第99話 誰かの支えになれるなら
☆
––––反斜面陣地。
丘陵での防衛戦において、敵が攻撃してくる正面斜面ではなく、その裏側の斜面に構築される陣地で、敵から直接見えないため、攻撃を受けにくいというメリットがある。
太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍が採用し、アメリカ軍を相手に凄まじい防御戦闘を繰り広げたことで知られている。
嘉数の戦いでは、丘と丘の陣地間を突出してきた米軍戦車三十両に対し、地雷と速射砲による側面攻撃、背面攻撃、さらに歩兵の近接戦闘などまで駆使してこれを撃破、帰還できた戦車はわずかに八両だったという。
もっとも、正斜面の反対側に陣地を置くこと自体は以前からあったものなので、その健闘は彼らの知恵と徹底した事前準備、それに命を引き換えにした献身によるところが大きかったのだと思う。
そんな彼らの唯一の失点は、米軍上陸後に民間人の避難に手が回らず戦闘に巻き込んでしまい、大勢の犠牲者を出してしまったことだ。
もちろん、住民避難は行政の役割ではあるのだけれど。
––––では、私はどうするのか。
決まっている。
私は、領地のみんなを守り抜く。
今回の陣地は盛土の下なので厳密に言えば反斜面ではない。
けれど、反斜面陣地の考え方を応用することはできる。
敵の死角にある陣地。
その利点を、最大限利用するんだ。
☆
「盛土をかけ上がって来る魔物は市壁から狙い撃ちに。盛土を乗り越えて市壁との間のキルゾーンに落ちた敵は、盛土の下に構えた陣地と側面陣地からの攻撃で殲滅します」
私の説明に、またしても皆が凍りつく。
ライオネルなど、ぎょっとした顔で私を見ている。
「お嬢は、本当に……」
言葉を失う領兵隊長。
「異論はありますか?」
首を横に振る一同。
「魔物の襲来は二、三日後になるでしょう。その間に動ける人には全員協力してもらって、防衛体制を整えます」
私はライオネルとバージル司令を見た。
「明日の昼までに、今説明した防御陣地を工事図面に落とし込んで下さい。北西と北東の角の盛土は、隣接する森と丘陵に繋げて突破されないように。あと、非戦闘員が安全に退避できるように、街の南門と橋の間に盛土と塹壕による防御陣地と避難路の設置もお願いします」
「っ……なんとか間に合わせるぜ」
「承知しましたぞ」
二人の返事に、頷く。
「よろしくお願いします」
次に私はダンカンを見る。
「人を割り振るから、例の試作品用の弾丸を明日から全力で増産して。あれはまだここの工房でしか作れないから。他の弾薬は本領で増産して、毎日できた分だけ送ってもらうわ」
「おうよ」
自信ありげに片頬を上げるダンカン。
どうやらまだ余裕がありそうだ。
「それから、現有の魔導ライフルを連射できるように改造します。以前私が描いた構想図と魔導回路の検討図面があるから、それを元に明日中に加工図を仕上げてくれる?」
「マジか?!」
「マジよ。敵の襲来までにできるだけ……一挺でも多くの銃を改造するの。今回の防衛戦は機関銃なしでは戦えない。二脚を取り付けて軽機関銃にして、敵の正面攻撃を破砕します。––––貴方ならできるわよね?」
「っ……!!」
一瞬の間。
そして、
「ああもう、わーった。やってやるよ! 明日の昼までに図面を仕上げる。そんで、職人総出で改造だ!!」
「ありがと」
私は、今や魔導具づくりの右腕になった工房長に微笑んだ。
最後に私はソフィアを見た。
「工事や武器づくりを手伝ってくれる人を集められるかしら」
「地域防衛隊と婦人会を中心に手配します」
「あと、南部の各集落に、避難民の受け入れ準備を始めるように連絡を」
「承知しました。明後日には受け入れを始められるよう進めます」
表情を変えず、淡々と答える彼女が頼もしい。
「分かった。お願いね」
私がそう言うと、ソフィアは私の顔をじっと見つめた。
「…………」
「?」
逡巡するソフィアに、首を傾げてみせる。
すると彼女は、こんなことを提案してきた。
「お嬢様。もしよろしければ、お嬢様ご自身の言葉で皆を元気づけて頂けないでしょうか」
「私自身の言葉で?」
「はい。これまでに二つの村の者たちがココメルに到着していますが、皆、着の身着のままで不安そうにしておりました。彼らを安心させるためにも、協力してくれる者を増やすためにも、ぜひお嬢様にお言葉を頂きたいのです」
––––なるほど。
いきなりの避難指示。
いつ襲って来るか分からない魔物の大群。
それは不安にもなるだろう。
「分かったわ。明日、私から直接状況を説明しましょう」
「ありがとうございます。これで皆も安心するはずです」
変化の少ないソフィアの表情が、ふっと緩んだ。
☆
臨時会議のあと。
私は魔導通信で各地とやりとりをした。
魔物の群れが当初報告の数倍の規模になるであろうこと。
群れは二、三日後にココメルに達する見通しであること。
そして、ココメルで敵を迎え撃つことにしたこと。
それらを報告した上で、援軍と物資支援をあらためて要請したのだ。
私の要請に対する反応は早かった。
王都のお父さまからは、陛下から新領の兵の半分をココメルに移動する許可が下りたこと、そして統合騎士団の騎兵五百名を緊急派遣してもらえることになったことが伝えられた。
オウルアイズの本領からは、すでに全騎兵がココメルに向かって出発したこと、現有の武器と弾薬を乗せた馬車も順次出発させているとの連絡がきた。
新領からは、取り急ぎ全騎兵の半分が明朝に出発することが伝えられた。
これらの援軍は、明後日にはココメルに到着するはず。
それまでに私たちは私たちで、できることをやらなければ。
––––なお。
お父さまは明日にはこちらに来てくれるらしい。
テオたちエラリオン王国からの使節団はどうしたのかと尋ねたら、こちらの緊急事態に配慮して予定を切り上げ、明日帰国の途につくことになったとのこと。
(結局、テオと仲直りしないままになっちゃった……)
ブランドンにテオへのプレゼントを預けてきたけれど、彼は受け取ってくれただろうか?
