第5話:地下牢
「リアム?リアム、あなたなぜ地下牢になんているの」
泣き叫ぶ声を辿り、サリアが行き着いた先は地下牢だった。その昔、罪人をいれて薬草の実験に使われたという曰付きの場所。一人でこんなところに閉じ込められては、叫びたくもなるだろう。
「サリア!ようやく帰ってきたんだね!今までどこに行ってたのさ。王宮が楽しくて僕のことを忘れちゃったのかと思ったよ。ひどいじゃないか、何日も帰ってこないなんて!」
「私にも色々とあったの。何度か逃げ出そうとしたのだけど……見つかってしまって逃げ出せなかったの」
「なんだ、サリアも逃げ出したいなんて思ってたんだね。僕と一緒か。でも王宮では贅沢三昧だったんだろ?なんで逃げたいなんて思ったのさ」
「それは……。でも王宮はそんなにいいところではないの。もう私、疲れちゃった」
「そう言えば、幽霊みたいな顔してる。でも僕の方がもっとひどいんだよ!何も悪いことなんてしていないのに、こんなところに閉じ込められてさ。みんな僕が男だから邪魔なんだって。サリアが魔女になったら川にでも捨てにいくって言われたよ。それで戻ってきたら殺してやるって父様にも母様にもメイドにも言われたんだ。特に庭師の爺さんなんか、僕の姿を見ると襲いかかってきてさ、もうゆっくり休む暇もないよ!」
「なんてこと……!」
リアムは全く出鱈目を言って自分の立場を正当化しようとしているだけだが、何が起こっているかなんて全く知らないサリアは驚いて眉を顰めた。とはいえ、リアムの短気や癇癪はサリアも理解していたから、全くの冤罪とは言えないのではと疑ってはいる。さりとて、犬や猫じゃあるまいし、川に捨てにいくと言うのはどうかと思うが。
子供の頃から、父は全く自分達に興味を示さなかった。母が魔女で王宮に入り浸りだからと、父は父で薬草の研究にかまけてばかりで、口を開けば「早く魔女の役目を代わって、母様を楽にしてあげろ」と言うばかり。サリアの魔女教育が始まってからは、滅多に声をかけてくることはなかった。
母は母で魔女としての顔しか見せず、どんなに泣いても嫌がっても、容赦無く毒の泉にぶち込まれていた。魔獣討伐だって入口に連れて行くだけで指導も何もなく、戦わないのなら死ねと言われているようなものだった。それに加えて、恐ろしい王子の無体にも何も言わず、鞭で打たれた背中には薬を塗ってくれただけ。心が折られた瞬間だった。
幼い頃は素直に従ってきたけれど、絶対いい両親だとは思えない。父も母も自分のことしか、いやお互いのことしか考えていないのだ。魔女の母は、サリアに魔女の役目を押し付けて、さっさと自由になりたいだけ。父は薬草の研究に打ち込んで、国から感謝され賞賛を我がものにしているけれど、その薬草を使って魔女の薬を作っているのは、サリアなのに。だけど誰もそれに対して何も言わない。私は魔女になるのだから、当然だという顔をする。
それに、何よりも、サルジャンはサリアにとって絶対に受け入れ難いものだったから。
「ねえ、リアム。二人でここから逃げましょうよ」
サリアはこっそりとリアムに持ちかけた。
リアムならきっと一緒に逃げてくれるはず。そう思ったのに。
「やだよ」
「えっ?」
だが、返ってきたのはそれを真っ向から否定する言葉だった。
「だって、サリアばっかり美味しいもの食べて王宮で遊んで、ずるいじゃないか」
「あ、遊んでなんか、いないわ。たくさんたくさん勉強して、マナーとか歴史とか、外国語とか、魔法も魔女の訓練も、これでもかっていうほど怒られて、その、それに、せ、成人になったらもっと大変で、殿下とかと色々、その、しなくちゃいけないし、それに」
契約に縛られて口外出来ない言葉を濁しながらも、なんとか伝えようとするサリアだったが、リアムはサリアが誤魔化そうとしているだけだと理解することもなく、むしろますますイラついて言葉を荒げた。
「あのさあ。サリアは僕がどれほど大変だか知らないから、そんなこと言うんだよ。王宮で王子様とお姫様とお茶飲んで、楽しいことするんでしょ。いいじゃん、そんなの全然大変じゃないよ。何なら代わりたいぐらいだよ!僕、本当に大変なんだから!サリアは地下牢なんかに入れられないでしょ?僕なんてこれで何度目か判らないくらいだよ!しかも、誰も助けに来ないし、ご飯だってまともに食べられないし」
「そ、そうな、の……?」
