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第13話:崩壊

「サリア!サリアをどこへ隠した!」


 ここまでうまくいっていた自分の長年の、千年もかけた計画が、砂のように崩れ落ちて行くのを感じたオリヴィアは、血眼になってサリアを探した。


 何も知らない王と王妃はすでに家畜と変わらない。何も考えず、魔女から与えられた仕事をただこなすだけ。そうなる様に仕向けたのはオリヴィアだが、今はそれが腹立たしい。人間は、番と共にゆっくり味わって食べようと思っていたが、サリアとリアムが居なくなったとしたら、千年も我慢し続けたオリヴィアの努力が、全て水の泡になってしまう。


 感情の赴くままに、オリヴィアは王宮を血の海に変えた。王を手始めに、ただ怯えて震えるだけの太った王妃など、最初から何の役にも立っていない。邪魔だ。王を守る近衛も衛兵たちも、騎士でさえ、魔女に対抗できるものはいない。その様に、魔女に対抗出来ないように育て上げたのだから。


 とはいえ、人間は鼻がきく。小賢しい矮小な生物のくせに、束になると鬱陶しいことこの上なく、千年前の様に反撃に出られると厄介だ。今はまだ竜体ではない。魔力はあっても魔女の肉体では、数の暴力に太刀打ちできない。


「さてはあの王子……っ!忌々しい子!早まるなと釘を刺したはずなのに…っ!」


 成人の儀を迎えてから、明らかにタガが外れた様に振る舞い始めた王の子。時間をかけ過ぎたせいで、いや、竜の血が薄くなったことで、耐性も薄れていった貧弱な人間の体と精神。与え過ぎてもダメ、少な過ぎてもダメ、何度分配の失敗を繰り返したか。ここ数百年は落ち着いてきたと思ったのに、最後の最後でダメ出しをするなんて。


「まさか……。サリアはこの数日で成人を迎えたんじゃ」


 近いことは感じていたのに、放置なんかするんじゃなかった。あの子は、異常なまでに成人の儀を恐れていた。だから、言えなかったのかもしれない。わずかな竜の血の匂いでも狂い出す人の王の血族。呪いの血筋。最後の生贄は特に精神が脆く、外面は完璧王子の仮面を繕っていたけれど、欲望に弱かった。


 あの状態でサリアの血の匂いに気づいたら不味い事になる、と焦るオリヴィアだったが、とうにその血の味を知ってしまった王子の暴挙を知らない。


「さっさと成人の儀さえあげていれば……!」


 サリアを先に見つけて、守らなくては。中身のない(リアム)は結界から逃げ出すことはないから後で探せばいい。(サリア)を餌にすれば、すぐに見つけることができるもの。


 オリヴィアは己の結界に絶大なる信頼を置いていたし、道具扱いしていた矮小な人間の小賢しい意思など、理解しようとしたこともなかった。人間の持つ感情も、生理的欲求と同じ様なものと捉えていたから、己の冒した間違いに気がつかない。


 ふと、わずかな血の匂いがオリヴィアの鼻を掠めた。


「まさか……」


 どくどくと血が逆流し、体が震える。


 まさか、まさか。手遅れだなんて事には……!!


 目の前の扉は、王子の私室へ続く扉だ。扉の前には近衛が二人警備にあたっているものの、オリヴィアを見て怪訝な顔をする。


「魔女殿?どうされましたか、こちらは王太子殿下の、」


「邪魔よ」


 有無をいわせず、魔法で近衛二人の頭を潰し、重厚な扉を開けた。


 部屋は物静かなまま、誰もいない。だが気配はある。オリヴィアは血の匂いを辿った。隠し扉がある本棚の後ろから、血の匂いは濃くなっている。


「ここにいるのね…」


 王族の私室に隠し扉があることは不思議ではない。緊急用の脱出扉として用意されていることもあり、オリヴィアが本棚を魔法で木っ端微塵に爆破すると、壊された本棚の後ろから鉄製のドアが姿を現した。