(今回のことが終わって落ち着いたら、手紙を書こう。それで今度は私がテオに会いに行くんだ)
皆が慌ただしく戦いの準備を進める会議室で、私はひとりそんなことを思ったのだった。
☆
翌日の早朝。
日の光が東の稜線からのぞき始める中、私とアンナは再びの航空偵察に飛び立った。
前日の写真は無事焼き付けが終わり、昨夜のうちに司令部内で検討が行われた。
魔物の規模は、少なくとも六千以上。
それが昨日午後の時点での群れの規模だった。
果たして一晩でどこまで規模が膨らみ、どれだけこちらに近づいたのか。
避難民に追いついたりしていないのか。
そんな不安を抱え、二人北を目指す。
「お嬢さま。今回も撮影だけで構わないんですか?」
隣を飛ぶアンナの問いに、私は頷いた。
「人が襲われてたら助けるけど、敵を倒すことは考えないようにしましょう。まずは無事に帰ること。次に一枚でいいから写真を撮って持ち帰ること。それだけ考えていきましょう」
「わかりました!」
ふん、と両のこぶしを握るアンナ。
そうして私たちは偵察を行ったのだった。
☆
結論から言えば、一番心配していたことは起こっていなかった。
ココメルから十五分ほど飛んだところで、最北のナクハ村から避難してきた人々に遭遇したのだ。
ちなみに、昨日私たちが助けた二人の兵士も馬車に乗せられて移送されていた。
昨日、今日とよほどの強行軍でここまで歩いて来たのだろう。
皆の顔には疲労の色が浮かんでいたけれど、私を見ると皆、嬉しそうに迎えてくれた。
「みんな、大丈夫?」
私が尋ねると、村長は深く頷いた。
「はい。この通りですじゃ。皆、多少疲れは出ておりますが、子供たちも元気な者は歩いて、交代で大人を休ませてくれとります」
「そっか……。突然の避難で、みんなに大変な思いをさせちゃってるね」
「なんの。こうしてレティシア様が儂らを見守って下さっておるからこそ、儂らも頑張れるのですよ」
村長の言葉に、うん、うん、と頷く村人たち。
そんな彼らに、体が震えた。
私が、誰かの支えになっている。
こんな気持ちになったことは、やり直し前も、宮原美月だったときにもなかった。
私は感極まりそうになるのをこらえ、彼らに笑顔を向けた。
「安心して。みんなのことは、私が守るから!」
「「はいっ!!」」
そうして村人たちを励ました私とアンナは、決意を新たに、更に北を目指して飛んだのだった。
☆
十分後。
私たちは魔物の群れに遭遇していた。
「アンナ! 飛び抜けるわよっ!!」
「はいっ!!」
昨日の倍はいるであろうデビルクロウの群れに追いかけられながら、地上を埋め尽くす魔物の群れの上を飛び抜ける。
カシャ、カシャ、カシャッ
アンナがカメラを地上に向け、シャッターを切り続ける。
「なんか、すごく増えてませんか?!」
「……増えてるっ!!」
その数は、一見して倍くらいに膨れ上がっているように見えた。
私たちを追いかけて来るカラスの勢いも、昨日の比じゃない。
「この調子で増えていったら、ココメルに着く頃にはどれだけの数になってるのよ?!」
カラスを振り切るために増速した私は、思わず叫んだ。
☆
屋敷に戻り、写真を現像に出した私たちにその結果が知らされたのは、その日の午後のことだった。
––––魔物の総数は、一万五千を超えていた。