第7話:変化
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目を覚ますと、サリアはリアムの部屋のベッドの中にいた。柔らかな日差しが差し込み、少しだけ開いた窓がカーテンを揺らす。ぼんやりとして体を起こすが、ハッと気がついて、慌てて飛び起きた。
「いつの間に、リアムの部屋に……?」
無意識のうちにリアムの体が勝手に歩いて戻った?それとも誰かがここまで運んだ?禁忌の本はどうなった?
昨夜までの重くだるかった体がスッキリして、胃の痛みも骨の軋みもない。慌てて姿見を覗き込むと、そこには榛色の瞳をした銀髪の少年がいる。リアムの姿だった。
「私……リアムだ」
リアムの声でサリアが話すとチグハグで、笑いが溢れた。
「僕、リアムだ」
自然と笑みが浮かぶ。だが次の瞬間、サリアとなったリアムのことを思い出し、慌てて部屋を飛び出してサリアの部屋へと向かった。
バンっとドアを開け放つと、メイドがベッドリネンを取り替えている最中で、リアムの姿を見て顔を歪めた。睨みつけるような目つきで、リアムを見て警戒心を顕にする。
「何か御用ですか、坊ちゃん。ここはお姉さまのお部屋ですよ?サリア様はもうすでに王宮に向かわれましたから、こちらには何もありませんよ」
刺々しい言葉に狼狽えて、ごめんなさいと小声で謝り、スゴスゴと引き上げたリアムを見て、メイドは再度目を見張った。いつもなら、地団駄を踏んで、「ずるいずるい!」と繰り返し、ものを投げつけてくるはずなのに、今日はあっさりと出ていったことに。
食堂に行くと、リアムのメイドが気が付いて、無言で食事の用意をし始めたので、礼を言って席に座ると、またしても驚かれた。気まずい。
そうか、これが「要らない子」と蔑まれるリアムへの態度だ、と理解する。
「わあ、美味しそうだね」
リアムの真似をして頂きますというと、後ろでカトラリーを派手に落とす音がする。
「ぼ、ぼっちゃま、今日はご機嫌がよろしいようで…」
「あ、うん。そうだね。体が軽いし、たくさん寝たからかな。調子はいいよ。ありがとう」
そう言って笑うと、廊下で待機していたアボイエがトローリーをひっくり返して、頭からスープをかぶってまんまるの目をしてこちらを見ていた。
「お、おはよう、ジェフ。大丈夫?え、えっと、いつも食事をありがとう」
「は!?」
「え、あの……?僕、何か、変、かな?」
いつものリアムの態度がわからない。どうなんだろう、もっと静かなのか、それとも大袈裟におはよう!ありがとう!と叫ぶべきなのだろうかと焦るサリア。居心地の悪さを感じて、慌ててオムレツを口に運んで一旦停止する。
「……おいしい」
何年振りだろうか。こうしてまともな食事を口にするのは。この七年、毎日薬草と毒草と、毒の入った不味い水ばかりで舌が馬鹿になってしまったし、すでに胃袋は毒に溶けて無くなっていたかもしれない。リアムの体はしっかり味を覚えていて、舌の上でとろける卵はまだ暖かい。
「あったかい…。美味しい、美味しいよ。これ、卵だ。ソーセージも。トマトも、おひさまの味がする」
ボロボロと涙をこぼしながら食べ続けるリアムを、皿のような目をして使用人たちは眺め続けた。
「悪魔のようなリアム坊ちゃんが、いよいよもっておかしくなった」
使用人の間ではマッハのスピードで噂が駆け巡った。毎朝のように「こんなもの食べれるか!」と皿を投げ、トマトもきゅうりも絶対に手をつけなかったリアムが。「パンケーキを出せ!」「ケーキを作れ!」と朝から騒がしいリアムが。
美味しいと言って涙を流し、出された朝食を完食し、おまけにありがとうとお礼まで言ってのけたのだ。三周ぐらい廻って善性に目覚めたのではないかと皆がヒソヒソと情報を巡らせる。
そんな事を言われているとは考えもしないリアムは、居心地の悪さを覚えて、部屋に戻った。
「そうだ、あの本…」
もしかしたらベッドの下に、と思い、覗き込んだリアムだったがぎくりとして動きを止めた。何かの死体がベッドの下にある。すでに骨になっていて、異臭を放つということはなかったが、なぜ骨が。
「い、嫌がらせ…?」
