第96話 魔物の行進
☆
ココメルを出発し、北に向かって飛んだ私とアンナ。
村々に向かう幹線道に沿って飛んで行くと、各村から避難する人たちに何度も遭遇した。
「あっ、あれは?!」
「レティシアさまだ!!」
「レティシア様が来てくださったぞ!!」
「「おおおおおおおおっ!!!!」」
人々から送られる声援に、私は大きく手を振って応える。
突然の魔物の発見。
領都への避難指示。
不安そうだった皆の表情が、私を見て明るくなった。
やっぱり、様子を見に来てよかった。
私が顔を見せることで、安心する人たちがいる。
きっとこれは、大事なことだ。
「避難は順調そうですねっ」
隣を飛ぶアンナの言葉に、頷く私。
「避難訓練の効果が出てるのね。地域組織がちゃんと機能してるみたい。ちょっと安心したわ」
この半年の間に私たちは、十五歳以上四十歳以下の男子を中心にした地域防衛隊と、同じく女性を中心にした婦人会、地域の世帯主からなる町会・村会を組織してきた。
まあ、元々それに近い会合なり集まりというのは各コミュニティにあったから、あらためてそこにしっかりした枠組みと役割を定義して、正式な組織として扱うようにしただけなのだけれど。
とにかくそれらの組織が今回有効に機能しているのは、避難している人たちを見て一目で分かった。
幼い子供や病人、老人たちを馬車に乗せ、人生のベテランたちが御者となり人々を先導する。
健常な者は徒歩で。
そしてその周りを各村に駐在していた兵士と若者たちが固め、避難列を護衛する。
そんな光景を何度も見ることができた。
「あとは、魔物がどこまで来ているのか、かな」
「もし近くまで来てたら、どうされるんです?」
アンナの問いに、私は思考を巡らせる。
「万一、人が襲われていたら全力で助ける。––––とは言っても、敵の数が多ければ全て倒すのは無理かもしれないから、その場合は私たちが囮になって敵の進行方向を変えましょう」
「うっ……それ、本当にやるんですか?」
「大丈夫よ。無理しないから」
「本当ですかあ?」
疑わしい目で私を見る侍女。
「うん。本当、本当っ!!」
「じーっ」
私の言葉に、アンナはさらに疑わしい目を向ける。
––––なんでこんなに信用がないのかしら?
そう思った時だった。
「っ! 前方から魔力を感じる」
「…………お嬢さまっ! あそこ!!」
アンナが指差した先。
そこには、巨大カラスに襲われるうちの兵士たちがいた。
「行くわよ、アンナ!!」
「はいっ!!」
こうして私たちは、カラスの化け物に突っ込んで行ったのだった。
☆
二人の兵士と別れた私たちは、そこから北上。
ナクハ村を通り過ぎたところで、その光景に出くわした。
「……なに、あれ?」
空中に静止し、呟く私。
隣のアンナも息を呑むのが分かった。
二つの丘に挟まれた幅二百メートルほどの草原を、魔物の大群が行進していた。
そう、行進。
ゴブリンも、オークも。
そしてはるか向こうには、オークの倍ほどもある巨人の姿もあった。
動きはバラバラだけど、皆、同じ速度で非常にゆっくりと南に向かって歩いている。
そしてそれらの頭上には、何十匹もの巨大カラスがグルグルと周回していた。
まるで、地上の魔物たちに速度を合わせるかのように。
––––こんなことが起こり得るんだろうか?
私がその光景に茫然としていた時だった。
アンナが叫んだ。
「お嬢さまっ、あれ!!」
「!!」
彼女が指差す方を見た私は、さらに目を疑った。
左右の丘を覆う森。
その両脇の森から、新たなゴブリンの群れが出現し、魔物の行進に合流し始めたのだ。
つまり、
「数が増えてる?!」
報告があった段階で、ゴブリン三千にオーク数百という話だった。
だけどこれは––––
「この調子で群れが膨らみ続ければ、ココメルに着く頃には、確実に『万』を超えるわ」
現有戦力は八百。
本領と新領からの応援を合わせても、せいぜい二千というところだろう。
戦力差は五倍から、下手したら十倍を超えるかもしれない。
ココメルの市壁は、魔物の侵入防止用のせいぜい五メートルほどの高さしかない。
これでは。
このままでは、話にならない。
私の街は…………私たちの街は、魔物の大群に呑まれ、領民ごと押し潰されてしまうだろう。
––––そんなこと、させるものか。
早急に戻って、対策を考えないと。
「アンナ、早く撮影を! 急いで戻るわよ!!」
「はいっ!!」
返事をしたアンナがカメラを構え、シャッターを切った時だった。
「『自動防御』!!」
ココの叫び声とともに、自動防御が発動した。
「デビルクロウ!?」
後ろを振り返った私は、目の前で魔力の網に捕まった巨大ガラスに驚き、叫ぶ。
––––油断した。
目の前の強烈な光景に目を奪われ、いつの間にか背後に回り込まれていたのだ。
だけどそれは始まりに過ぎなかった。
バシッ!
バシバシッ!!
ギャー!
ギャー! ギャー!!
次から次に、四方八方から突っ込んでくる化けガラスたち。
それらは発動中の『自動防御』に絡めとられ、拘束されてゆく。
たちまち私たちの周囲は、カラスで真っ黒になった。
「お嬢さま……これでは写真が……」
戸惑い、固まるアンナ。
右を見ても上を見ても、見えるのは気持ち悪い巨大カラスの顔と羽根ばかり。
これでは撮影どころじゃない。
それにいつまでも魔力消費の大きい自動防御を張り続けていたら、さすがの私も魔力酔いや、最悪、魔力枯渇を起こしかねない。
かと言ってこの状態では、魔力収束弾を撃つこともできない。
アンナのライフルで実弾を撃っても、防御膜を変形させてくびり殺しても、この数相手ではきりがないだろう。
「アンナ、一枚は撮れてるわね?」
「はい、多分……」
不安げに返事するアンナ。
私は彼女の顔を見て、言った。
「撤退します。––––こいつらを引き離すから、気を失わないように頑張って」
「っ……はいっ!!」
こうして私たちは、ナクハ村周辺を高速でグルグル飛び回ってなんとかカラスたちを振り切り、ココメルに向かって帰還の途についたのだった。
☆
ココメルに辿り着く頃には、すでに空が朱く染まり始めていた。
途中、避難する村人たちに声をかけ、日が暮れたら最寄りの村の家屋を借りて休むよう指示を出した。
そして、夜明けとともに出発するように、とも。
これは賭けだ。
魔物たちの動きは非常に緩慢としていて、明らかに領民の移動速度の方が速かった。
現状の両者の距離を考えれば、追いつかれることはないはず。
一応、夜明けと同時に私も威力偵察に出ることにして、彼らにはそのように指示を出したのだった。
ココメルに向かって飛びながら、私の頭の中は色んなことでぐちゃぐちゃになっていた。
領民の避難。
籠城戦の方法。
カラス対策。
そして、膨れ上がる魔物の大群。
その中でも一番腑に落ちず不安になったのは、やり直し前に、こんな大事件のことを噂でも聞いたことがないことだった。
やり直し前のこの時期、すでに私の王妃教育は始まっていた。
歴史、地理、そして時事問題。
もしハイエルランド国内でこんな大問題が起こっていたなら、絶対に私の耳にも入っていたはず。
なのに私は、こんな魔物の大発生など聞いたことがなかった。
(……一体何が起こっているの?)
言いしれぬ不安とともに、私とアンナはココメルの裏庭に着地したのだった。