第94話 準備
☆
ナクハ村からの報せに、その場にいる全員が固まった。
最悪の報せ。
災厄の報せ。
魔物の大群がこちらにやって来る。
私は額を押さえ、通信士に言った。
「報告をくれた兵士に、すぐに避難するように伝えて」
「はいっ!」
通信機に向き直り、すぐに電鍵を叩き始める通信士。
––––向こうの様子が分からない。
村の人たちは全員退去したという話だけど、本当に大丈夫だろうか?
逃げている途中で、魔物に追いつかれたりはしないだろうか???
重苦しい空気の中、王国派遣軍のバージル老司令が言った。
「準備をせねばなりますまい。戦の準備を」
その言葉に、領兵隊長のライオネルが頷く。
「そうだな。––––なあ、嬢ちゃん。この街に立て篭もって迎え討つ、ってことで良いか?」
「構わないけど……。その前に、北部の人たちの収容作業を考えないと。ナクハ村から徒歩だと、ここまで二日はかかるでしょ? もし、魔物に追いつかれたら……っ」
私はこぶしを握りしめ、机に広げた地図を見つめる。
そんな私に、ライオネルは低い声で言った。
「心配だが、俺たちにできるのはこの街で待つことだけだ。下手に迎えに行こうとすれば、こちらに向かう避難民の馬車と街道上でかち合っちまう。そうなりゃ避難に支障をきたしかねん」
その冷たい物言いに、頭に血が昇る。
「じゃあ、このままじっとしていろと言うの?!」
「四千の魔物相手に二百やそこらの兵で何ができる?! 兵を無駄死にさせたら、この街だってあっという間に落ちるんだぞ!!」
「っ……!!」
分かってる。
ライオネルが言っていることは正しい。
だけど––––
「私が行くわ」
「……え?」
不意打ちをくらったような顔のライオネル。
「私なら、一時間とかからず現地まで飛んで行ける」
「いや、お嬢、さすがにそれは––––」
焦って止めようとするライオネルに、私は指を突きつけた。
「航空偵察よ。北部のみんなの避難状況を確認しながら魔物の上空まで行って、空から写真を撮ってくるの。そうすれば敵の数と構成、動向が正確に分かるでしょう?」
「っ! そりゃあ、お嬢ならできるだろうが……危険過ぎる。魔物の中には飛行型のデビルクロウもいるんだぜ?」
食い下がる領兵隊長に、私はふっと笑ってみせる。
「今さらカラスがどうしたっていうのよ。デビルクロウは口から爆裂火炎弾を吐いたりはしないでしょう?」
デビルクロウは、要するに大きなカラスだ。
鋭いくちばしと長いかぎ爪が武器で、群れで襲ってくる。
普通の人には大変な脅威だろう。
だけど私にとっては、爆裂火炎弾を撃ってこないだけ飛竜に比べればよほどマシな敵と言える。
「いや、まあ、確かにそうだが……」
困った、というように顔に手をやるライオネル。
彼はしばらく「うーん……」と唸ると、顔を上げた。
「困ったな。止める言葉が思いつかん」
そんな彼に、私は微笑んだ。
「大丈夫。無理はしないから。私が留守の間を頼むわ」
「…………分かった。十分気をつけて、絶対に戻って来てくれ」
「もちろんよ」
私の返事に、ライオネルは一瞬大げさに疑わしそうな顔をしてみせると、皆に号令をかける。
「さあ、戦の準備だ! 第一領兵隊は地域防衛隊と協力して避難民の受け入れ準備。北部に展開している第二領兵隊には、避難民を保護しながらココメルに集結するよう通達を出せ。––––バージル殿は私と防衛計画の打合せをお願いします」
「承知した」
頷く老将。
「よし、動け!」
パン、と手を打つと同時に、皆が動き始める。
私はソフィアを振り返った。
「避難場所としてここの敷地も使うけど、いい?」
「もちろんです。レティシア様が良いと思われるようにお使い下さい。––––ただ、お屋敷の中にはケガ人と病人以外は入れない方がよろしいかと思います」
「そうね。あと、妊娠している女性と乳児を抱えた家族も受け入れましょう。たくさんある客室を上手く使って。屋敷の使用人たちにはケガ人や病人への看護の方法を教えるよう手配してくれる?」
「承知致しました」
「それから、避難してくる人たちのために貯蔵してある食糧を使います。各町会に炊き出しの依頼をかけてくれるかしら。早ければ夕方には近隣からの避難民が到着するでしょう」
「すぐに手配致します」
私はソフィアに「お願いね」と伝えると、今度は部屋の端でオロオロしているロレッタを振り返った。
「ロレッタ。工房にいるダンカンを呼んできてくれる?」
「は、はいっ!」
彼女はバタバタと会議室を飛び出してゆく。
「アンナ。たしかあなたに試作品の小型カメラを渡してあったわよね。あれって、使えるかしら?」
「はい! ちゃんと使っていますとも。お嬢さまのキュートな写真で部屋がいっぱいになるくらいたくさん撮ってます!!」
「えっ……」
ドン引きする私。
「あ、いえ、間違いました。ちょっとだけです。ちょっとだけお嬢さまの写真も撮ってます!」
「……うん。もう遅いかな。後で記録用魔石を提出ね」
「えーん」
泣きまねするアンナ。
「航空偵察にはそのカメラを使いましょう。部屋から取ってきてくれる?」
「はいっ! その代わり魔石没収はナシにして下さいね?」
ずいっ、と笑顔で迫る私の侍女。
「……わかったわ」
秒で諦める私。
うん。今さらよね。
記録用魔石をとりあげても、今度は違う手段で盗撮されそうだし。
私は首をすくめると、自室に自分の魔導ライフルを取りに行ったのだった。
☆
「それじゃあ、お願いね。ダンカン工房長!」
裏庭に出た私が振り返ると、ココメルの工房を立ち上げて貫禄を増したダンカンが、不敵な顔でにやりと笑った。
「おう。任せとけ。そっちも気をつけて行って来いよ」
「ふふ。誰に言ってるんだか」
そう言って笑い返す。
彼に頼んだのは、例の謎のノイズの調査。
工房にある二台の魔力探知機と一台の魔力分析機、それに通信室と会議室にある二台の魔導通信機で、ノイズの正体を探る。
ダンカンは通信機の復元と、探知機と分析機の開発の全てに携わっていたから、この種の測定機に関しては私の次に詳しい。
きっと何らかの成果をあげてくれるはずだ。
「アンナ、準備はいい?」
「ばっちりです!」
「よし。じゃあ、出発!!」
こうして私とアンナは、魔物の大群が待つ北に向かって飛び立ったのだった。