これが、要らないと言われる子への仕打ちなのか。双子なのに、なんて酷い。ただ男の子に生まれて来たからというだけで、こんな仕打ちをされるなんて。
「やっぱり生贄になるのはリアムだったの?」
逃げなければ。
魔女になるのも嫌だけど、生贄になるなんてまっぴらだ。
「マジックバッグがクローゼットに入ってるはず……」
リアムは部屋を出てこっそりサリアの部屋の様子を伺った。すでにベッドメイクは済み、誰もいない。リアムは急いで部屋に入り、マジックバッグを取り出した。魔力のあるのはサリアと母のオリヴィアだけだったおかげで、魔力認定もしていなかったからリアムでも使える。
「……と思ったんだけどなあ」
マジックバッグはそもそも、魔力がなければ、亜空間に荷物を入れたり出したりなど、できないのだった。意外と不便だったことに初めて気がついたが、同時に自分の中にある魔力にも気がついた。
だが、それを使う器官がない。いや、退化しているのか、詰まっているのか魔力循環ができなかった。でも魔力があるということは、訓練すれば使える様になるかもしれない。僅かに体内で動く魔力にリアムはよし、と頷いた。
「訓練は得意よ」
その後、サリアのベッドの下を覗き込み、同化肢体や骨は出て来ません様にと探すと昨夜使った赤い本があった。開いて中を見て、覚えられるかを試すとちゃんと記憶はできる。ただ、魔力の流れがよくわからず、その魔法陣が正しいのかどうかもわからない。
試しに「<水球>」と呪文を唱えるものの、尿意を覚えただけで水球は出てこなかった。
「え、ご不浄って……」
今更ながら、リアムは男の子であって、サリアにとって初体験をすることになった。とは言え、今回に限ってはしっかり座り込んでしたのだが。これは誰かに学ぶべきなのだろうか。
「12歳になって、こんな事を聞くのはちょっと恥ずかしいと思うんだけど…ま、まあいいわ。後にしよう」
まずは、誰かに見咎められて「またサリア様の部屋に入って!」と怒られる前にさっさと必要なものを持っていこうと、気を取り直し、リアムはマジックバッグを普通のバックパックに詰め込み、それから例の禁忌の本、リアムがウィリアムの部屋から盗んだといった皮で包まれたジャーナル、サリアが作ったいくつかのポーションボトルと文具を一緒に入れてリアムの部屋に戻っていった。
それからリアムは集中して魔力循環の訓練を始めた。
サリアは物心がついた頃から魔法が使えた。自然と魔力循環ができていたのか、大して苦労はなかった様に思う。どちらかといえば、コントロールで苦労した。魔力が豊富で少しずつ放出するのが苦手だったと思う。
リアムの体になって、それが贅沢な悩みだったと思い当たる。魔力が少ないということは、魔力循環をするだけで枯渇したかのようにふらふらになるのだ。気分が悪くなったところで、メイドが食事の時間だと呼びにきた。
喜び勇んで昼食に飛びつき、サラダたっぷりのサンドウィッチにかぶりつき、チーズソースのかかったチキンを頬張る。朝に続き、おいしい、美味しいと食べ尽くしたリアムに、いよいよ持って人格が変わったと噂が広がった。
そして食事をすると魔力回復をする、と気がついたリアムはその日の午後も、おやつの時間になるまで魔力循環にたっぷり時間をかけたのだった。
調理場では、今まで散々文句をつけられ皿を投げつけられた調理人たちが、恨みを晴らさんとばかりに薬草で作ったクッキーと薬草茶をおやつに差し出してきた。いつものリアムだったら怒り狂って皿を投げ飛ばし、なんならテーブルをひっくり返し窓ガラスも割り、ウィリアムに地下牢に連れて行かれるはずだ、と。
使用人たちは、なんなら一生地下牢に入っていて貰いたい、と思うほどリアムを嫌っていた。怪我どころか命を落とした者もいた所為で、誰も口に出して言わないけれど。
期待を孕んだ目でリアムを見ていたが、リアムはちょっと驚いた顔をしただけで、クッキーにかなりの興味を持ったようでかじってはぶつぶつ呟き、お茶も一口飲んでは効能を口にしていた。そして、これから毎日これをおやつに出してほしいとまでいって来たのだ。
「この世の終わりがやってくるぞ」
と一人の使用人がいい、誰もが顔を見合わせたのだった。
殺戮シーンは作者のメンタルが持たないので、ちょっと休憩です。