楽しいことなど一つもなかった。サリアは我慢できないほど大変な思いをしてきたと思っていたが、もしかするとリアムの方も大変だったのだろうかと考えた。
自分ばかりが大変だったと考えたことが恥ずかしい。これではあの両親と変わらないではないか。確かにサリアは牢に入れられてはいない。王太子は恐ろしいけれど、始まりの泉も禍々しくて恐ろしいけれど。魔獣の討伐なんか何度も死にそうな目に遭っていたけれど。
だけど、自分だけが大変だったわけじゃなかった。
「そうだよ、暴れた馬に蹴られそうになったり、泥だらけの草を食べさせられたり、剣で斬りつけられた事もあったし。おまけに今回は冤罪で牢屋行きさ。ひどいだろ?僕だって一度くらい王宮に行ってみたいよ!ねえ、いいでしょ?一度くらい代わってくれよ!」
「で、でもリアム。王宮はよくないところよ。危ないわ」
「うるさい、うるさい!サリアばっかりずるい!なんでいつもいっつもサリア、サリア、サリア!僕なんか死んだ方がいいって、やっぱりサリアも思ってる?」
「そんなこと、思うわけないわ!わ、私だって、リアムが羨ましいと、少しだけ思っていたもの……」
「じゃあ、僕と入れ替わってよ、サリア」
「えっ」
「僕、こっそり母様が父様と話しているの聞いたんだ。えっと、なんだったかな、あっそうそう!生贄だ」
「……え?」
「きっと僕は生贄なんだよ。だから皆んなで僕が美味しくなるのを待って、竜の捧げ物にしちゃうんだ。ねえ、僕、このままだと死んじゃうよ?いいの?」
「生贄」
サリアの頭に【始まりの泉】に放り込まれた犠牲者たちが思い浮かんだ。サルジャンに殺された人たちも、自分が討伐した魔獣も。泉に捧げている魔獣や殺された人たちは皆、竜への貢物で、すなわち生贄。じゃあ、リアムもあの人たちのように……?
「そんなこと、許されない……っ」
「だ・か・ら。僕の魂と入れ替えるんだよ!サリアの魂が僕の中に入って、僕の魂がサリアの中に入る。そうすれば、僕は魔女になって、サリアは僕になって、生贄になる前に逃げちゃえばいいんだ」
「で、でもそれじゃリアムが……」
「だって、サリアは魔女になりたくないんだろ?逃げ出したいし、僕が羨ましいって言ったじゃないか」
「それは、そう言ったけど、でも」
「なんだよっ、自分ばかり楽しいことして、僕はダメってこと!?僕は魔女になりたいって言ってるじゃないか!それとも僕が生贄になってもいいの!?ほんとずるいよね、サリアは!たかが女に生まれてきたってだけでいい思いしてさ!ずるいよ、ずるい!」
「わ、わかったわ。わかったから静かにして」
とはいうものの、魂の入れ替え方法なんかわからない。
「方法がわからないもの、すぐには無理よ」
「ふふっ、それね、調べられるよ。図書室に禁忌の本があるの僕知ってるんだ」
「禁忌?」
「僕が退屈で仕方がなかった時、図書室に行ったらさ、梯子を登った上の棚に赤い表紙の本があったの。大事にガラスの箱に入っている古い本でね。きっと魔法の本だと思ってそっと持ち出したんだ」
「だ、ダメじゃないのそんな、危険だわ」
「別に何も起こらなかったし、誰も気づいてないからいいじゃない。僕じゃ多分無理だったんだ。魔力がないからだと思う。でもサリアは魔女なんだし、できるかもしれない。今それ、サリアの部屋にあるんだよね」
「な!?いつの間にそんなものを!母様にバレたら、どうするつもりなの。早く返さないと!」
「じゃあ今すぐこの鍵開けてよ。それで、試してみて何も起こらなかったら一緒に返しに行こう」
「……返したら、またここに戻ってこなきゃダメなのよ?わかってる?」
「ふふっ。うんわかってるよ。その時はサリアがここに入るんだけどね?」
「………もし、そんな魔法が見つかったらの話よ」
サリアは迷ったものの、好奇心が勝り、頷いた。それに、そんなに簡単に入れ替わりの魔法なんか見つかるわけがないと軽く考えていた。魔女は全能ではない。神ではないのだから、人の手に余るような技は使えないのだと思っていた。調べてみて、ないと判ればまた「ずるい!」とリアムは言うかもしれないけれど、そうしたらもう一度一緒に逃げようと誘ってみようと考えた。
だから、まさか本当にその本が禁忌の本で、魂の転換などと言う魔法が発動するとは思ってもいなかったのだ。
読んでいただきありがとうございます。