 幸いなことに鍵はかかっていない。足でトンと押すと、ぎい、と錆びついた音を立ててドアが開いた。その途端に広がる鉄の匂い。


 ああ、ここで王子の侍従やメイドたちは拷問にあったのだ、と理解する。むせかえる様な血の匂い。錆びついたドア、こびりついた血の跡と。天井に張り付いているのは肉塊か、飛び散った脳みそかもしれない。今度は誰が犠牲になったのか。


 もし、サリアだったとしたら。


 どうか。


 間に合って。


 暗い石の廊下を歩く音がコツ、コツと響く。突き当たりのドアも鉄製だ。これだけ何重にもドアがあったら、よほどでない限り、音も匂いも外には漏れないだろうな、と感心する。


『母様』


 ぎくり、としてオリヴィアは歩みを止めた。リアムの声が聞こえた気がしたのだ。囚われていたのはリアムか、サリアか。それとも両方か。


 魔法で火を呼び、明かりをとるとドアの隙間から血が滲み出てきているのが目に入る。大量の、血だ。人なら致死量になるかもしれない。


「サリア!リアム!」


 魔女は我慢できず、ドアを開け放った。その瞬間襲いかかってきた物体に、すかさず攻撃魔法を投げつける。


「<フレア>!!」


 灼熱の炎がそれに当たり、ゴッと燃え上がった。


「ぐあぁあああっ、あ、あぁぁああっ」


 勢いよく燃え盛った物体は、炎の熱さでのたうち回り叫んでいたが動きを止め、ばたりと動かなくなった。なおも燃え続ける炎が部屋を明るく照らす。肉の焼ける匂いが充満し、開け放った扉から、今度こそ城の方にも流れていくだろう。すぐにも人が来るに違いない。オリヴィアの殺戮を逃れ、生きていればの話だが。


 目を見開いてその様子を眺めていたオリヴィアだったが、ふと、その部屋の奥にいる人物が目に入る。


「サリア!」


 血だらけになったサリアが、裸で壁にもたれて床に座り込んでいた。足には足枷があり、だるそうに両足とも投げ出して、身体中血まみれで。


「さ、サリア……サリア、」


 ヨロヨロと部屋に入り、サリアに近づいたところでぴたりと足を止める。


 サリアの顔が愉悦に歪んでいたからだ。声も出さずに肩で笑っている。


 そこで初めて、オリヴィアは気がついたのだ。自分が何を焼き殺したのか。


 わかっていたはずなのに。ここは王子の部屋から続く隠し部屋で、ここにいるのは、()()()()()()だろうということは。


「あ、あ、ああ……」


『母様、殺してくれて、ありがとう』


 サリアの口はそう動いたのだ。つまり、自分が焼き殺したのは。


「王子……っ」


 オリヴィアの生贄を、自分の手で、ダメにしてしまった。しばし呆然としたオリヴィアだったが、ゆっくりとサリアを見る。


「成人には、なったのかしら?」


 笑うのをやめて、オリヴィアを見つめるサリア。その目には何も映さない。


「生贄は、もう一人いるわ。大丈夫。女だし、まだ成人はしていないけど。大した変わりはないから」


 オリヴィアはそう言って、サリアに近づき、足につけられた枷をいとも簡単にぱきりと壊した。


「これは、このクズがいけなかったのよ。我慢のきかない猿だったんだもの。女の方は……ああ、サリアと仲がよかったわね、あのお姫様。ちょっと手を入れないといけないけど、大丈夫よ。あなたが心配する事は、」


 ゴフっと水っぽい咳が出た。


 オリヴィアの口からこぼれ落ちる赤い液体がぼたぼたと床に落ちる。視線を下げれば、オリヴィアの心臓に突き立てられた黒い杭が視界に入る。それは、サリアから伸びているもので。


