第二章①
「私は、アースクリピッチ・ディル・エリーナミット・クリスピン。どうぞ、エリーナとお呼びください」
「あぁ、俺は木田 晃 三郎。三郎は飾りみてえなもんだから、呼ぶ時はアキラだけでいいぞ」
出会ってから約二時間。
この部屋で向かい合ってから一時間弱。
俺たちは、ようやく互いの名を名乗り合った。
新しい家、と言っても内装も間取りも前の家そのままだが、でゆっくり過ごすのはこれが初めてだ。
なにせつい先日変わったばかりだからな。
ここまで前の家と同じだと全然引っ越した気にならない。
おかげで馴染むのは早かった。
だが
目の前に、メイド服を着た女の子がいる、というのはどうにも馴染めない環境だな。
一応言っておくが、動揺しながら無理やり拉致監禁したわけでもなけりゃ、言葉巧みに拐かしたわけでもねえからな!!
簡単に事情を聞いたら、どうやら行く宛ても帰る場所も、今夜の寝床さえないみたいだから仕方なく、そう、仕方なく連れて来たんだ。
女一人を、夜の公園に放置するわけにはいかねえからな。
そして、仕方なく連れて来たそのメイド少女は、俺の名前を口の中で反芻するかのように2、3度呟きながら呑気にくつろいでいるわけだ。
自己紹介が終わると、流れるような、というにはあちこち変な跳ね方をしているのが気になる金髪の毛先をいじったり、まるで初めて見たような目で座布団を触り、ぬいぐるみのように抱きしめてみたり頭にかぶせたりしている。
緊張感がない。男の前で油断しすぎだ。
俺じゃなかったら何されるかわからんのだぞ?
まったくこのメイドさんは……
あん……?
いつの間にか、メイドという呼称に抵抗がなくなっている……
まぁいいか。
重要なのはこのメイドさん、いや、エリーナか、エリーナをこれからどう扱うかだ。
エリーナ、という名前とその容姿から考えるに、どうやら純粋な日本人じゃねえみたいだな。
出稼ぎに来た外国人にしちゃ日本語が達者すぎるし、顔立ちも日本人寄りの造りをしている。
たぶん、ハーフなんだろう。
あまり人様の家系に首を突っ込むのは、日本男児としてみっともねえな。
「クワァクワァ(おい小僧、庶民の一人暮らしにしては随分立派な家だな。贅沢な身分だ)」
なんだ、いきなりカァカァとやかましいカラスめ。
腹でも減ったか?
せっかく忘れてやってたのに、わざわざ自己主張なんかしてんじゃねえ。
エリーナの隣で油断なく構え、座布団の上に立つ真紅のカラス。
エリーナと出会い、その直後に襲ってきたのがこいつだった。普通のカラスより、数段素早い動きでこの俺を翻弄して見せたが、所詮はカラス、人間様に勝てるわけがなかった。
「カァ、クアァ!!(私はレッドブレード・アンダモンナー・コンダモンナー。エリーナに仕える第二烏柱師団隊長である!!)」
つまり、エリーナのペットらしい。
なにせずっとエリーナに寄り添い従っているからな。
ふっ…俺の洞察力の前では野良カラスとペットの区別ぐらいわけはない。
「というわけで、そろそろ話してもらえるか?なんで公園のベンチの下なんかで寝てたんだ?帰るとこも行くとこもないってのはどういうことなんだ?」
警察の尋問のような口調で語りかける俺。
カラスについては完全に無視だ。
ベンチよりも寝心地の良さそうな遊具は他にもあった。なのにあえてベンチを選んだ訳は……
いや違った。重要なのはベンチの下の就寝機能じゃなく、ベンチの下で寝なきゃならなくなった背景、出来事の方だ。
「実は……」
暗く、重苦しい雰囲気を纏った表情で語り出すエリーナ。
その雰囲気に、ようやく場の空気が緊張するのを感じた。
「狸さんの形をした滑り台の中で寝ようとしたら、狸さんの中は水溜まりになってしまっていて……」
狸さんの形をした滑り台ってのは、公園の中央にあるドーム型の滑り台のことだ。
尻尾の方が階段になっていて、そこから登って頭から滑り落ちるようになっている。
そして、滑り台本体を形成する狸型ドームは、内部が空洞になっていて目の部分から入れるようになっている。
あの公園の遊具の中でも、一晩過ごすのに最も適した遊具だ。
なるほど、だいぶ老朽化していて、あちこち穴が空いていたからな。たぶん、何日か前の雨が溜まったままになってるんだろう。
他の遊具にしても、同じく老朽化が原因で水溜まりが出来ていたに違いない。
それでベンチの下で寝るしかなかったわけか。
これで見た目に寝やすそうな遊具ではなく、ベンチの下で寝ていた謎が解けたぜ。
ってちょっと待て!!
