりの絹布に薬草をなすりつけ泥を投げ、無駄にしてしまった。
小さな事なら日常茶飯事で、食器は壊すわ、食事は投げるわ、裸足で泥遊びをして、そのまま部屋に戻ってくるわ、天井にフォークやナイフを投げては突き立てるわ。窓に泥水を投げつけるわ、虫の死骸をスープに入れるわ、小動物を悪戯に殺し、廊下に陳列させるわ。
使用人たちから無理やり話を聞きだした後、リアムは愕然とした。
うさぎの人形?それってサリアのベッドの下にあったアレの事?そんなことで、メイドを殺したの?
メイドは16歳の平民で、両親を亡くして家も亡くした天涯孤独の少女だった。この館に来て一週間の新人で、仕事にもリアムにも慣れていなかった。ましてやそんな幼い子供が、そんな酷いことを平気でやるとは思えず、最初は賊が忍び込んだのかと大騒ぎになった。ところが、リアムがあっさり白状したのだ。
「僕が殺したよ」と。僕の泥だらけのウサギをサリアの部屋に置いたのに、片付けたから。というのが理由だった。話をしてくれたメイドは、リアムを悍ましいものでも見るように視線を逸らし、そのように坊ちゃんはおっしゃいましたよね、と口添えした。お父上に怒られたのを覚えていらっしゃいませんか、とまで。
平民だったから、父はなかったことにした。
妻には教えたくない事件だったから内密にと緘口令も敷かれ、彼女の死は無かったことになった。リアムはその頃から頻繁に地下牢に入れられていたようだ。
「何が、冤罪よ……」
その足で、庭師のトムのところへ駆け込んだ。謝って済む問題ではないが、本当に申し訳ないと頭を下げ、土下座をした。トムはいまだに怒りは収まらなかったが、散々罵詈雑言をぶつけた後で燃え尽きたように項垂れてしまった。
涙ながらに孫の思い出話を尽きることなく話し、リアムと一緒に涙を流した。許すことはできないけれど、謝罪は受け入れようと最後に呟いた。
「………蜂の巣を投げ入れたのはお前さんだったとしても、孫のことは事故だったと聞くし、お前さんを罵ったところで孫は帰って来ん」
「それでも、……リアム、僕ががしたことは間違っていた。謝っても謝りきれない。なんでもおっしゃってください。一生をかけて贖罪をします」
「ならば生きて償え。人助けをしてどんなに非道なことをされても、憎まれても、やり返さず、人を恨まず生き残って罪を償え。わしの孫はそういう子供だった」
自分の立場から逃げ出したかったのはサリアも同じ。
だけど。
「この家は、狂ってる……ううん、この国は、おかしい」
リアムまでもが、これほど狂っていたとは、考えもしなかった。そしてこれまで何もしなかった父もおかしい。もしや、自分の方がおかしいのでは考えるほどに。それでも侯爵家を、リアムを支えてくれた使用人たちには頭が上がらない。
きっと、リアムを見るたびに恐ろしかったに違いない。自分も同じ目に遭うのではないかと、目を合わせたくもなかっただろうし、リアムの部屋に入るのもきっと怖かっただろう。
「家を出よう」
庭師のトムの言う通り、贖罪の旅に出て、罪を償おう。
今頃サリアになったリアムも、きっととても辛い思いをしていると思うけど、これまでの自分の行動を反省してほしい。リアムは国を出るべき罪悪人だ。死刑になっても仕方がないと思えるほど。平民だからと言って、あちこちで人を傷つけたり、ましてや悪気なく殺人なんか。
双子だと言うのに、自分のことに精一杯で、全然理解していなかった私にも非はある。できれば、リアムと話し合いたかったけど。
サリアの記憶はしっかりある。学んだことも覚えている。リアムの残虐性は私にはないと信じたいが、散々魔獣を殺したり魔法で討伐を繰り返してきた。私も既に狂っているかもしれないし、父も母も人の死を無かったことに出来るほど、冷酷な人たちだ。血は争えないかもしれない。
だから、戒めとして魔法は封じよう。リアムの罪は私が引き受けて一生をかけて償おう。
そして、リアムと話し合えるのなら、反省しろ、といってやりたい。魔女になるためにちゃんと勉強して、にと他人を助けながら、罪を改めろと。
言えたなら、よかったのに。