第86話 噴進器と新工房長
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アンナが貼り出したイメージ図。
そこに描かれていたのは、客車を引き線路を疾走する一両の機関車。
そのフォルムは、蒸気機関車…………ではない。
どちらかというと新幹線や私鉄の特急車両に似た流線型をしている。
ただし、それらの車両と大きく違う点が一つ。
車両上部の両肩に、埋め込まれるように筒状の部品が配置され、正面から空気を取り込めるようになっていた。
「……魔導機関車?」
目を細めてイメージ図を食い入るように見ていたお師匠さまが、低い声で呟いた。
「こりゃあ、どういう仕組みなんだ?」
身を乗り出して絵を見ていたダンカン工房長が、興奮した顔で私を見る。
「説明しますね」
私は席を立ち、掲示板に向かった。
そして、例の筒の部分を指示棒で指した。
「構造としてはとても単純です。この筒の前方から空気を吸い込み、後方に吐き出します。その反動で車両が進むという訳です」
要するに、燃焼を用いず、魔法で空気の流れを作り出すエンジン––––魔導ジェットエンジンだ。
以前、私が王都の屋敷でやらかしたように、この世界には風を操る魔法がある。
それを利用することを考えた。
一方向に空気の流れを作れば良いだけなので、魔導回路としてはシンプルなもので実現できる。
軌道上を走るので慣性で走れる距離が長くなり、常にエンジンを動かし続ける必要がないので、動力源である魔石の消費も抑えられる。
高炉が開発され、ようやく鉄鋼材料の改良が進み始めたこの世界。
車輪やブレーキ、レールの開発と生産の方が、よほど大変になるだろう。
正直なところ、魔法で熱源を作り出しボイラーを動かす魔導蒸気機関車も考えないではなかった。
でもその方法では、魔力だけでなく蒸気を上手く操る必要が出てきて、開発工数が飛躍的に増加してしまう。
実用化するにはピストンとシリンダーを開発しなければならないし、配管やバルブもかなりの点数になる。
とてもじゃないけれど、三年で開発できるとは思えなかった。
ましてや動力系と駆動系に精度と強度が要求されるレシプロエンジンは言うまでもない。
私は皆に宣言した。
「私は二年以内にこの鉄道車両を完成させるつもりです。そして三年以内に、新領と伯爵領を結ぶ路線の運行を開始したいと思っています」
「本当に、これが実現できるのかい?」
お父さまの言葉に、私は力強く頷く。
「すでに要素技術は揃っています。あとは取り掛かるだけです」
「ふむ…………」
しばし考え込んだ父は、やがて「よし」と言って私に向き直った。
「陛下が提示された期限までまだ三年ある。とりあえずレティは、先ほど話に出た郷土防衛組織を立ち上げてみなさい。そして同時並行で『鉄道』の開発に取り組むように。兵力削減については、それらの経過を見ながら考えよう。––––それで良いかい?」
「はいっ、頑張ります!」
ふん、とこぶしを握る。
お父さまは頷くと、皆を見回した。
「それでは、やることが決まったところで仕事の割り振りを決めようか」
☆
そこからは早かった。
新領に手を入れるのは後回し。
まずは私の領地から取り掛かろうという話になる。
伯爵領に新設する領兵隊の隊長には、これまで長いことオウルアイズ騎士団の騎士団長を務めてきたライオネルが就任してくれることになった。
「俺ももうトシだからな。東グラシメント派遣軍の司令とは旧知の仲だし、酒でも飲みながら田舎でのんびり後進の育成でもするさ」
そんなことを言って笑う、ベテラン騎士。
「ではさしあたり、部下に舐められないように、私と飛行靴の練習をしましょうか」
私がにこりと笑ってそう言うと、ライオネルは「げっ」と顔を歪めた。
「アレ、苦手なんだよな……」
歴戦の勇士である彼だが、魔力操作はお世辞にもうまいとは言えない。
そこでなぜかお父さまが割って入った。
「それはいかんな、ライオネル。飛行靴は今後の騎士には必要不可欠な装備だ。––––うむ。わざわざレティの手を煩わせる間でもない。私が直接手解きしてやろう」
「うっ……。赴任するまでに使えるように、自主練習しておきます!!」
お父さまの訓練は、厳しいことで有名だ。
私の領地の新たな領兵隊長は、苦い顔で父にそう返したのだった。
軍務の責任者は決まった。
行政と外務は、ソフィアとロレッタが担ってくれるから問題ない。
そうなると残る役割は、一つ。
そう。
魔導具工房の責任者だ。
「ダンカン、お前やれ」
「はあ?!」
突然のお師匠さまの言葉に、ぎょっとして聞き返す王都工房長。
「あんたがやれば良いだろ? 新工房の立ち上げなんて俺には荷が重すぎるぜ。大体、王都工房はどうするんだ。本工房と違って王都には人の余裕なんてないんだぜ?!」
反論するダンカンを、お師匠さまがジロリと睨む。
「王都には本工房から何人か移籍させる。お前の後釜は、こっちとよくやりとりしてるあの若いのにやらせりゃいい」
「いやいや、爺さんちょっと待て。ローランドは職人じゃねえぞ?!」
「別に工房長を務めるのが職人である必要はねえだろ。工房全体を見る力があるなら問題ない。技術的なところはお前の師匠とベテラン二人が見られるだろ」
「––––って、爺さん連中をあてにするつもりかよ」
「あれらは俺とほぼ同い年だ。俺も引退しねえんだから、後進の指導くらいしてもらわにゃ困る」
「おいおい……」
頭を抱えるダンカン。
そんな彼に、お師匠さまは言った。
「俺ももう管理からは手を引いて、副工房長に後を譲る。お前もそろそろ次のステージに進んでいい頃合だ」
その言葉に、ダンカンはしばらく唸ると、やがて口を開いた。
「職人になってこのかた、修理ばかりやってきたんだ。いきなり『新工房を立ち上げろ』なんて言われてもよ」
いつも強気なダンカンだけど、どうやら新しいことに責任者として取り組むのには、本当に自信がないらしい。
私自身は、『彼ならやれる』と思っているのだけど、やはり言葉にしてキチンと伝えた方が良いだろうか?
そう思い、口を開きかけた時だった。
「お前ならやれるだろ」
お師匠さまが隣の工房長にそう言った。
驚いて顔を上げるダンカン。
お師匠さまは続けた。
「こっちに送ってきた魔力分析機。––––組んだのお前だろ」
「そうだが……なんで分かる?」
「線の引き方や手の入れ方を見りゃあ、誰が組んだかくらい分かる。嬢ちゃんが引いた図面に手を入れただろ」
「ああ。線の這わせ方が不味かったからな。図面に赤を入れて改訂要求を出した」
「あれができりゃあ上等だ。本工房だってすぐに任せられる。––––まあ、そんな楽をさせる気はないがな」
お師匠さまは片頬を上げ、にやりと笑った。