だから今解き明かすべき真実はそこじゃねぇ!!
いや、まぁ微妙に気になっていた謎が解けてスッキリしたことはスッキリしたんだが、一番の謎がまだ解けてない!!
「そうじゃなくてだな。なんで年頃の娘さんが公園で寝るような状況になったのか、その理由を聞きてえんだ」
こんな重要な話をギャグで流されるほど、俺はボキャブラリーな人間じゃない。
俺の言葉で、エリーナの表情にさっきとは違う種類の重苦しさが漂う。
やっぱり話しづらい内容らしいな。
あまり人様の事情に首を突っ込むわけにもいかねえし、無理に聞き出すともりはないんだが……
「えっと、私は、その……」
「あぁ、別に無理に話さなくてもいいんだ。話したくないことを無理に聞き出す気はないからな」
そんな俺の気遣いに強く抵抗するように
「いえ、大丈夫です。ちゃんと話せます、聞いてください!!」
そう言って深呼吸をするエリーナ。
「私は、家から……いえ屋敷の外に、だから、そう、私はとある屋敷に、メイドを、メイドで、メイドさんだったんです!!……だから……えっと……」
しどろもどろと言うか、要領を得ない話しぶりで全貌が見えてこない。
どっかでメイドとして働いていて、公園のベンチで寝ていた?
まだ全然繋がらないな。
まさか、公園のベンチから通っていたわけでもねえだろうしな。
たとえ日本人じゃなくても、国内で働いていれば最低限の家と生活費は国から支給されるはずだ。
住み込みっつう可能性もあるが……
「まさか、住み込みで働いてて、その、クビになった……とか?」
俺の推測を聞いたエリーナは、急に顔を輝かせながら勢いよく頷く。
「そうです。それだと思います。だからもうお屋敷には戻れないんです」
ふむふむなるほど。
それは気の毒な話だな。
そういうことならわからなくもない。
でも住み込みで働いてた仕事がクビになったんなら、実家に帰ればいいんじゃないのか?
いや、エリーナが見た目そのまんまに、外国の人だとしたら実家は海の向こうっつうことになるのか。
一人で気軽に帰れる距離じゃないのかもな……
いやそれどころか、もしもエリーナが日本に来る時に、家族と立派なメイド道を極めるまで帰らないと、固く誓って出てきたんだとしたら、そりゃ日本に、たとえこの近所に実家があっても帰るわけにはいかねえよな。
最悪両親がすでに他界していて、天涯孤独の身の上って可能性もあるじゃねえか!!
「で?そこんとこどうなんだ?」
俺は真実を追求するべく、さっきまで一人で突っ走っていた妄想の一部始終を語って聞かせた。
すると、奈落の底で天から垂らされた蜘蛛糸を見つけた罪人のように救われた顔で
「そう、きっとそれです!!故郷は遥か海の向こうで両親と固い約束をしていて、てんがいこどくだったりするんです」
そうか、そういうことだったのか!!
泣かせる話じゃねえか。
亡き両親と交わした約束を守って働き、たとえ路頭に迷っても、その固い意志は折れたりしない。
あのサラサラヘアーボーイなら、きっとメイドの中のメイドとか言って称賛するに違いない。
「カァ……(アホだ……)」
なんだカラス、さっきから変なところでカァカァとやかましい奴だ。
後で残飯でも食わせてやるから静かにしてやがれ。
「エリーナ、俺は今久しぶりに、ものすごく感動している。お前のその心意気は俺が買った!!どうだ?行くとこも住む場所も、そして仕事もないんだったらこの家に住み込みで働いてみないか?」
自分でも驚くほどに、スラスラと問題発言が連発出来たもんだ。
エリーナはしばらくキョトンとしていたが、やがて俺の口走った問題発言の意味を理解すると、途端に体を震わせて俺の両手を握りしめた。
「本当ですか?本当にこの家に置いていただけるんですか?」
ちょっと待て、訂正させろ。
住み込みは、マズい。
何がマズいって、この家には今俺しか住んでなくて、エリーナを住み込みさせるってことはつまり
い、い、い、いかんぞ。
いかんぞ!!