 サクリ、サクリ、と体に走る衝撃にオリヴィアはサリアを見つめる。


 サリアはピクリとも動かず、ただ生気のない目でオリヴィアを見て、微笑んでいた。


「わたくしに、牙をむくの。サリア?」


 体に刺さった杭、否、サリアの魔力はオリヴィアの腹に、心臓に、首筋に。そして今また新たに脇腹にも打ち込まれた。だが、オリヴィアはそれらをものともせず、振り払う。サリアの魔力は霧の様に消え。


 サリアはゆっくりと立ち上がる。そして。


 ごとり、とサリアの首が床に転がり、その首から魔力が湧きあがった。この時を待っていたとばかりに、歓喜に膨れ上がった。


「!!?」





 魔女が現れて、憎き王子がその生から開放されて。何かがリアムを覚醒させた。


 本来なら、双子はひとつだった。それを無理矢理分離して、役割を授けた。だからリアムはからっぽで、サリアに恋焦がれた。サリアの魂に寄り添う様に自分はあった。だから、リアムは自分を解放する。この狭苦しいボロボロになったサリアの体から解放して、リアムの体へ戻るのだ。そこにはサリアがいるのだから。だってサリアは器なのだから。リアムの肉体は本来サリアのもので、そこに宿る魔力がリアムだったのだ。


『これは僕らのものだから、返してもらうよ』


 首が落ちたサリアの言葉は、オリヴィアには届かないかもしれない。でも、リアムにはどうでもよかった。今は、一刻も早くサリアの元へ行きたいから。


「サリア!お前、どうして!」


 オリヴィアは信じられずに声を張り上げる。サリアの体から魔力が放出して乾涸びて、出涸らしの様に萎れていく。元々、きちんとした魂と肉体で出来ていなかったのだ。内臓がなく、心臓もない、ただ魔力をためるためだった器の体。魔女と同じ、竜の血とかき集めた肉塊で作られた、人間に擬態して作られた人形。それがサリアだったのだから。


 オリヴィアの、いや、銀竜の千年温め続けた計画は、後一歩のところで封じられてしまった。


 ポロポロと崩れていくサリアの体をどうすることもできず。


「番の魂をここで見失ってしまったら、わたくしは」


 ふらふらとオリヴィアが王子の隠し部屋を出る頃には、貴族ら、騎士らが王族を殺害した魔女を殺すために集結しているに違いない。なんて馬鹿な人間ども。


 魔女がいなくなれば、どうなるかもわからない可哀想な家畜たち。


 同時に、王太子サルジャンの恐ろしい悪癖も公になることだろう。


 殺された人たちの家族が、友が、恋人がきっとそれを許さない。そうなれば、この国はどうせ終わる。貴族や平民が立ち上がり、この国を蹂躙し、別の誰かが王に立つ。


 始まりの泉は闇に葬られるに違いない。不完全な竜は、それを止める術もなく。


 竜に守られていたロッテンガルン王国は、緩やかに死んでいく。竜が死に結界が解ければ、魔獣が自由になり、竜のための食糧(人間)は容赦なく、あっけなく蹂躙されることだろう。


 そうして静かになった頃、また目覚めればいい。後、百年か、二百年か。始まりの泉の中で微睡んで、目を覚ます頃には竜の魂も体も回復していることだろう。わたくしは竜だもの。数百年寝たところで大したことじゃない。


 人間なんて、矮小なものに固執するんじゃなかった。千年もの時間を無駄にしたわ。ああ、でも番に会えたことだけは、人間にも感謝しなくちゃね。


 ウィリアムはわたくしと共に【始まりの泉】に来てくれるかしら。魔女の体を失ってしまっても、あの人はわたくしだと、気づくのかしら。


 ああ、本当に、人間なんて面倒な生き物だわ。もう二度と、関わり合いになりたくない。

読んでいただきありがとうございました。

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