何がどういけないかって……何だかとにかくとってもいかんぞ!!
別に何かあるとは思わんが、当然だろう?この俺が年頃の娘さん相手に不埒な狼藉を働くように見えるか?
エリーナだって、別に俺を誘惑しようだとか、そういう思惑があるはずねぇ!!
いや、だったら別に問題はないわけで……
しかし、今こうしてエリーナに手を握られているという事実。
嫁入り前の、まあこれは俺の推測だが、嫁入り前の娘さんが気安く男の手を握るなんてことが日常的に発生していいイベントなわけがねえ!!
身近に、ミニスカ姿で腕十字固めをキメる友人がいることは、この際棚上げすることにして、淑女というのはそもそも貞淑な生活態度を心がけなけりゃならんのだ。
俺だって、戦闘経験もないような素人の女に易々と無防備に手を握られたばかりか、その感触に動揺するなんて日本男児としてあるまじき失態だ。
なんと軟弱なことだろうか!!
いや落ち着け、落ち着くんだ。
この動揺は、ほら、あれだ。
こんなにあっさり隙を見せた自分の不甲斐なさにたいする動揺だ。
べ、別にエリーナのことをどうとかこうとか思ってるとか、思った以上に手が柔らかいとか、暖かいとか、近付いてみると無駄に良い匂いだとかそういうことじゃないんだ。
エリーナだってそうだ。
べ、べ、べ、別に俺のことがどうとかこうとか思ってるわけじゃなくて、ただ懐かしい故郷の習慣で、この程度の物理的な接触ってやつは日常茶飯事に違いないわけだから、ついつい感情の高ぶりを抑えられずに慣れ親しんだ習慣が表に出ちまっただけなんだ。
きっと、たぶん
「クアァクアァ!!(いつまで握っているつもだ破廉恥なやつめ!!)」
何やらまたカラスが騒ぎ出したようだが、そんなことはもう一切気にならない。
どうせ空腹が限界に達したか、突然発情が始まったかのどっちかだろう。
そんなのにいちいち構っていられるか。
「ありがとうございます…ありがとうございます。」
涙に滲む瞳を隠すように、俺の手を握ったまま両手に顔を埋めるエリーナ。
指先がエリーナの頬に触れる。
柔らかい……
手と比較にならないほどに、エリーナの頬が柔らかい……
な、なんなんだこの破壊力は!!
俺が18年かけて積み上げてきた何かが、音を立てて崩れ落ちていくのがわかるぜ。
ど、どうにかしてこの状況を打開しなければ……
「あーあーうん。エリーナ?そろそろ放してもらえると助かるんだがな…色々と」
とりあえず、普通に頼んでみた。
いや、違うぞ!!
別に毅然とした態度をとることに躊躇したわけでも、女だから遠慮したわけでもねえ。
ただ男として、回りくどいのが嫌いだからだな……
「え…………」
顔を上げるエリーナ。
例によってキョトンとした表情である。
頼む……この距離で見つめないでくれ……
「あっ……えっと……」
頼む……この距離で赤くならないでくれ……
「す、すいませんでした。私ったらつい嬉しくて失礼な真似を……」
そう言いながらパッと両手を放して背中に回し、もじもじと後ずさりする。
このもじもじ感がまた、俺の脳神経をネチネチと刺激するわけだ。
その一瞬一瞬を録画して、後の世代に残したい衝動に負け実行しちまいそうだぜ。
って、俺は今何を考えたか!?
「いや、いいんだ。気にするな。とにかく、よろしくな、エリーナ」
「はい。よろしくお願いします、アキラさん」
とりあえず強引に話を打ち切る。
これから先、本当に大丈夫なんだろうか……
もしかて、俺ってとんでもなく間違った決断をしちまったんじゃないのか!?